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生きてるほうが大事(エッセイ)

マコが、2万円の鍋を割った。
2年前に北欧雑貨のお店で買った、ヴィンテージの土鍋だった。

マコは掃除機が嫌いで、かけている間、いつも部屋中を逃げ回っている。
今日も掃除機が、リビングから一続きのキッチンに差し掛かろうとした時の事だった。
リビングとキッチンの区切りに置いた、飾り棚の上に置いていた鍋にぶつかりながら、マコが掃除機から逃げてきた。
スローモーションで鍋が落ちていくのを見た。
その間、「あっ落ちた。もうだめだ割れる。もう仕方ないありがとう、鍋。」
一瞬でここまで整理できた。我ながら早かった。


マコは悪くないのだ。
私はいつかこうなることを予測していた。
それが今日起きたのは、いつも掃除機がキッチンに侵入する前に、マコをリビングに誘導しているのに、それを忘れてしまったからだ。

お気に入りだった鍋は、艶のあるライトグレーで、細かな美しい模様が続き、見ているだけで嬉しくなるような持ち手付きの土鍋だった。
たぶんもう出会えないだろう。
ついでに言えば、結婚式も新婚旅行もしなかった私たちが、感染症流行の合間を縫って、日帰りで隣の県の温泉に出かけた時に、ふらりと立ち寄ったお店で買ったものだった(私のお小遣いで)。

ヴィンテージだが実際に使用出来るとのことだったので、土鍋が割れないように、「目止め」の処理をして慎重に使い始めたにも関わらず、初回の調理で「ビシッ」と音がして大きな亀裂が入った。
その時はだいぶがっかりしたが、飾っておくには問題ないので、中にお菓子を入れたりして、飾り棚の上に置いて鑑賞して楽しんでいた。


しかし、今回はバラバラになるまでよく割れた。
ここで夫婦仲がバラバラになることは、特に連想しない。鍋が割れた。ただそれだけだ。



鍋が落ちた時、「あっしまった!」とは思ったけれど、自分の中からマコを憎らしく思う気持ちが1ミリも出てこなかったことが、本当に嬉しかった。
飛んで逃げたマコが戻って来ないうちに、割れた破片を集め、後からマコが踏んで怪我をしないように丁寧に掃除した。
その後、部屋の隅で固まっているマコの所へ行って抱き上げると、マコは身体を固くしていた。大きな音でびっくりしたのと、自分が何かやらかしてしまったのをわかっているという様子だった。

「びっくりしたね、ごめんね。」と言ったら、力が緩んで、マコは顔を近づけ、鼻で私の顔をちょん、とやった。
よかった。
どうやら私からは、自分で思っていた通り、怒りや落胆のオーラは出ていなかったようだ。
マコはすぐに気を取り直して、いつものように窓の外を眺めはじめた。

これで「マコ!!」なんて怒鳴っていたら、後から八つ当たりした自分が嫌になっただろうな、と思う。
掃除機から逃げる時だけ、マコが棚の上に勢いよく乗って来ることはわかっていたし、そもそもここに鍋を置いたら危ないとわかっていたのだけれど、私は鍋をしまわずに眺めることを選んでしまったのだ。
だから、自分でやったことだ。

それにしても、片付けながら心を落ち着けるでもなく、鍋が床に着地するまでの一瞬で、鍋への気持ちを手放せたのはよかったと思う。

しかし、私は決して急にそう思えたわけではない。
私が猫を飼うのはマコが初めてで、犬では絶対にしないような行動に、驚いたり感動したり、また落胆したりと、ここ数ヶ月心を動かされていた。

猫がセルフで身体を隅々まできれいにしてくれることや、高い所から安全に下りられる身体能力、すごい隙間に手を入れて、数年前からどうしても取れなかった物をあっさり取ってくれたことに感動したりもしていたが、一方で家の破壊は進んでいた。
元々この家は、私が犬と暮らす為にオーダーメイドで建てたものだ。
犬が床で足を滑らせないようにと、柔らかい杉材で作った床は今、マコの鋭い爪によってカンナ掛けのように削られているし(爪とぎをしているわけではなく、走っているだけ)、犬は登らなかった壁にも、マコの爪痕がくっきりと残されている。大事な物は届かない場所に置いておけば安心だった犬と違って、猫が天井付近まで行くとは驚きだった。
そもそも、以前私が一人で飼っていたのは、保護犬などの成犬ばかりだったので、みなさん、あまりやんちゃはしなかった。

革のソファにはなぜか手を出さないでいてくれたが、この数ヶ月でかなり家は傷んでしまった。
マットを敷いたり壁にシートを貼ったりしつつも、床に出来た無数の傷を見る度にため息をついたことも一度や二度ではない。
しかし、これが猫と暮らすことだ。かけがえのないマコが来てくれたのだから、それと引き換えだ。
カンナ掛けが出来るほどの鋭い爪を持ちながら、遊んで私をパンチする時は決して爪を出さないマコの優しさとか、そういうことに気づけるようになると嬉しくなってくる。
そんな風に、猫の習性というものを受け入れることが出来てきたところでの、鍋の落下だった。

この折り合いが付かなかったら、飼い主とペットは両者辛いだろうなと思う。
猫は色々壊すもの。生きてることは、汚すこと。
互いの習性を理解し合って、違う種族が一緒に暮らす。
物よりもマコが大事だ。
壊れたものは、今までありがとうと言って手放そう。
鍋は接着剤でくっつけて、素敵な植木鉢にでもしよう。



しかし、鍋を壊したのが夫だったら、「びっくりしたでしょう。こんなところに置いた私が悪いの、ごめんなさいね。」なんて絶対言ってなかったと思う。
猫はかわいい。

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