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宿命論〜役割として受け入れること・自由に選べること〜

宿命論(あるいは運命論)てありますよね。

宿命論(しゅくめいろん)あるいは運命論(うんめいろん、英: fatalism)とは、世の中の出来事はすべて、あらかじめそうなるように定められていて、人間の努力ではそれを変更できない、とする考え方。

Wikipedia

この宿命論について中国占術の先生が研究されてたんで私も考えてみたところ、割とあっさりこれだろうなという見解にたどり着いてしまったので(笑)今回はそれについて書きます。

宿命論についての見解


  1. 人生の大筋・重要な項目は定められている

  2. 細かい部分は自由

  3. 起こったことをどう受け止めるかは自由

  4. 自分の役割や環境をどう思うかも自由


宿命論を全て否定してしまうと

  • 人生は全くの偶然の連続→占いや予言は無意味

  • 努力すれば運命は変えられる→病気や死も回避・克服できる

となって、占いや医療の根元の否定になっちゃうので基本は肯定です。

占い抜きでも、環境と自分の選択だけでいくらでも自由に人生がクリエイトできるかというと、逃げられない業のようなものがあったり、不思議な繋がりで引き寄せられたり、何度アプローチしてもかすりもしなかったりと、固有の磁石のような要素(=定め)が働いているように思えます。

だからと言って、全ての行動や細胞の1つ1つの動きまで定められているかというとそうではなくて、「縁がある人とは1回会っただけでも100回会ってからでも深い仲になる」「どのルートを通っても必ず同じ場所に到着する」といった感じなんだと思います。

役割を受け入れる

そう考えると、今の職業や立ち位置は「定められた役割」かも知れないですよね?
それとも別の「定められた役割」が存在すると考えますか?

私自身「他にもっとふさわしい職業があるはず」と天職探しをしてきたのですが、自分の能力を社会に奉仕するという意味では今の仕事は最適かも、と思い直しました。一度別業界に行ったけど戻ってきて一番長く続いていて、占いでも深読みするとバッチリ出てるし、もう認めるしかないなと。

役割を受け入れちゃうと「幻の居場所探し」が終わってモヤモヤが晴れるので、より快適に楽しくやりがいを持って役割がまっとうできるように舵を切るだけです。もし勘違いだったり役目が終わったりしたらサインが来て強制終了になるでしょうから、無駄な心配もしていません(逆に強制終了がこなくて続いているなら定めの可能性が高いです)。

持病も治そうと頑張るのはやめて、役割だと思って付き合うことにしました。一種の諦めですけど、抗わない方が穏やかな気持ちでいられます。

自分ではどうにもできない定めがあるというのは辛い気もしますけど、手に入らない理想を追いかけて苦しんでいる人にとっては、受け入れることが救いになるかも知れません。私は楽になりました。

逆に、定めを「絶対受け入れられない」「不幸だ」「努力で必ず変えられるはず」と思ってしまうと、一生苦しいんじゃないかと思います。

そして「役割」として受け入れたこと以外は自由です!

自由に選べること

先に書いた通り、大きな定め以外の細かい部分や、起こったことをどう受け止めるか、自分の役割や環境をどう思うかは自由です。

恨んだり憎んだり嘆いたりしてもいいし、
楽しんだり喜んだり忘れたりしてもいいのです。

ここは定められてないので思うがまま。

その人が幸福かどうかは「定め」の内容じゃなくて「自由」の使い方にあります。

同じ定めであっても
自由の部分を嘆きに使うか、喜びに使うか
学びに使うか、無関心を貫くかは
人それぞれです。

壮絶な人生を歩まれているのに明るくカラリとしている人、人にもお金にも恵まれてるのにいつも不安そうな人…。その人に用意されたシナリオ(定め)そのものよりも、それをどう受け止めて、自由にできる部分をどう生きていくかの方がよっぽど大事なんじゃないかと思います。

宿命という相手と一生離れられないなら、ドンと受け入れて、なるべく対立せずストレスを溜めず快適でいられるように工夫して、二人三脚で生きていく。

辛いときは自分の心は自由だと思い出す。

選べるときはより幸せを感じることを選ぶ。

本当にシンプル。これだけ。

私は自分の役割を精一杯幸せに生きてやろうと思います!

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