親子

小さい頃からDVを受け続け18歳になり、あと2か月ちょっとで家を出られるという人が、「もう少しだ」と思ったのがきっかけなのか、メンタルを崩してしまった。何年も何年も耐えに耐えてきたのだが、ゴールが見えたところでふっと気が抜けてしまったのかもしれない。その人に、問わず語りにこんなことを語った。

私の親の話をしたことがあったっけ?そうか、してないね。実は俺の両親ってのは、俺が12の時別居した。親父が二度目の浮気をして、家を出ていったんだ。船橋に家があったが、親父はその浮気相手と一緒に自分の実家がある静岡に移った。

お袋は無論激怒したよ。あの父親はお前達を捨てた悪い奴だと、散々聞かされた。うん、まあ確かにあの親父は、父親として褒められた人間じゃ無かったな。

あ、こんな話してもよかったのかな?君の具合が悪くて受診しているのに、俺の話して変だよね。

患者さんが聞こうとする様子が窺えたので、話を続けた。

まあそう言うわけで親父は俺が小学校卒業直前に家を出ていったんだけど、そうだねえ、中学校の時は一度も会わなかった。高校でね、僕はオーケストラ部に入ったんだよ。その三年生の卒業演奏会の時、親父が聴きに来たそうだ。直接会ってはいない。後で人から聞いた、うん。

それから俺は一浪したんだね。一浪して東北大に受かった。そうしたら親父が「用事があるから東京に来い」というわけ。今は無くなっちゃったんだけど、赤坂プリンスホテルってのがあった。そこに呼ばれてね。

部屋に入ったら親父がいて、テーブルにボンと100万円の札束を出したんだ。お前、これが欲しいか、って。大学の入学金、入学の時に払う学費、船橋から仙台に引っ越す費用からアパートの敷金礼金とかってやると、だいたい100万だ。そりゃ、欲しいと言った。そうしたら親父が紙を出してきて、「欲しいならこれにサインしろ」。

長男として両親の離婚に同意するという文書だった。親父は弁護士だったから、そういうのは詳しかったわけだ。長男が文書で明白に離婚に同意していれば、離婚調停は圧倒的に有利だ。

まあ、ねえ。こいつは、自分の息子の心を金で買うのかと思ったよ。そりゃ12の時家を出ていった親父で、私が大学に入ったんだから、そろそろ正式離婚の潮時ではあった。そんなことはこっちだって分かっていたさ。だけど100万の札束と見返りっていうのは、ねえ。

悔しかったけど、その100万が無ければ大学入れないんだから、黙ってサインした。100万円を鞄に入れて、赤坂から船橋に帰ったよ。夜中だったな。自分は心を100万で親父に売ったんだという屈辱感は、ずっと拭えなかった。

それで、話はだいぶワープして、俺がまあまあ普通の医者になった頃、親父が電話を寄越した。なんでも面倒な医療裁判で、保険会社が相手だから相談に乗れって訳。なんなんだこいつと思わないでは無かったが、その頃になってみると親父が一方的に悪かったんじゃ無い、お袋も相当責任があったんだというのが分かっていたので、そこそこ話に応じた。医学鑑定とか言うのを書いて、15万ぐらい貰った。その裁判は保険会社を相手取ったので、別にどこかの医者を追い詰める話じゃ無かったし、結局裁判では親父の弁護が通って保険会社が金を出したそうだから、15万は安いものだった。

またワープする。あるとき、親父の奥さんから電話が来た。つまり親父が二度目に浮気した人だ。浮気ではあるが、それっきり親父はその人と所帯を持ったわけだ。なんですか?と思ったら、親父が呆けたんだそうだ。脳卒中で入院し、命を取り留めたはよいが、すっかり言うことがおかしい。その後何回か親父の様子を見に静岡に行ったよ。最初は脳卒中だったが、アルツハイマーも合併したんだね。医学的にはAD with CVD、混合型認知症だ。俺が静岡に行ったら、もう俺が誰かも分からなかった。デイサービスの職員だと思ったようだ。

そりゃ俺は老年科医なんだから、こういう手合いは慣れてる。上手く話を合わせてデイサービスの職員になった。途中で親父の話が変わるから、病院の医者に早変わりしたり、ケアマネになってみたり、臨機応変だ。でもどうもその時の親父には、遠い仙台の地に長男が医者で暮らしているというのは思いつかなかったらしい。

親父が死ぬまで何回か仙台から静岡に通った。何回か誤嚥性肺炎を起こしたあげく、やっと死んでくれたんだ。死ぬとき老人病院に入院していて、呼吸が止まったのになかなか心拍が止まらない。心電図モニターがフラットになってやっと止まったなーと思うとピクッと動く。40分ぐらい我慢していたけど、「もうよい」と言い放って心拍モニターを外させた。主治医呼んでくれ、と看護婦に命じて主治医に「呼吸は1時間前から停止しています、心拍モニター付けてると20分に一回ぐらい心拍が出るんですがもう結構です。死亡確認してください」とほとんど有無を言わさぬ口調で言って、死亡確認させた。それで親父が死んだわけだが、さすがに親父が死んだことはお袋に伝えるべきだろうと思ってお袋に電話した。そしたら電話口の向こうで「そうかい、お前を散々苦しめた男だけどね」と言いやがったからぶち切れた。

ふざけるんじゃねえ!テメーらが勝手に喧嘩して俺と弟の人生めちゃくちゃにしたんだろうが!てめーなんぞ、死んじまえ!

そう言って電話をぶち切って、3年ぐらいお袋とは話をしなかった。

心療内科って、要するに人生経験です。教科書やガイドラインがあるかどうか知りませんが、あったところで無意味です。

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