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節分とガンモの話

2月3日は節分です。
以前、こぐま屋も節分に合わせて
撒く用の珈琲豆を売ろうという企画がありましたが
鬼は逃げないだろうし、グーグーガンモくらいしか喜ばないので
却下されました。

また、豆関係ということでお正月と同じく自家製のお汁粉を作りましたが
1杯も売れないというすごい経験もしているので
現在のところ特別なメニューは考えていません。

節分が終わるとバレンタインデーです。
チョコレート関係のお菓子があるかな?ないのかな?という感じです。
お菓子担当に聞いてみます。

大好きな子からもらったバレンタインのチョコレートを食べられず
腐らしてしまったという話をときどき聞きますが
そんなことはないらしいです。
もちろん愛の力ではなく、水分を含んでいないからだそうです。
湿度の高い愛ってちょっと難しくさせますよね、
とか、そういう話でもないです。

実際の話、半年くらい過ぎてもシンプルなチョコレートは腐りません。
ただ、机の引き出しの中で6月の梅雨を過ごすと
カビが生えることはあります。
慌てて拭いて食べましたが、特に問題は起きなかったと記憶しています。

記憶というのは連鎖的というか数珠繋ぎに整理されているみたいで
節分を認識すると、節分の記憶がいくつも出てきます。

節分→鬼→長谷川平蔵→お豆腐には一味唐辛子と胡麻油
確認のために検索するも出てこないので長谷川平蔵以降は間違って覚えているかも。
という感じです。

節分→相撲取り→品川のタワーマンションの隙間の公園で同じネルシャツを着た二人のおじさんががっぷり四つで相撲してた→帰りに同じ道のコンビニに寄ったらおじさんが1人だけいた。臭かった。→もう1人が砂場に埋まってる姿を想像してしまったので確認しに行く→普通に子供が遊んでいた。
という感じでだと趣旨が変わってきます。これはただのエピソードです。

なんであれ数珠繋ぎに思い出しますね。

そんな記憶ですが、僕も歳なので苦しいときが増えてきました。
即時記憶というのと近時記憶というのに問題があります。
例えば、
4桁程度の数字を数秒も記憶できない
今何をしにここに来たのかわからない
何をしに階段を降りているのかわからない
階段を降りているのか登っているのかわからない
「う」と言葉を出した後に、「し」なのか「ま」なのかわからない
息を吐いているうちに吸ってしまう
ここまでくると検査した方が良いと思いますが、似たような感じです。

ああ、今も感動的な美しい名文が頭に浮かんでいたのですが
どこかへ行ってしまった。
なんとなく休日前夜の喧騒だらけのファミレスの話だった気がするんだけど・・

仕方ないから
「半平太くん、僕がいなくてもちゃんとしなきゃダメですよ」と言って
大爆発して、みんなガンモの記憶がなくなって
翌朝、コーヒーを口に含むと、ガンモのことは忘れているのに
なぜか涙が止まらない感動の最終回的なことが
いつも起こっているのだと考えるようにしてます。







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