11_養護学校を卒業しました!【まとめ編】
こんにちは、イラストレーターのアキタヒロミです。
自己紹介もかねて書かせてもらったこのマガジンも、今回で最終回です。
養護学校で過ごして感じたこと、親となり感じた気持ち、障がいについての想いなどをまとめました。
1.卒業
治療としては、本当はもう少しいた方が良かったけど(杖なし歩行のOKがでたのは退院前日)、中学入学のタイミングが元の環境に戻りやすいだろうと配慮してくださり、そこに合わせての退院となりました。
中学入学前には、担任予定の先生が養護学校転校前に仲の良かった子の名前を聞きに、わざわざ家まで来てくださいました。
環境に早く馴染めるようにと、同じクラスに調整してくださいました。
まわりのみなさんの優しさのお陰で、スムーズに新しい環境での生活がはじまりました。ありがとうございます!
2.可哀想
当時から「かわいそう」という言葉に少し違和感を感じていました。
手術や治療で痛かったり、家族と離れたり・・それなりに大変なこともあったけど、それ以上に楽しいことや学びもあり、自分のことを可哀想と思ったことはありませんでした。可哀想じゃないんです、私。ふふふ
ぼんやりした外見とは裏腹に、大変な時、困難なことこそ内側ではメラメラ燃えてワクワク興奮、辛かったことは笑い話に昇華しちゃうぞぉー!! こんな性格はこの頃確立されたのかもしれません。
そして、もうひとつ。
養護学校に通う友達も、悩みや辛いことはあっても、みんなと同じように、友達と笑い合ったり、恋愛したり、人生を楽しんで、そこに存在していました。
障がいがある=「可哀想」で一括りにするのは違う! と今でも思っています。
3.親の気持ち
娘たちを出産し親となり、自分が痛みを我慢するより、子供たちが痛い思い、苦しい思いをするのを見る方がつらいということを実感しました。
最初の手術のあと、麻酔が覚め目を開けると、母がベットの横で切ない顔をして「代われるものなら代わってやりたい」と言っていたのを思い出します。
普段はガハハ!となんでも豪快に笑い飛ばす、パワフルかぁちゃんですが、私の足のこととなるとアラフォーになった今でも「無理したらいけんよ」「重い物持ったらいけんよ」と途端に心配性になります。
4.感謝
母は、私に会に通うために33歳で運転免許を取得しました。
仕事が終わった後、夜間の自動車学校に通い、私が喜ぶからと毎日少女漫画のカットを模写して描いて手紙と一緒に送ってくれていました。
免許取得後は、片道1時間かけて面会にきてくれて、"毎週末"家族で交代で迎えにきてくれて自宅に外泊。
祖父、曽祖母、私と3人が入院している時期もありました。
体調しんどい時もあっただろうに、いつも笑顔でパワフル!
そんな家族のフォローもあったからこそ、寂しさをあまり感じず2年間を過ごせたと思います。
改めて感謝ばかりです! ありがとう!
5."障がい"というものについて
養護学校に通った経験から、"障がい"というものをより身近に感じるようになりました。
私も、あなたも、明日、事故や病気で障がいを持つことになるかもしれないし、歳を重ねれば、何かしら不自由な部分が出てきます。
障がい者と呼ばれる方々は、ちょっと先に不自由を経験している先輩たち。
障がい者と健常者、と線引きして特別視せず、養護学校でのみんなとの関係のように、自然とお互いフォローし合えるような優しい世界になるといいなぁと願っています。
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普段イラストで表現する私が書く、不慣れで拙い文章。
HPのプロフィールでは書ききれない経験や想いを自己紹介をかねてツラツラと書かせてもらいました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!!
こんな私です。
はじめましてのみなさま、どうぞよろしくお願いします。
いつも仲良くしてくださっているみなさま、お世話になっているみなさま、改めまして、どうぞよろしくお願いします^^
イラストレーター・アキタヒロミでした。
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