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代弁者と呼ばれる者への怒りから得られた意識

シンプルにー」では、僕という性同一性障害者の一例についてざっくりとわかりやすくかいたつもりだ。

そして今までのnoteで書いてきた様に、僕はたまたまこの時代に生まれ、若い時に医療や法律が整い人生を「普通の人」の様に過ごしてこれた。性同一性障害をもって生まれたが、実にラッキーだと思う。

とはいえ1999年頃、地方の医療機関では連続で拒絶され、気が遠くなる日もあったが、前向きな医師に出会い、ともに歩んでいき、大学病院へ繋いでくれた。
地方の情報のなさに嘆く時間があるならと、インターネットを使い、人に会い、繋がり、支えあってきた。周りの人達や先人に支えられ乗り越えてきた。


各制度が整った頃、自助グループ解散し、各々の人生を歩んでいった。

頑張ってきた理由は、心の底では生きていきたかったからだ。1998年10月に出たニュースを見て、生きる希望と将来像がリアルに感じ、諦めなければ「普通」の生活ができると、信じたからだ。

戸籍が違ってもできる限り必要ない様、自営業になろう。法律婚できなくとも事実婚でいい。そう思っていたけど、先人達のおかげで特例法ができた。そのおかげで僕は法的にストレスなく生活できている。

世の中がLGBTと叫んでいても知らなかった。

娘は僕に学校で勉強した事を教えてくれる習慣があった。2016年、僕は娘が学校で習ってきた事を聞いて初めて知った。トランスジェンダーの言葉にドキッとしたが当事者意識のなかった僕は冷静だった。それから2022年、老後の事を考え娘達へカミングアウトするかどうかをぼんやりと考え始めた時、パスポート申請で必要な戸籍謄本を見てしまった(娘達にー)。そこから僕はLGBTとは何かを検索し始めたのだ。

ある日、ちょっと遠いがLGBTの講演会があるという事で聞きに行った。しょっぱなから壇上で流暢に話す人に怒りが込み上げてきた。

一体、この人は何を言ってるんだ?

「人生の彩り」
「性同一性障害は生き方のひとつになりました」
「元女子高生!」

キャッチーな言葉で、僕の心を抉った。
性別を選択できるような話振りに吐き気がした。そんな簡単なもんなら命賭けるか!!(僕は一度死んでるからー
バカにされた気がした。
この人が今、住民の前で性同一性障害者の言葉として発信してるなんて、地獄だと思った。


当たり前の生活をしていた僕は急に「変態」の自分を思い出した。そうだった、僕は普通じゃなかった。

それからYouTubeを見ると、そこには「元女子」が溢れていて、知った事を後悔した。気持ち悪い、こんな事を平気で発信できるなんて。

YouTube配信者や活動家の言葉を見ていくうちに違和感は確信に変わった。

確かに、多様性という言葉は便利だと思った。これらが今でも理解につながるとは思えない。明確な線引きが不可能だからか違いがわからない。SNSの奥の方では若い性同一性障害者の小さな叫びが溢れていた。

顔を出してトランスジェンダーという属性で生きていける人もいるが、ひっそりとどちらかの性で紛れて生活していきたい人もいる。生まれた時の性を絶対知られたくない人もいる。なんなら僕の知人は奥様にもカミングアウトしてない。

手術痕の写真から「もしかして?」と言われるかもと不安を抱えているかもしれない。性同一性障害と知られたら上記の代弁者が言っていた様に「好きでその性を選んで性転換した人」になってしまう。情報が得やすくなったがその弊害もある。それは僕にも起こりえる。

だが、僕は今、活動家やYouTuberを見てもなんとも思わない。なぜなら、他人がなんと言おうと僕はトランスジェンダーじゃなく男だからだ。



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