僕は一度死んでるから今の人生はおまけみたいなもんなんです
誰しも一度は死にたくなった日があるはず。
僕には持病がある。
手術日が決まり、さあ、術前検査だ!と万全に整えた中で行われる為の検査に引っかかってしまった。
「この数値だと手術はできないかもしれない」
そう言われた日、帰りの新幹線の中でこのまま死んでしまおうと思った。
絶望だった。
この時のためにたくさん我慢して必死に働いてきて、その先の希望のために生きてこれたのに、できない?
僕は中学生の時にその持病の関係から妊娠、出産はできないと言われていた。
そのことを忘れていて、親に手術ができないかもしれないと話した時に、
「やっぱり。出産もできないのにそんな大手術は無理よ」と言われた。
親はできないだろうと、どこかで思っていたんだ。
「手術日の数日前から入院して検査しよう」
もし、そう言われてなかったら僕は生きる事を諦めていたかもしれない。入院の日まで気持ちは落ち着かなかった。できるかわからない日を思いながらその日まで過ごした。
入院初日、やっぱり検査に引っかかってしまった。
専門医から「手術はすすめられない」と言われた。
だが、形成の先生は手術をする予定で診察をした。先生はまだ予定日まで数日あるから、できる事はやっておこうと言った。
翌日、また検査をした。数値が少し良かった。
専門医は「ギリギリいけるかもしれないがフォローが必要」だと言った。
その時から医療チームとフォローしてくれる外部のチームが動いた。
予定通りの日時に手術台にのぼった。
8時間超えの手術だった。この時は僕の体はもってくれて、外部チームの出番はなかった。
そして2回目の大きな形成手術。
14時間にわたる手術でその時はその外部のチームのおかげで命拾いした。
大袈裟ではなく、命拾いをした。
術後は先生達の想像以上に順調に回復し退院。
1ヶ月後には復職した。
その3ヶ月後には転職もした。
僕は2度目の手術の危険な状態の時じゃなく、できないかもしれないと言われた時に死んだと思っている。
もしもあの時、先生にストップかけられて、
できないと言われていたら僕は今を生きていたか?と。
間違いなく今の生活はなかった。
そう考えるとどんな悩みがきても「これはおまけの人生だ!」と、最後にはそう思おうとしてるんだ。
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