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何かになる事で救われる事もある

偽物だと思って生きてきた。

だから証明してくれる誰かや何かを求めたし、いつも何か足りなくて、探して、見つけたと思ったらまだ足りなくて。
また次の何かを探して、と繰り返した。

求める先がお金や権力とかだったら人を傷つけずにすんだのに、それを恋人に求める事もあった。

わかりやすい愛が見えなければ不安になる。
言葉や態度に敏感で、関係性の成熟に気付かず不安を抱く。いつも自信がない。
恋人はそんな僕に疲れていくのに僕は変わらず全力の愛を求める。
そして満たされなければ僕はいじけてしまう。

最後は僕がトランス男性だから去るんでしょう?と、とんでもない思考をする。

恋人が「弱い」と言った意味をその時はわからなかった。
僕はむしろ自分の事を強い人間だと思ってきた。様々な事を乗り越えてきたと自負していたから。

数年後、僕はその意味がわかった。

偽物なのに「普通」の生活していて、
偽物が恋人の人生に介入して、
恋人の両親に隠して挨拶して、
恋人の両親に「子供ができなくてすみません」と言うことができなくて。

普通じゃない人生に巻き込んでごめんと思いながらも、捨てないでと態度で訴えていた。

きっと、その土台の脆さが見えていたんだ。
僕より恋人の方が不安だっただろう。
ごめんなさいと心から思った。

しかし、この部分は消える事はないだろうと思った僕は、自信をつけるため何者かになる事にした。その恋人と別れてから3年後に飲食店を始めた。

「飲食店経営者」という者になった事で、偽物と感じる事は少なくなったし、少しずつだが自信も出てきたが、相変わらず「足りない」と何かに追われてる。

もうこれは仕方のない事なのかもしれない。

ただ、理由のない不安は妻との生活の中で以前よりなくなってきている。

「偽物」だと思う事をいつかやめ、自分自身への差別をなくす事が今の僕の課題であって、その先に自身を「受け入れ」、そして娘へのカミングアウトがある様な気がしている。

まだ先は長い。

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