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『神々は渇く』あらすじ

 歴史を書くのは、過去を脱却する一つの方法である。
 ゲーテ

 もちろん、読むこともだ。

 ゆっくり二週間ほどかけて、アナトール・フランスの『神々は渇く』を読んだ。

 エミール・ゾラと共に生まれマルセル・プルーストと共に死んだこの作家との遭遇は幸福であった。たちまちフローベールやロマン・ロランを飛び越え、自分の中でフランス文学最高傑作の棚に入った。

 しかし、悲しいかな。Wikipediaを見てもこの作品の詳細なあらすじひとつない。それならば、自分がどれだけ作品を理解しているか知るためにも、ここに話の筋を語ってみよう。しかしその前に、まずは小説の構造について簡単に知るべきだ。

 この小説は二十九の章から成り、章ごとに異なるプロットが組まれ(登場人物が入れ替わり)場面転換する。

 作家は二十九の場面を「歴史」という時間軸におとしこみ、ロベスピエールやマラーという実在の人物、「最高存在の祭典」や「テルミドールのクーデター」という実際の出来事に小説内の人物を結びつけることによって物語として生成させ、全体として構成することにより「恐怖政治時代」の必然的諸関係、すなわち抑圧された民衆の集合無意識、心理、食事、服装、調度品、町の様子から革命裁判の様子、牢獄やギロチンに至るまで当時の風俗を詳細に描ききる。

 文体は率直であり(もちろん日本語訳で読む範囲での話だが)例えばバルザックのように体中の毛穴から強制的に侵入してくるものとは真逆の、さらりと簡素であるがきわめて緻密で的確で、呼吸をするたび山上のかろやかな空気のような描写が自然と体に入る。


あらすじ

 歴史は持続しながら生成される。

 バスティーユ襲撃からヴァレンヌ逃亡、チュルリー宮殿襲撃による王権停止から蜂起コミューンによる市議会制定と国民公会の降誕。非常事態宣言による新行政区画パリ四十八自治区のポン=ヌフ・セクションで、一七九三年から四年を舞台にこの物語は展開する。

 ダヴィドの弟子で、画家のガムランは一文無しであるがセクションの能動的市民(シトワイヤン・アクチフ)だった。「能動的市民」という特権は通常三日分の労賃にあたる国税を納める者にしか与えられていなかったが、平等の観念に燃えるポン=ヌフ・セクションでは、国民衛兵の制服代を自弁した者なら誰でも選挙資格者および被選挙資格者と見なしていた。ガムランの場合もそうであり、彼はセクションの能動的市民であり「軍事委員会」の一員でもある。

 この時期、革命初期にあれほど熱狂していたパリの民衆たちは現実の生活に足をつけ、五年も続く革命に無関心となり、セクションで投票権をもつ九百人のうち集会に来る者は五十人にも満たなかった。

 パリはフランス革命戦争によってオーストリア軍の砲火の下にあり、金もなく、パンもなかった。

 そんな中、ガムランは愛国者たちから成る国民公会のメンバー、ロベスピエールやマラーに自己を同一化し、理想主義的な愛国心のありったけをこめて「人民」を描いたり、愛国的なトランプの札を拵えたりして「よき市民」として熱のさめた民衆を眼ざめさせ、「自由か死」の二者択一を迫り、再生した全人類が出席することのできるような「端のない無限に大きな食卓」に着くことを夢想する。

 ガムランは「恋の画家」という看板を掲げた版画商のひとり娘エロディと恋愛関係にあり、「恋の画家」の青い部屋であいびきを重ねる。

 ある日、かつての愛人で「貴族で亡命者の男」に辱められたという過去の懺悔話をエロディの口から聞き、ガムランは聞かされた話から自身の政治的情念に一致する妄想をつくりあげ、そこにジャコバン的な色彩を与えて嫉妬し、いつかエロディの誘惑者を見つけだして復讐することを心に誓った。

 ガムランが母と暮らす部屋の上には操り人形を作る老人ブロトが住んでいる。この老人は、革命前には収税請負人の称号を買った貴族であったが、革命がすべてを奪った後も晴朗な魂を失うことなく、屋根裏部屋でルクレティウスを読みながら人間について瞑想している。

 ブロトは「理性」と「官能」を判断力に据える快楽主義者であり、無神論者であった。

 ある日、ガムランとブロトが二人でパン屋の列に並んでいると、列に並んでいた娘が財布を盗まれる騒ぎがおこる。けっきょく娘の勘違いで財布は見つかったのだが、このとき疑われたバルナバ会の修道司祭ロングマール神父をブロトがかばい、三人は会話を交わす。

 この神父も、革命によるフランス人権宣言から僧侶基本法による改革で修道院を追われ、流浪の身となっていたが、信仰を捨てることはなかった。

 半年後、神父が宿なしで街をさまよっているところを偶然ブロトが見つけ、二人はブロトの屋根裏部屋で暮らすことになるのだが、その前に、ここで重要な第六章の神学論争を暫し引用しよう。

 ガムランはブロトに言う。

 ―徳は人間が生まれながらにして具えているものです。神は徳の萌芽を人の心の裡に置かれたのです。

 老ブロトは無神論者であった、そしてその無神論からゆたかな歓喜の源泉を引き出していた。

 ―ガムラン君、君は地上のことに関しては革命家であっても、天国のことでは保守主義者であられる、いや、反動家でさえあられるようですな。その点ではロベスピエールやマラーも君と同じ様であるといわなければならない。―略―人類はその暴君たちに基づいてその神々をでっち上げている、そして君も、原本は投げ捨てておきながら、その写しを持ちつづけている!
 ―おお!とガムランは叫んだ。ブロトさん、そんなことをおっしゃって恥ずかしいと思われませんか? 無知と恐怖によって考えだされた暗い神々と、「自然の創造主」とを、かりにも混合なさるなんて。「善い神」への信仰は道徳にとって必要です。「最高存在」はあらゆる道徳の源泉です、神を信じない者は共和主義者ではありません。ロベスピエールはそのことをよく知っていました―略―それはともかく、ブロトさん、共和国が「理性崇拝」を制定した暁には、あなたもこのような賢明な宗教に同意なさらないことはよもやあるまいと思います。
 ―わたしは理性を愛してはいるが、狂信的に愛しているわけではない、とブロトは答えた。理性はわれわれを導き、われわれを照らしてくれる。しかし理性が神と奉られるようなことになったら、それはわれわれを盲目にし、われわれに数々の罪を犯させるだろう。

 このあと論争はジャン=ジャック・ルソーの「自然」を巡り展開する。暫し小説内に顔を出すこのような「対話」は、まるで『カラマーゾフの兄弟』におけるゾシマ長老とイワンをも思わせ、ここには作家の思想が凝縮されているように感じるが、それを書きはじめると評論文になってしまう。今は物語のあらすじにもどりたい。

 ガムランは権力と結託するブルジワジーのロシュモール夫人に紹介され、革命裁判所の陪審員に任命される。ロシュモール夫人がガムランを陪審員のポストにつかせてやったのは、自分が裁判にかけられるようなことになった時の保身という腹づもりであったが、後にガムランは、捕らえられたロシュモール夫人に対しても有罪の評決を下していく。

 ブロトは革命裁判官の「低劣な正義感」と「平板な平等意識」が、シェイクスピアの戯曲にある俗悪な道化的場面のようだと皮肉るが、そんなブロトも作った操り人形が反革命的であるとして逮捕される。

 ガムランはジャコバン派の集会に顔をだしてロベスピエールの演説を聞き、「高くより純粋な真理の数々」を発見した。彼は絶対的に確実な領域へとおのが精神を引き上げてくれるところの革命的形而上学に納得し、ロベスピエールの言葉に救いと破滅と深い喜びを味わったのだ。

 ―今後は、革命裁判は、かつての宗教裁判のように、絶対的な犯罪を、言葉の上の犯罪までをも、追及することになるであろう。そう考えると、ガムランは宗教的精神を持っていたので、こられの啓示を暗い熱狂をもって迎えた。今後は、有罪と無実とを見分けるための、一つのシンボルを自分は所有しているのだと思うと、彼の心は昇揚し、喜びにあふれた。おお、信仰という宝よ、お前はすべてのものの代わりをするものである!
 194ページ

 ロベスピエールはその徳高い雄弁により、無神論の真の性格を啓示してガムランの精神を啓発した。

 ガムランは「国家への献身」という徳により、民衆の頭を次々とギロチンの刃の下へ押しこんでいく。狂気のような殺戮の嵐が吹き荒れた。彼は残虐非道な化物になった。

 ガムランは陪審員として出廷するようになって以来、被告人の中にエロディを誘惑した男がいるのではないかと考え、想像をたくまし目星をつけ、その臆見によって無実の者をも殺していく。その事実を知ったエロディは気を失い倒れるが、しかしこの軽率な仕業に基づく死の影の下で、恐怖と同時に逸楽の思いにひたされていくのを感じる。

 ―彼女は肉体を挙げて男を愛していた、そして、男が恐ろしい残忍な、凶暴な者に見えれば見えるほど、その手にかかった犠牲者たちの血を浴びて見えれば見えるほど、飢え渇いた者のように男を求めて抱くことを知らなかった。
 239ページ

 革命裁判所の陪審員たちは王と王妃を片づけ、ロラン夫人を片づけ、エベールを片づけ、ダントンを片付け、カミーユ・デムーランを片づけ、数ヶ月で数千人の首を片付けていった…

 ―彼の同僚たちも、大部分の者は、彼と同じように考えていた。とりわけ単純な連中がそうであった。裁判形式が簡略化されると、彼らはくつろぎをおぼえた。簡略になった裁判に彼らは満足していた。速度を加えた裁判の進行において、何ひとつ彼らの心を乱すものはもはやなかった。  ―彼ら、革命裁判の陪審員たちは、「神」を見ていた。マクシミリアンによって認められた「最高存在」は、その火を彼らに浴びせかけていた。彼らは愛していた、信じていた。
 293ページ

 ブロトの逮捕を嘆くガムラン夫人の元に、突然亡命していた娘のジュリが帰ってきた。彼女は捕らえられた夫を救うために必要な運動をしてくれるよう兄のガムランに頼むためパリに帰ってきたのだ。

 しかしガムランは徳の名の下に死刑の評決を下し、ロシュモールの告発により捕えられたブロトとロングマール神父にも死刑の評決を下していく…

 二十五章と二十六章で、作家はガムランとロベスピエールの内面を照らす。

 ―マクシミリアンよ、僕はあなたの悲しみを見た。あなたの憂愁を理解した。あなたの憂愁、あなたの疲労、そしてあなたのまなざしに刻まれていたあの恐怖の色に至るまで、あなたのすべてがこういっている。〈恐怖政治が終わりを告げて、同胞愛の時代が始まらんことを! フランス人よ、一致してあれ、有徳であれ、善良であれ、互いに愛し合うのだ。…〉と。
 322ページ

 熱月がやってきた。国民公会はロベスピエール、サン=ジュスト、クートン等に対して逮捕状を発する。彼らは出廷した。その知らせを聞いてガムランは市庁舎へむかう。武器ががちゃがちゃ触れ合う音が聞こえてくる。国民公会から派遣された一人の委員が令状を読む。「暴動を起こしたコミューヌに対して公権を剥奪する」彼らは裁判を受ける権利も与えられずに死刑を宣言される。国民公会の部隊が雪崩を打って会議場に殺到する。一発の銃声がひびきわたる。ガムランは自らの顎を打ち砕くロベスピエールの姿を見る。ガムランは自分の胸をナイフで突き刺し気を失う。

 翌朝、国民公会から派遣された医師により彼は手当されていた。国民公会は誰一人をもギロチンにかける前に死なせるようなことがあってはならないと決意していた。

 いまガムランを乗せた二輪荷馬車が嘲罵のなかを革命広場に向かう。ロベスピエールを処刑した断頭台が見えてくる。民衆はガムランに向かい叫ぶ。食人種! 食人鬼! 吸血鬼! 《おれが死ぬのは正義に叶ったことだ》そう考えていたとき、「恋の画家」の看板が目に入る。中二階の窓が細目にひらき、薬指に銀の指環をはめた女の手からガムランに向かい一輪の赤いカーネーションが投げこまれる。両手を縛られていたので捉えることはできなかったが、彼の目には涙が湧き上がっていた。

 雪月、民衆は革命のすべての罪をロベスピエールに着せるためこの上なくおぞましい悪漢に描き、ありとあらゆる記念物に食傷していた。ガムランもまたテルミドール反動のプロパガンダとして、画家たちの手によって描かれた。

 この小説で生き残った人物はどれほどいるのか? エロディはガムランの母を「恋の画家」の屋根裏部屋に引き取り、そこにジュリも一緒に身を寄せていた。母は部屋にこもってひねもす祈り、ジュリは外套の下に恐怖政治の赤いシュミーズに敬意を表し、赤いチュニックを着こんでいる。

 エロディは新しい愛人を「恋の画家」の青い部屋に入れ火をおこした。接吻の下にくずおれそうになったとき、男の腕から身を振りほどき、左手の薬指にはめていた指環を煖炉の中に投げ込む。涙と微笑みとに輝き、やさしさと愛情とにひときわ美しくなった彼女は新しい男の腕に身を投じていく。

 (おわり)

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