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『実践理性批判』要約

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純粋実践理性の弁証論 219-293頁

 純粋理性は、これを思弁的或は実践的使用において考察するにせよ、必ず弁証論なるものをもつ。

 純粋理性の思弁的使用において、いかに仮象から生じる誤謬を防止し得るかということは、さきに『純粋理性批判』の弁証論に詳しく述べておいた。

 理性は実践的な純粋理性としても、実践的に条件付きのものに対し(有限的な人間による自然的必要に基づき)やはり無条件的なものを、意志の規定根拠としてではなく、実践理性の

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純粋実践理性の分析論の批判的解明 184-218頁

 理論理性の分析論は、直観により悟性カテゴリーに与えられた対象の認識を問題にした。

 これに反して実践理性が問題にするのは、対象を認識するのではなく、実現するための能力としての〔意志〕にほかならない。

 それだから理性が実践理性として提示せねばならないのは原因性の法則だけであり、そこで「実践理性の分析論の批判的解明」はアプリオリな実践的原則の可能性から始めることになり、実践理性の二つの対象の概

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純粋実践理性の動機について 152-184頁

 行為の道徳的価値の本質的なものは、道徳的法則が意志を直接規定するということにかかっている。

 もし意志規定が道徳的法則に適っていても、それが感情を介してだけ行われるならば、その行為は適法性をもちはするだろうが、しかし道徳性をもちはしないだろう。

 動機(心のばね)を或る人間の意志に主観的な規定根拠と解するならば、彼の意志の動機は道徳的法則以外のものであってはならないため、行為が単に法則の文字

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純粋な実践的判断力の範型論について 144-151頁

 善および悪の概念は、意志に対して客観(対象)を規定するが、しかし善・悪の概念そのものは理性の実践的規則に従っており、純粋理性は意志をその対象に関してアプリオリに決定する。

 ところで感性界において我々に可能な行為が、このような実践的規則に従っているかどうかを決定するには判断力が必要であり、判断力は実践的規則では抽象的に表現されていたものを、行為に具体的に適用する。

 感性界において可能的行為

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純粋実践理性の対象の概念について 126-144頁

 私の言う実践的理性の対象の概念とは、自由の原因性による可能的結果としての対象の表象(それによって意志の対象或いはその反対物が実現せられるであろう行為に対する意志の関係)だけを意味する。

 我々が、或る客観の実現を志すような行為を意欲することが我々の自由になるとしたら、かかる行為を意欲することが我々に許されるのは、行為が道徳的に可能であると先立つ行為の規定根拠が意志の対象ではなく、意志の法則にあ

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二 純粋理性がその思弁的使用においてはそれ自体不可能であるような拡張を、その実践的使用においては為し得る権能について 112-125頁

 我々は、道徳性の原理に基づいて〔自由〕の原因性による〔意志〕の規定根拠をして、感性界の一切の条件を超出せしめるような法則を樹立した。

 また我々は、可想界に属するものとして規定され得るような意志の主体(人間)を、純粋悟性界に属するものと考えたばかりでなく、この意志の原因性に関しても、感性界の自然法則と同一視され得ないような〔道徳的法則〕を介して規定したのである。

 こうして我々は〔純粋理性の

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一 純粋実践理性の原則の演繹について 94-112頁

 この分析論の趣旨は、道徳性の諸原則における意志の自律を証明することで、我々の純粋理性が実践的であることを証示し、純粋理性が一切の経験的なものにかかわりなく、それ自体で意志を規定しえる(意志が自由の意識と一体をなしていることを)証明することにある。

 思弁的理性はアンチノミーに陥ることを避けようとして四個の宇宙論的理念を設定したが(カテゴリーの四網目に準じ)そのなかで〔無条件者〕をその原因性に関

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定理 四 78-94頁

 意志の自律は、一切の道徳的法則と、法則に想応する義務との唯一の原理である。これに反して意志の他律は、責務にいささかの根拠をも提供しないばかりでなく、責務の原理と意志の道徳性とに背くものである。

 道徳性の原理の本質をなすものは、この原理が法則のいかなる実質にもかかわりなく普遍的立法という形式によってのみ意志を規定するということであり、この場合に意志の格律は、かかる普遍的立法の形式をもち得ねばな

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純粋実践理性の根本法則 72-78頁

 君の意志の格率が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ。

 純粋実践理性においては、無条件的(アプリオリな実践的命題)な実践的規則が「絶対に或る仕方で行為すべし!」と命じられ、この意志は、この実践的命題によって客観的に規定され、この場合、それ自体実践的な純粋理性が直接に法則を与える。

 この意志は、経験的条件にかかわりのないものとして、つまり純粋意志として法則の形式だけ

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課題 一 ニ 68-72頁

課題 一〔問い〕

 格律の立法形式だけが意志を規定するに十分な根拠であることを前提したうえで、この形式によってのみ規定される意志の性質を見出せ

〔解答〕

 法則の形式は理性によってのみ表象せられえるものであり、それだから現象ではない。すると形式の表象は意志の規定根拠として因果性の法則に従い生起するところの自然界の出来事の規定根拠とは異なるものである。

 意志の規定根拠が普遍的立法という形式

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定理 一 ニ 三 52-68頁

定理 一 欲求能力の実質(実現が欲求されるような対象)を意志の規定根拠として前提するような実践的原理は、すべて経験的原理であり、実践的法則にはなり得ない。

 この場合に行為を選択し得る意志の規定根拠はかかる対象の表象であり、従って主観に対する表象の関係となる。

 主観に対するこのような関係は、対象が実現されたことを喜ぶ〔快〕の感情が意志規定の条件として前提されている。

 しかし対象の表象がど

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第一節 定義 47-52頁

 実践的原則とは、かかる意志規定の条件を主観自身の意志にのみ妥当すると見なす場合には主観的原則であり〔格律〕と呼ばれる。

 しかしこの条件が客観的なものとして(すべての理性的存在者に例外なく妥当すると認められる場合には)客観的原則〔法則〕と称せられる。

 理性的存在者の意志がパトローギッシュ(感性的動因に触発された動物的意志)に触発されると、彼自身が実践的法則と認めたところのものと彼の格律との

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実践理性批判 序 諸論 13-44頁

実践理性批判 序 諸論 13-44頁

序 思弁的理性は〔因果関係〕の系列において無条件的なものを思いみようとすると、どうしてもアンチノミーに陥らざるを得ない。
 それだから、原因性という概念を使用してもアンチノミーに陥らずに済むためには、絶対的な意味における自由を必要とする。

 自由という概念が実践理性の確然的法則により証明せれれば、それは純粋理性の体系という建物全体のいわば要石をなし、思弁的理性においては単なる理念にとどまっていた

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