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色々あってスポーツ人類学にたどり着く

もともと文学、音楽、映画などにも興味があった私は早稲田大学文学部(当時)を第1志望にしていました。思い起こすと奇妙ですが、とにかく早稲田に行くつもりしかなく、他の大学を受けることは考えていませんでした。ただ、さすがに文学部しか受験しないのは危ういということで、スポーツにも興味があった私は人間科学部スポーツ科学科を第2志望にしました。

しかして結果はいかに。見事、文学部には落っこちて人間科学部スポーツ科学科(略してスポ科)に合格したのでした。これがその後の人生をここまで左右することになるとは、その時の私は露程も思っていませんでした。

そんなこんなで私は所沢がどんな場所か知る由もなく、いや調べようともせず、文学部に受からなかったショックをわずかばかり抱えて、初めての西武鉄道と西武バスに乗り込んだのでした。今こうして様々な大学で教えるようになってみれば、特段あのキャンパスの雰囲気が例外でないことはわかるのですが、当時の私が思い描いていたキャンパスライフとはかなり違う光景がそこに広がっていたのでした。

早稲田であって、早稲田でない、所沢体育大学である、とは誰が言い出したのか(これは人間科学部の人には失礼ですがお許しを)。しかし、スポーツの研究を続けていけば、スポーツがいかに早稲田にとって大事かというのもよくわかります。とはいえ、それはまた別の話。

入学してすぐ私はスポーツの勉強にあまり興味がないことに気づきます。もっと言えば、スポーツ科学に興味が湧いてこなかったのです。あの頃は中途半端な文系青年の雰囲気を纏って、そのくせ了見が狭かった。実際、スポーツ科学は文系の頭で考えても大変興味深い分野なのですが、そんなことは18歳そこそこのただスポーツの試合を見るのが好きなだけの人間にはわかりません。かくして私は授業をサボって、ライブに行ったり、映画館に行ったり、家でサッカー中継を見たりして、ダラダラと過ごすことになります。そして、長期の休みとなれば親にお金の無心をしてバックパッカーの真似事をしていました。

そのような明らかにポンコツ大学生だった私の興味をひく授業がいくつかありました。それが寒川恒夫先生(当時)が担当していた「スポーツ文化論」や「スポーツ人類学」です。この授業とて真面目に出ていたとは言い難いのですが、それでも出席した時には先生の話に熱心に耳を傾けていたと思います。

確か、綱引きと相撲。沖縄の綱引きの話がいつの間にかメソポタミア文明の話になり、相撲の話がやがて日本神話の話になり、神明裁判の話になる。これスポーツの話なのかしら?と思うような内容に興味が湧きました。そうしてゼミ選択では、寒川ゼミを希望し、運よく入ることができました(結構人気のゼミでした)。そして、3年生のゼミ合宿で初めて沖縄を訪れ、綱引きの調査(の真似事)をすることになりました。これが私とスポーツ人類学の最初の本格的な出会いでした。

まあ、その後は適当に省略しますが、なんやかんやと大学院に進学することになり、修士課程の時はタイの「ルーシーダットン」と言われる伝統的な体操を対象にして伝統医療と文化資源化について研究を行いました。

いきなり、スポーツではないものをテーマにスポーツ人類学をしているわけですが、それはここでは置いておきます。なんでタイなん?というのもさておきましょう。博士課程では修士課程に引き続き、タイの伝統医療の文化資源化をテーマにしました。具体的にはタイマッサージの医療観光化について検討しました。

なぜ、伝統医療だったのかについて、詳しくはまたどこかで書きたいと思いますが、スポーツ人類学においては健康や身体もまた重要な研究対象である、とだけ指摘しておきたいと思います。というか、まだ研究の右も左もわからない中で、指導教員からそんな風に言われて、ちょうど私自身も健康というのが気になっていてと、そういうタイミングもあったと思います。

そんなこんなで無事にタイマッサージの研究で博士号を取得することができて、少しずつ研究者として独り立ちをしていきました。ただ、大学院在籍中のどこかの段階で、スポーツ人類学を続けるならやはりスポーツを研究したいという気持ちが強くなっていました。そんな時、運よく科研費に採択してもらい、早稲田大学スポーツ科学学術院の助手時代にはメキシコの伝統スポーツについて研究を始めることができました。

現在は、このスポーツモードが続いていて、時より健康関連の仕事もしますが、概してスポーツを対象にして論文を書き続けています。振り返ってみると、節操なくいろんなものに手を出していますが、良く言えばそれだけスポーツや遊びに関わる諸現象が私たちの世界に広く、深く浸透しているということでしょうか。また、スポーツ人類学がまだまだ若い学問で蓄積があまりないということもあるでしょう。その分、やれること、やりたいことはいくらでも出てきます。加えて、スポーツをするこの身体に関して言えば、その問題系はかなり広がりがあるものです。

このようなわけで私自身の研究遍歴がウニョウニョしているし、基本的には頼まれた仕事(原稿書き)は断らないスタンスで来た結果、研究室もスポーツや身体に関わっていれば何でもありな状況になっています。それが良いのか悪いのか、それはまだわかりませんが。





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