見出し画像

バーチャルな恋が、リアルな愛に変わるとき

────掌編小説

Grrrrrrrrrrr!

遠くに聞こえたその咆哮は、声だけで大物なことが分かった。全速で森を駆け抜け、切り立った崖のきわでスコープを取り出す。

いた……! 想像してたよりデカい。このサイズのドラゴンはめったにお目にかかれない。きっと今日一番の獲物だ。はやる気持ちをグレネード弾の装着音で落ち着かせる。ライフルスコープを光学式からデジタルズームに切り替え、ターゲットの眉間を狙う。瞬間、スコープの中を人影が横切った。

「短剣!?」
思わず声を出して驚く。ドラゴン相手に短剣で戦うヤツなんて見たことがない。鋭いかぎ爪の攻撃をかわしたと同時にドラゴンの右手を駆け上がる姿に今度は絶句した。純白のシューズに真紅のソール……。

The Redレッド!!
 噂では聞いたことがあるけど、ホントにいたんだ。レッドは一瞬でドラゴンの右手の腱を切り裂いた。ズンっと地鳴りが響き、巨大な右手がダラリと垂れる。次に左手の腱、最後に急所の眉間を貫けばこのバトルは終わる。こんなに鮮やかな近接バトルは初めて見た。

ピンっ!

レーダーに反応音。別のドラゴンが遠くからレッドに近づいている。あれほどの手練れなら二匹相手でも余裕だけど、タイムアタック中なら邪魔だろう。

僕は武器を超長距離用ライフルに変え、風をよんだ。スコープをあて、息を止めて ── 撃つ。レーダーからドラゴンが音もなく消えた。次の瞬間、チャットに通知が届いた。

凄いですね!
そんな長距離で急所を射抜くガンナーはじめて見ました!

スコープをレッドに向けると、崖ほど大きいドラゴンが既に横たわっていた。これが、彼女と交わした初めての会話。この画面のスクショは今でも僕の宝物だ。

JOKERNIGHTジョーカナイトは、3年前に公開されたオンラインゲーム。今ではアクティブユーザーが1億人を超える人気ゲームだ。ドラゴンを倒すバトルモード以外にもフィールド内で行われるアーティストのライブなど、ゲームという枠を超えたSNSプラットフォームになっている。半年前、同僚にジョーカナイトを教えてもらった僕は、一気にハマった。休日はすべての時間をつぎ込んだ。6帖一間の部屋が、ゲーム部屋に変わるのに時間はかからなかった。

レッドは、ジョーカナイトで最も有名なカリスマプレイヤーで、去年初めて開催されたバトルロワイヤルの世界大会優勝者だ。副賞で贈られた走力を限界値の3倍にするシューズ。彼女はそれを白いハイヒールにカスタマイズした。白色に映える真紅のソール。いつしか彼女は「レッド」と呼ばれる伝説のプレーヤーになった。

彼女は、ソロプレーしかしないことで有名だった。チャットも常にクローズ状態。誰とも交流しない、その崇高なプレースタイルがレッドのカリスマ性を高めた。そのカリスマが、いま目の前にいる。しかもチャットがオープン状態だ。動揺した僕は、なにを話していいか分からずに固まっていた。

わたしとチームを組みませんか?

突然の言葉にキーボードを打つ手が震える。

えt? うぞ??

ネット初心者みたいなタイプミスをして、僕は恥ずかしくなった。

ほんぞ

わざとタイプミスをした彼女に、このときからもう、僕は惹かれてたのかもしれない。

そっちに行きますね、とチャットを受けてからレッドが現れるまで、30秒もかからなかった。目の前に現れたレッドのアバターは、とてもシンプル。明るい髪に負けないくらいキラキラと輝く琥珀色の瞳。真っ白なコスチュームに輝くダイヤモンダのペンダント。そして、世界にひとつしかない「レッドソール」。

はじめまして、リサです。
みんなはレッドって呼んでるみたいだけど。

はじめまして、ユウトです。リサさんは……

リサ、でいいですよ

リサは、なんで僕に声かけてくれたんですか?

だって、あんな距離で打てるガンナーはめったにというか、
ぜんぜんいないじゃないですか!?

アバターの彼女が笑顔になった。

だから、わたしと一緒にミラアトラを狩りにいきませんか?

なるほど、そういうことか。最高難度のドラゴンを倒すためにチームを組もうということか……。と、納得しそうになって首を振った。

ミラアトラって、まだ誰も倒したことがない
最終ステージのミラアトラのこと!?
先月、世界トップランクの五人チームでも失敗したって
ニュースで話題になってたし。
たった二人じゃ無理に決まってるよ!

興奮した僕は、思わずタメ語でキーボードを叩きまくった。

できるよ、わたしたちなら。

アバターの彼女が、また笑顔になった。

孤高のソロプレーヤー、レッドがチームを組んだというニュースは瞬く間に世界中に広まった。200人しかいなかった僕のフォロワーは一夜にして5000人を超えた。レッドを紹介してください、レッドと話しがしたいんです、と次々と届くDMは全部レッド絡み。鳴り止まない通知にうんざりした僕は、DMの設定を【相互フォローのみ】に変更した。

静かになった画面に胸をなでおろし、リサがログインしてるのを確認してDMを送る。

いつ狩りにいく?

enterキーを押した瞬間にレスが来た。

今度の土曜日の夜、
“幻想の森” の入り口で待ち合わせで、どう?

ミラアトラを倒すまでの、僕と彼女の短い旅が始まった。

幻想の森へ のコピー

“幻想の森” は、世界ランキング10,000位以内のプレーヤーしか入れない、ジョーカナイトの聖域であり最終ステージだ。

10,000位と聞くと、たいしたことなく聞こえるが1億人もいるプレーヤーの上位0.01パーセントのハードルは相当に高い。ちなみに僕は、8,572位。悪くない。でも、リサのランキングは1位なんだから、どう控えめに言っても神だ。そんなプレーヤーと一緒にチームを組むなんて、夢みたいでちょっと怖くなる。

待ち合わせの時間、森の入り口に現れた彼女に僕は提案した。

これからチームを組んで戦うなら、
音声チャットをONにした方がいいと思うんだ。
バトル中にテキスト打つヒマなんてないだろ?

たしかにそうかも。OK! 今、リクエスト送るね。

ジョーカナイトの音声チャットは相互フォロワー同士でないとできない。リサがフォローしてるのは、僕ひとり。1億人もいるプレーヤーの中で、レッドの声を聞けるのは僕だけなんだと思うと、興奮を隠せない。

「もしもーし。聞こえますか?」

美声ランキングでも世界一と思えるほどの透明感のある声。声の感じからして、僕と同じ20代くらいだろうか? リサの声に僕は聞き惚れてしまった。

「後ろ! いるよ!!」

リサの鋭い声に、慌てて我に返り、振り向きざまにトリガーを引く。小型のドラゴンが眉間を撃ち抜かれ、吹き飛んだ。忘れていた。僕たちは、難攻不落の最終ステージに立っているんだ。しかも、たった二人で。

幻想の森の最深部にいる、最強の敵ミラアトラ。攻略のセオリーは、ドラゴンとなるべく接触せずに最深部に向かうこと。ここにいるドラゴンは、雑魚がいない。通常エリアのボス級がひしめく、危険な場所だからだ。

けど、リサの作戦は違った。50体のドラゴンを倒すことを第一の目標にした。

僕も噂で聞いたことがある。幻想の森のドラゴンを50体倒すと獲得できる秘密のアイテムがあるらしい、と。公式発表はないが、裏コミュニティでは度々話題にあがっていて信憑性は高い。ミラアトラを倒す重要アイテムではないかと、リサは予想していた。

森で最初に遭遇したドラゴンは一瞬で視界から消えた。リサの剣は凄まじかった。まるで華やかに舞う演舞のように、無駄がない動き。美しく、そして鋭く獲物の急所を切り裂いていく短剣。僕がライフルで援護する間もなく、リサは獲物を仕留めていく。3日で10体以上のドラゴンを倒した。並みのパーティーなら1日1体倒すのが限界だろう。僕の援護射撃のおかげもあるが、世界ランク1位の技は、想像をはるかに超えるものだった。

「今日はここでセーブしておこうか。ユウトは、まだ時間大丈夫?」
「土曜の夜は、オールがデフォだからね」

少しの間をおいて、リサのアバターが僕に語りかけた。

「一緒にお酒飲まない?」

夕日 のコピー

リサがお気に入りの、小高い丘の上で二人並んで夕日を眺めた。茜色に染まる空を竜の群れが飛んでいる光景は、ゲームと分かっていても幻想的だ。

Salud!サルー
「サルー?」
「スペイン語の乾杯だよ。わたしサングリアが大好きなの」

サングリアってスペインのお酒なんだ、と思いながら僕は発泡酒の缶を開けた。Salud!サルー 画面の向こうの、声だけで繋がっているリサと乾杯する。こんな時間がいつまでも続けばいいのにと、思っているのは僕だけだろうか。スピーカーから聞こえるリサの声を聞きながら、そんなことを思う。

リサと二人で狩り始めてから、ランキングは日に日に上がっている。強いドラゴンを倒してるのも理由の一つだが、何よりリサとチームを組んでいることが大きい。ランキング1位のプレーヤーと組むだけで、フォロワーが増え、自分のランキングが上がっていく。実力以上の評価をもらうのは、とても嫌なものだった。

「ユウトの射撃スキルは、めちゃくちゃ高いよ。ランキングは、必ずしも実力を反映したものじゃないし。ランキングがやっとユウトの実力に追いついてきたんだよ!」

リサの言葉に心がほぐれていく。同時にチクっと胸が痛んだ。いつの間にかリサとのランキング差をコンプレックスに感じてる自分がいた。リサは、そんなことを気にしてないのは分かっている。僕のちっぽけなプライドが、余計な感情を生み出してるだけだ。

「あのね……」

スピーカーから聞こえるリサの声色が少し変わった。

「最終ステージに行く前に、ユウトに伝えておきたいことがあるの」

僕の心臓が、ドクンと脈打つ音が聞こえた。

仕事中もずっと、ジョーカナイトのことを考えていた。正確に言えば、リサのひとことが頭から離れなかった。上司からの指示も上の空でミスの連発。女にフラれたのか?  と同僚に心配されるほど。フラれたもなにも、付き合ってないし。そもそも会ったこともない、声しか知らない相手と付き合うなんて、できるわけないし。

よしっ!  と気合を入れ、デスク上の冷めた缶コーヒーを飲み干し、エクセルの表を追い始める。でもすぐに、土曜の夜に言われたリサの言葉が頭の中でリフレインされ仕事が手につかなくなる ──

「最終ステージに行く前に、ユウトに伝えておきたいことがあるの……」

真剣な声のトーンに、僕の体が緊張した。

「わたし、最終ステージをクリアしたら引退するつもりなんだ」
「えっ!? 引退って、ジョーカナイトをやめちゃうってこと……?」
「うん。アカウントも消すつもり」
「えーー!! 世界ランク1位のアカウントを消しちゃうの??」

ジョーカナイトは、プレーヤーの音声から感情推定してアバターの表情を変化させる。リサのアバターが僕を見る表情から、強い意志が伝わってくる。

「ランキング1位ってね、嬉しいけど楽しくないの」

リサの瞼が淋し気に閉じた。

「ランキングが上がるごとに、一緒にプレイする仲間も増えていって。ジョーカナイトって狩り以外の、イベントや交流も楽しいじゃない?」

うんうん、と頷くとアバターの僕も首を縦に振る。ジョーカナイトは、画像解析を使った、無言のコミュニケーションも充実しているところも人気の秘密だ。

「それが、世界大会で優勝して変わっちゃった。フォロワーが100万人を超えたけど、嬉しかったのは最初の一瞬だけでさ」
「フォロワー100万人の世界なんて、僕には想像できないよ」
「なにしても、スゴイ!って言われちゃうんだよ。木のリンゴを取っただけで、すごいGreatスゴイExcellent凄いWonderfulってコメントが何十個もついてさ」
「それはちょっと嫌だな」
「でしょ?」

この話題で初めてリサが笑顔になった。

「フォロワーに監視されてる気がしてきたの。だからチャットの設定を『相互フォローのみ』に変更したんだけど、今度は変なお願いが増えちゃって」
「変な?」
「レッドと話したいヤツがいるから、オレの友だちをフォローしてくれない?  という人がいっぱいいてさ。やんわり断ってたら、お高く止まりやがってとか叩き出すし……」
「そういう人、“オマエ変わったな” とか言いそうだよね」
「そうそう!  たいして仲良くなかった人ほどそうなんだよ。わたしの価値をランキングやフォロワー数で決める人たち」

カリスマにも、一般人には分からない悩みがあるんだな、と思う。

「そんなやり取りをしてたら、ジョーカナイトにログインするのが辛くなってきてさ。だから、フォローしてる人を全部外して0にして、誰からのメッセージも届かないようにしたの。突発的にうわぁーって感じで」
「あー、それわかるなぁ。僕もたまに別アカウント作って0から始めたい気持ちになるよ」
「インターネットの人付き合いって難しいよね。わたしのことを “孤高のソロプレーヤー” と呼ぶ人もいるけど、孤高になんてなりたくなかった」

リサのアバターが淋しげにうつむく。

「だから、最後にミラアトラを倒して、やり切った気持ちで引退したいと思ってたんだ。でも、ひとりじゃ無理なのは分かってた。だから、ユウトの射撃を見たとき、チームを組むならこの人しかいない!  って思ったの」

“この人しかいない” を頭の中で反芻してニヤニヤする。僕のアバターの顔が赤くなってないか心配になった。

「ユウト、わたしとチームを組んでくれてありがとう。絶対ミラアトラを倒そうね!」

うん、と答えたものの、これは困ったことになった。ミラアトラを倒せば、リサの夢は叶うし僕も嬉しい。でも、リサがアカウントを消してしまっては、二度と彼女には会えなくなってしまう。

ジョーカナイトの最終ステージ、幻想の森に入って15日目。ついに僕とリサは、50匹目のドラゴンに辿り着いた。うわさ通りならば、このドラゴンを倒せば、特別なアイテムがゲットできるはずだ。

「うわぁー、これはさすがに苦戦しそうだぁ」

望遠鏡を取り出し、遠くの巨大ドラゴンを見て呟く言葉とは裏腹に、リサは嬉しそうに笑っている。

「いつもの作戦でいく?」

僕の言葉にリサが頷いた。右手を軽く挙げ、二人同時に声をかけ合う。

Salud!サルー

リサに教えてもらった言葉は、いつの間にかバトル前のかけ声になった。グッドラックの意味を込めた、二人の合い言葉みたいなもの。

リサが勢いよく走り出す。緩やかな丘を下り、トップスピードで森の木々を駆け抜けドラゴンの死角から距離を詰める。僕は超長距離射撃の体制を整え、レーダーでリサとドラゴンの位置を確認する。間もなく、リサがドラゴンの戦闘領域に突入する。

遠くから、大地を揺らす咆哮が聞こえた。ファーストショットをミスると戦闘プランが全て狂う。僕は深呼吸して息を止める。ドラゴンが首をふり攻撃体制に入った瞬間、眉間の急所を狙い撃つ。このクラスのドラゴンは、遠距離攻撃で急所を射抜いても仕留められない。一瞬気絶するだけで、その時間は5秒。

その5秒の間に、リサはドラゴンまでの距離を50メートル詰めた。残り200メートル弱。口から放たれた火炎攻撃をジャンプしてかわし、リサはトップスピードを保ったまま駆ける。僕はライフルを連射モードに切り替え、雨のように降り注ぐドラゴンの針を次々に撃ち抜いた。フィールドの中に、針の雨が弱い、獣道のようなルートが浮かび上がる。残った針を短剣で弾き飛ばしながら、ドラゴンに向かってリサは走り続ける。

リサの右足が、ドラゴンの鉤爪かぎづめにかかる。ここからが本当の勝負。ドラゴンを気絶させられるのは、1アタックで3回まで。リサがドラゴンの急所を貫けるかは、僕の援護射撃にかかっている。これからの数分間は、周囲の音が聞こえなくなる程に集中しなくてはいけない。フッと短い息を指に吹きかけ、コントローラーを握りなおし、ドラゴンに迫るリサをスコープで追った。

横たわるドラゴンの頭を撫でるリサは、美しい聖母のように見えた。ドラゴンの眉間に刺さった血に染まる短剣がなければの話だけど。

「いやー、さすがに強かったねぇ。でも最高に楽しかった!」

リサの頬には小さな切り傷があり、うっすらと血が滲んでいる。

「あれ?  リサはダメージ・エフェクトをOFFにしてないの?」
「うん、その方が緊張感あるじゃない? わたしめったに攻撃受けないし」

さすが世界ランク1位は、言うことが違う。ダメージ・エフェクトは、受けた攻撃によってアバターが流血したり、体の一部が破壊されるシーンが描写される。リアルさを追求するプレーヤーに人気の機能だけど、採血の注射でも気分が悪くなる僕はOFFにしている。

「リサ、ところで秘密のアイテムはゲットできた?」

ニコっと笑い、リサは装備袋から青い液体が入ったガラス瓶を取り出した。色からして回復系アイテムっぽい。

「瀕死のダメージを受けてから、5分だけ活動できる回復薬みたい」
「すごい!  それって、5分間は無敵状態になるんだよね?」
「そうみたい。5分後には体力がゼロになって自動ログアウトしちゃうみたいだけど、ミラアトラの体力をある程度奪うまで薬を使わずにいられたら、必ず勝てるよ!」

まだ誰もクリアしたことがない、ミラアトラを倒せるアイテムをゲットして、リサと僕は飛び上がって喜んだ。遠回りだったけど、“幻想の森” のドラゴン50匹を倒す作戦は正解だったんだ。

「いよいよだね。明日、やっとミラアトラを倒すことができる。ここまで一緒にきてくれてありがとうね」

僕の両手を握るリサのアバターは最高にかわいい。声しか知らない彼女に、僕は本気で恋してしまったようだ。でも、ミラアトラを倒したら、リサはジョーカナイトのアカウントも消すつもりだ。そうしたら、僕は二度と彼女に会うことができなくなる。

「じゃ、明日また同じ時間にログインしようね」
「うん……」

力なく答えた僕の言葉が、PC画面にあたって静かに落ちた。リサにとって、僕はただのゲームパートナーでしかないんだろうか?  リサがログアウトしたジョーカナイトのフィールドに、僕は一人たたずんでいた。

その日もリサは、キレイだった。真っ白なコスチュームに映える虹色に輝くペンダント。そして、純白のボディに真紅のソールのシューズ。何度、この姿アバターに見とれただろうか。それも、今日で最後かと思うと、自分の気持ちを表す言葉が思いつかない。

「はぁぁぁ、なんか緊張するね」

語りかけるリサの笑顔が、今の僕には苦しい。聞きたくて、ずっと聞けなかった質問をリサにぶつけてみた。

「もし、この戦いに勝ったらの話だけどさ。ジョーカナイトを引退する気持ちは変わってない?」

リサのアバターは微動だにしない。風が髪を揺らし表情を隠す。彼女の気持ちは画面からは読み取れない。

「勝とう!」

リサの気持ちがこもった声に、僕も腹をくくった。先のことは、この戦いが終わるまで考えないことにしよう。二人並んで森の中を歩く。森の最深部は、地平線まで広がる草原が開けていた。その中心に、まるで入道雲のような超巨大ドラゴンがいる。

「小細工なしだね。あいつの足元にたどり着くまで、全力の援護をお願い。あとはわたしが、なんとかするから」

僕は頷いてライフルを構える。

Salud!サルー

掛け声と同時にリサは走り出した。全速力で草原を駆け抜ける。ミラアトラがリサに気づき、地面が震えるほどの唸り声をあげた。ドラゴンの針が空を埋め尽くし、草原を焼き尽くすほどの炎がリサを襲う。明らかに、今までとレベルが違う攻撃に僕はコントローラーを握る手に力を込めた。

リサが、ミラアトラの足元まで入れたのは奇跡と言っていい。僕の援護射撃も、リサの動きもすべてが神がかっていた。もう一度、同じことをやれと言われても、できるわけがないと声を揃えて言うだろう。リサは、ミラアトラの後ろ脚から回り込み、その背中に移動した。それはもう、えげつない攻撃がリサに襲いかかる。

僕は、ようやく理解した。この敵は、相打ち覚悟で戦わないと勝てない相手だと。もしかすると、リサは初めから分かっていたのかもしれない。だからこそ、50匹のドラゴンを倒し、“瀕死の状態から5分間戦える秘薬” を手に入れるプランを選択したのだ。

信じられないスピードで、ミラアトラの背中をリサは駆け上がっていく。針が、爪が、雷が、あらゆる攻撃がリサに襲いかかる。リサの運動能力をもってしてもすべての攻撃はかわし切れない。純白のコスチュームが、傷を受けて血の色で染まっていく。頭部まであと100mのところで、長い尻尾の先端が、リサの体を後ろから貫いた。

鮮血がリサの体を包み体力ゲージがゼロになる。通常ならここでゲームオーバーだが、秘薬のおかげでリサはまだ動ける。緑の数字が画面に現れ '5:00 からカウントダウンを始めた。純白のコスチュームを紅に染め、ミラアトラの背を駆け上がるリサを、僕は茫然と見ていた。

キレイだ ──

場違いな言葉が僕の喉からこぼれ落ちたとき、リサの短剣がミラアトラの眉間を貫いた。

横たわり動かなくなったミラアトラは、まるで山のようだ。その前で、コスチュームを真っ赤に染めたリサが僕を待っていた。

「やったよ!  やったよ、ユウト!  わたしたち、あのミラアトラを倒したんだよ!」

リサのアバターが、僕に抱きついたとき、画面の中が嬉しさと淋しさで満ちる。カウントダウンを続ける緑の数字が気になって仕方ない。

「リサ、あと1分で薬の効果が切れちゃうよ!」

数字は、50… 40秒と確実に減っている。多分、リサはゲームオーバーしたら二度とログインしないだろう。

「ユウト、ありがとうね。本当にありがとう。二人で狩りをした時間は、今までのジョーカナイトで最高の時間だったよ」

僕の顔は、涙と鼻水でひどいことになっていた。声を出そうとしても嗚咽のような音しか出てこない。

「リサ!  ジョーカナイトやめないでよ。  もっと一緒に狩りがしたいよ!」
「ごめん…… ユウト。ごめん、ごめんね……」
「リサ!  また会いたいよ!  ここじゃなくても、どこでもいいから ──」

僕の言葉を遮るように、シュンっという効果音と共にリサのアバターが消えた。地平線まで広がる草原の中に、僕とドラゴンのむくろだけが取り残された。

--*--

ジョーカナイトの最終ステージがクリアされたニュースは、一瞬で世界中に広まった。カリスマプレーヤー 「レッド」のアカウントが消えたことで、ニュースは様々な憶測と共に驚異的なスピードで拡散された。僕のフォロワーは、尋常じゃないスピードで増え続けている。

それも当然なこと。リサのアカウントなき今、最終ステージをクリアしたプレーヤーは僕ひとりなのだから。フォロワーは100万人を突破し、世界ランクもトップ10入りを果たした。ジョーカナイトを始めた頃に夢見た光景が、僕の目の前に広がっている。

でも、虚しいだけだ。
心はからっぽだった。

フォロワー数もランキングも、今の僕にはただの数字に過ぎなかった。リサがいない世界は虚構なんだと分かった。リサがいた、オンラインの世界こそが僕のリアルだったんだ。

ジョーカナイトのニュースは、蝉の鳴き声がごとく一気に盛り上がり、夏の終わりと共に消えていった。一部の暇人が、僕のアカウントに対して誹謗中傷を続けてるみたいだけど、どうでもよかった。

今は、ジョーカナイトをする気にならない。もしかしたら、二度とログインしないかもしれない。世界大会で優勝したあと、リサが感じた虚しさが今の僕にはわかる。他人と自分を比較して、自慢したり、うらやんだり、卑下することしかできない人たちを哀れにも感じた。

リサのアカウントがなくなって1ヵ月が経っても、僕はまだ虚しさの真っただ中にいた。ボーナスをつぎ込んで作りあげたゲーム部屋にいるのも虚しくて、休日は意味もなく街をブラブラする。

買う気がない商品を眺め、本屋で立ち読みしたり。ただ時間が過ぎるのを待つだけの僕は、誰の視界にも入らないバーチャルな存在だった。

その日も、あてどなく街を歩いていた。人波に身を任せ、目的なく歩きつづける。信号で立ち止まったとき、交差点の向こうに「ジョーカナイト」の文字を見つけた。ショーウィンドウの中には、「ジョーカナイトコラボ企画展示中」のポスター。自分には場違いな高級ジュエラーのショーケースをしばし眺めたあと、店内に入る。数歩あるくと、音もなく店員が寄ってきた。

「なにかお探しですか?」

バリトンボイスの背の高い男性が、にこやかに話しかけてきた。どうしてジュエリーショップの店員は決まってこの言葉を言うのだろう?  曖昧な笑顔を返し、手を横に振りながら僕は反対側の出口に向かい歩き出した。

こういう場所はやっぱり苦手だ。店員に話しかけられないように、うつむきながら歩く僕の視界に、見覚えのあるペンダントが目に飛び込んできた。虹色に輝く大きなダイヤモンド。懐かしい気持ちと淋しさがが同時にこみ上げてきたとき、違う店員に話しかけられた。

「なにかお探しですか?」

一瞬、自分の耳を疑う ── まさか、こんな偶然あるわけがない。でも、僕の耳が・・・・彼女の声を間違えるとは思えなかった。僕はゆっくりと顔を上げ、その店員の目を見て言った。

「あなたを探してました」

人違いなら、僕は大変なことを言っている。警備員を呼ばれ店の外に連れていかれるかもしれない。自分の心臓の音がうるさくて息が苦しい。重い沈黙が、僕たちを包んだ。

店員の表情が、戸惑いから笑顔に変わった。何かを確かめるように、うん、と小さく彼女が頷く。そして、右手をあげて僕に言ったんだ。

Salud!サルー



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?