白湯を飲んで単細胞生物の最期を見たらジワッとした
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白湯が美味い。
そう感じ始めたのは今年の冬からだ。ある寒い日の朝、オフィスに着いて何気なく飲んだ白湯が美味しかった。
体温より少し熱い白湯が喉を通りジワッと体に溶けていく感覚。
「年をとったから体に負担にないものが美味しく感じるのよ」と妻に言われたが、悪い気はしない。
小1になって初めてコーラを飲んで、小6で珈琲。その後、ビール、玄米茶…と一歩ずつ味覚の大人階段を上り、遂に僕は最上階の白湯にたどり着いたんだ。
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ある朝、一つの動画が目に止まった。かなり拡散したので目にした人もいるかと思う。単細胞生物の最期を記録した非常に珍しい映像だ。最期の瞬間、その体は崩れ去り溶ける様になくなる。
様々なコメントが飛び交っていた。
「命の尊さを実感させられた」
「悲しいけれど、感動する」
「切ないけど美しい」
…
その中の一つのコメントに目が止まった。
「死は外との境界がなくなる事なんだね」
スッと入ってくる言葉だった。
今、自分は健康だが最期はそういう感覚になるのかもしれない、と思った。生物は生まれた瞬間から死に向けて少しずつ進んでいる。外との境界が少しずつ薄れていくものだとしたら、白湯が美味しく感じる事も何か関係があるのだろうか…?
冷たい水が好きだった父が常温の水を好んで飲むようになったのはいつ頃だっただろう?
父の三回忌が過ぎてから、もう随分と経つ。
白湯を飲んだ。
ジワッとした。
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