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説明書きは無い #24 (そのゴミは誰のゴミ)

気にしていないと男は言う。

ギッシリと積まれた缶の山は
時間をかけて慎重に積み上げられたように
しっかりと接着されたように
折り重なり支え合う。

アプローチからエントランスへ
真っ直ぐに伸びる線

男が手直しするとすれば
そのラインのみ。

山積みの缶は
ただ無造作に放たれている。

説明書きは無い。


人々はみな
各々の日々を持って生きる。
同じ時間 同じ状況が目の前に広がっていても
同じ目で観ることはできない。
生きてきた命に違いがあるから。

寄り添ったり 慮ったりすることはできる。
でも自分自身でしか生み出しようのない声がある。

語るものがある。
眠っている想いがある。

それはどこかの誰かが言っていた
正しいとされる言葉や
誰かの本に書かれていた
誰かの言葉でなくて

ぶつかってぶつかって
続けてきた人生からこぼれる
声。

それがたまたま似ている時に

共感とも言える感慨を
掴むのではないか。
ああ、私もそうであると。

共感を得るために
芸術があるのではない。
共感のためのお膳立てはいらない。

説明書きは無い。

芸術は自ずと
人を語らせる。
その声はどこまでも
純粋だろう。

語りかけられることはたくさんあっても
語るものが増えるわけではない。
増やそうとする必要もない。

ひたむきに自分を生きる。
そこからでしか
自分の声は聞こえてこない。


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