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反応 #17(そのゴミは誰のゴミ)

2023年1月。
プロジェクト開始から3ヶ月経過。

反応を反芻する。

通り過ぎていく目撃者のそれぞれの反応。

喜怒哀楽で言うところの『喜』
喜怒哀楽で言うところの『怒』

驚き、
不思議がり、
理由を知りたくなって、
背景を求め、
それを得、
個々の感情が喚起され行き着く喜。
または同じ工程を経て喚起される怒。

どちらもいい。

目には見えなくてもいい。
その反応があったかどうか知らなくてもいい。
事実があれば
その人その人の歩む人生の中でその芸術が生きることになる。

では『無』はどうか。

観たくないものは見えない人がいて、
つまりそれは、
問題を提起されたくもなければしたくもない人。
そういった人々が『無』という反応で立ちはだかる。

それぞれのワケはあるのかもしれない。

でも考えてみれば、

社会はそういった人々で溢れている。

多数に受け入れられるとは
どういうことなのか。
 
傍観者の私は
くちゃくちゃと人の反応を反芻しては
一喜一憂に暮れる。

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