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果てなく #14(そのゴミは誰のゴミ)

私は芸術を
わかろうとしているのではなく、

私が良かれと思うかたちの中に
適当な解釈をつけて
体裁よく納めようと
しているだけなのかもしれない。

答えがあると
思い込んでいる。

でもそれでは
何も越えられない。
私がそれまでの私のままで
規定範囲内の感情の機微を得るぐらいのものでしょう。

安心を得ようとわかったフリをしなくていい。
心を締め付けるものの正体を探し続ければいい。
様々な疑問を抱き続ければいい。

解釈の余地も無いくらいに
とことん説明をつけて
それでやっと
伝わったとか
する必要も無い。
それで伝わることは
血にも肉にもならない。

表現者の頭の中は
私が追いついたと思った時には
もうそこを軸にして
もっと遠い場所まで
考えを巡らしている。
満足することなどないのだから。

男は言う。

表に現した時から
頭の中のことは小さくなっていく。
だとしたら表現することに
何の意味があるのか
考えである状態が一番なのに。

それでも男は
ゴミを
積み続ける。

私は絶好の機会を与えられている。





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