日本の人権運動
先週オンラインで見入ったアクションについて記事になっている
昨日のぐんま発共同親権活動において,その運動の歴史についても学ぶことができた中で,この運動が拡充していることがよくわかる
ようやく,である
これを恨むなかれ,と思う
親子が引き離されていくことが長く放置されていたという事実は深刻な問題だが,先人を非難しても始まらない
昭和
父は外に働きにでて稼ぎ,その分母が家にいて家を守る,子守をする
そういう性別役割分業を徹底し(意外に効率的),家族が成り立っていた
ゆえに,業務のために,転勤・長時間労働・休日出勤が当たり前にあり,父親を家庭に不在であった
婚姻をしていても,だ
そこに疑問を持つことこそ,社会の歯車からのドロップアウトを意味する
男女対等に育児も稼ぎも分担しようにも,女性が働ける,男女対等に稼げる職場というものがなかった(弁護士になった女性でも,その能力を発揮することなく退職,家に入るということも珍しくなかった・・・子どもを出産すれば,なおさら,である)
必然的に,親子とは母子を意味するし,父親は,わが子の成長を見守ることができなくても,誰も非難もしないし不満に思うこともなかった
離婚したら,せめて送金はしようとすることで解決する程度の親心である
そんな父親を責めることは誰にもできないだろう
そういう方が合理的なように社会が強いてきたし,親子の愛着形成が育まれていなければ,自然にそうなってしまう
そういう形にNOを示したのは,女性のはずだ
女性も外で働き対等に稼ぎ,そして,育児も分担しようと求めた
結果,男性も,出産に立ち会い,育児休業を取得して,保育園の送迎をして,平日開催される学校行事にも参加していく
社会の要請に応じて,父親が変わっていった
そうやって初めて,わが子と離れて暮らすことになったときでも,わが子に会いたいという想いを抱き,それを声にすることが許されるようになった
そして
親子が会っていくことは人権なのだ
ようやく,それが声になった
人権侵害は,人権侵害があると指摘されたときにあるのではない
人知れず,不満を述べることすら許されず,声すらも殺される中で人権侵害が起きている
直近の違憲判決において,損害賠償請求が認められなかったことが報道されているとおり,人権侵害は声すら奪うことが紛れもなく人権侵害なのである
ついに,共同親権運動のうねりの中で,声になった
親子は人権であること
お父さん・お母さんが立ち上がったから,きっとキミたちが親になる頃には,親子って,両親が離婚したってずっと親子なんだよ,が当たり前になる未来を造っていける
そうやって一生笑顔を絶やさすことなく安心して過ごして欲しいから
大切なわが子を思う親心を持った親御さんたちが頑張っている
ぜひ
今の子ども時代にも十分に愛情を受け取って欲しい
愛情いっぱいの未来を切り拓く活動と,今もいっぱい愛情を注ぐ活動と
別々だけど,両方がんばるお父さん・お母さんがいるのです
私は,みなさまの子育てを応援します!!
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