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「氏の取得・変更」規定の見直し

先週末の子の発熱(一晩で下がる)からの登園自粛は、働き方の制約をもたらした・・・が、おかげで、Twitterでの旋風を追いかける
ちょうど #アベプラ  が盛り上がる

余波があるのか、夫婦別姓論との関係に話題が及んだりする

ちょうど氏について研究中

本日締め

明治民法中は、「身分行為にともなう個別的「氏の取得・変更」規定は存在せず、氏の身分性は「家」の論理の中にあり、「家」への帰属を示す氏の帰属集団識別機能が、「夫婦の氏」を飲み込んだ。」

 1947年民法改正による「家」制度の廃止は、氏規定の変革を当然とし、氏は「家」=集団の呼称から個人の呼称となったのであるから、個人の「氏の取得・変更」について各々規定する必要が生じた。個別氏規定も憲法24条2項「個人の尊厳」「両性の本質的平等」の理念に立脚すべきであったが、氏による家族共同生活の把握が優先され、夫婦・親子と言った身分関係との関連で夫婦同氏・親子同氏を基本とした氏規定が定められた。そこで、本件最高裁大法廷平成27年判決が示す、民法は共通氏を称すべき一定範囲=家族を定め、氏に家族集団識別機能を与えたとの理解も生じうる。しかし、民法は、「氏の取得・変更」の原理・基準として、親子関係による子の「氏の取得・変更」、婚姻による「氏の変更」を個別に定め、共通氏を称する範囲も多様であり、現行法の氏が一定の家族集団の呼称であるとは言い切れない。ただし、氏規定における身分関係との関連づけが憲法24条の理念に照らし問題を残したことは確かで、選択的夫婦別氏制度導入の議論は、憲法24条に立脚した氏規定のあり方、特に個人の氏についての人格権的性質を強く認識したものであった。


わが家なんて、2:2:1の別姓家族であり、子どもたち3人の氏はそれぞれ違う(全員私が産んだけど!)

中学校では兄の氏、小学校では娘の氏、幼稚園では末っ子の氏で、それぞれの場面でファミリーネームが異なっている

それで全く支障がない

病院に行くのもだいたい、ひとりずつバラバラだから問題がない

インフルエンザにみんなが順にかかったときは、不思議そうに聞かれたことはあるけども、そんなことめったに起こらない

個人の尊厳から考えたら、全く問題がなく、むしろ、それぞれが自分らしさを発揮しているように思う

この議論は、今どうなっているか

2016年に家族法改正研究会・婚姻法グループにより、・・・改正提案・・・個人の人格権の尊重、個人の尊厳、両性の本質的平等に基づいた氏規定・・・、「氏の取得・変更」規定のあり方・・・
 「氏の取得」に関して、子どもの権利条約に基づく出生による氏の取得の権利や、父母を知る権利の保障・・・として、子が出生により父・母の氏を取得することを先ず確認する。子は取得した氏により個人として特定され、人格を育んでいき、また、氏の系譜性から、父・母の氏を取得することで出自を知る手がかりを得ることにもなる。・・・身分行為による「氏の変更」を当然とすべきではない。他方、「氏の不変更原則」の貫徹は、逆に、個人の「氏の変更」の利益を無視し、氏の個人性・意思性を否定することにもなる。・・・一定の場合に、個人の自律的「氏の変更」を認めて良い。
 「夫婦の氏」については、「氏の不変更」=夫婦別氏となるが、当事者がいずれかの氏を共通氏とし同氏となること、・・・「氏の変更」は任意である。任意となった夫婦同氏は、婚姻をする当事者間の協議による共通氏(婚氏)の主体的選択であり、共通氏について夫婦各自が独立した人格的利益を持つことを保障されるべきである。・・・婚姻解消によって、・・・復氏は任意となる。

ここに注釈で、指摘する。「現行の「夫婦同氏強制制度」から、「選択的夫婦同氏制度」への改正提案となり、・・・いわゆる「選択的夫婦別氏」とは異なるが、・・・婚姻の際の「氏の変更」の任意性が保障される・・・。」

選択的夫婦別姓制への反発がかえって強まっているという

任意的夫婦同氏制と呼べば、自由な開放感をもって浸透するのではないだろうか?

わがやもいざ家族同氏になろうと思えば、その手段がある

選ぼうと思ったら選べることがとても大切なのだと思う
ただ次の注釈では、「協議が調わない場合、当事者は各自の氏を変更しない=夫婦別氏がデフォルトルールとな」るようなので、ハードルは高そうだ

さて親権論に関与する議論がいよいよ登場する

子は父・母の氏を取得するから、共通氏を有する夫婦(父・母)の子の氏は、父母の共通氏となる。父母が別氏夫婦である場合、子の権利・利益を踏まえた氏決定ルールが必要となり、出生による氏の取得の権利保障として、氏の決定時期は出生時とし、父母間の協議により父母のいずれかの氏を子の氏とする。・・・別氏夫婦の子は、すでに父・母のいずれかと氏を異にしており、兄弟姉妹間での氏の統一を強制的に実現するほどの重要性はないであろう。・・・

選択的夫婦別姓制が阻まれている理由が見えてきたし、覚悟をもって向き合ったときの突破口も見えてきた

3人きょうだいがバラバラのわが家からしたら、兄弟姉妹間での氏の統一を強制的に実現するようなものへの興味はないわけで、現状で十分である

3人バラバラなのは、一人は連れ子という事情がある

もちろん、その一人も含めて、家族同氏にする方法さえあるものの、それはその子のアイデンティティとは異なるのであり、そうなれば、一人だけが別氏というのもどうも違和感がある

そうするとわが家の2:2:1の別姓家族は、この上なく、わが家らしい心地よさで満たされているのである

元々、生まれた家族はふつーすぎる核家族だったので、弟も当然同氏だが、なぜか、氏で呼び合ったりすることもある(古賀同士)

別氏のきょうだいは、お互いにちゃんづけかあだな(お兄ちゃんとも呼んでないかも!?)、それぞれ個性を尊重して対等かもしれない(ひとりだけお姫様である点も含め)

学問として研ぎ澄ましてたどりついた点に全く異論がないものの、いざ、戸籍にも切り込んでいかねばならないことのハードルの高さをも想像してしまう

氏と親権を切り離すことには成功していたが、共通氏と共同親権は連動していたという発見

これを切り離していくこと、すなわち別氏父母の共同親権を認める(選択肢を用意する)ことが、個人の尊厳を徹底していくための一歩に思う

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