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婚姻中単独親権制を考える

昨日は、都内の各裁判所での調停をはしご(午前中が本庁で、午後が立川だったため、中央線を往復するはめになる)して、夜は、まるでオフ会のようなライブイベントに参加した

なんのライブって、こちら

共同親権討論会!!

憲法学者2人、実務家、民法学者の4人がそれぞれの立場からプレゼンされ、よき学びの時間となった

同志たちと学びをわかちあうこと自体が心地よい

うなづきっぱなしの2時間、感じたことは、現状=協議離婚頼みの自由放任離婚制度は維持できないのではないかっていう課題が共通している、ということ

賛成・反対の対立ではなくて、課題があることは明らかである

参加者による詳細なレポも参照して、振り返りの時間も楽しい

余韻に浸りつつ、思考ゲームを進めながらたどりついたのは、婚姻中単独親権制について

質問者の指摘もヒントになるけど、それだけ、「共同親権」が無益・有害であるならば、婚姻中も単独親権制を選択できた方がいいという議論だってありうるじゃないか!!

って、実は、実際、今、私は、単独親権で共同養育(事実婚パートナー・離婚した元夫とは別人)を実践しているわけで、たしかに、父母尊重しあい協力して育児を分担している以上、共同親権の必要はない(今日も、一緒に、個人面談に参加したが、先生は、どちらかが親権者でどちらかが非親権者であることを意識することなく、両親に対し丁寧に面談してくださった)!!!

さて、実は、この婚姻中単独親権制こそ、連れ去り抑止に役立つのではないか、とも思考がたどりつき、本日の画像選択に偶然登場した例のマークを添えて語る

婚姻中の共同親権中に連れ去りが起きるので、離婚後共同親権があっても連れ去りを抑止しえないから、共同親権導入より連れ去りの禁止こそ必要論

・・・なるものもあるが、そうとは限らないという立場に私はある

離婚後単独親権=離婚時には単独親権者を指定しなければならない仕組みが、その指定に際して有利になるべく連れ去りを誘引すると考えられるため、離婚後共同親権の用意があれば、連れ去りが誘引されることはなく、抑止に貢献すると考えられるからである

これと同じように、婚姻中単独親権においては、すでに、単独親権者が指定されているため単独親権者の指定に際して有利となるために連れ去る必要を欠く

非親権者が連れ去れば、ひょっとしたら違法として人身保護請求等の裁判手続きに服する場合があり、リスクである(主たる監護者であったという主張立証が果たされた場合の親権者変更手続き等の余地はあろう)

親権者は元々単独親権者なので、単独親権者として指定されることを目的として連れ去ることもしない

両親のどちらも連れ去らないのだ

親権者指定協議の必要もない

法律婚をして共同親権になっているからこそ、いざ法的身分関係を変える(=離婚)するには、協議が成立しなければ、裁判所での手続きを要し、離婚に伴い単独親権者を指定することが義務付けられてしまうところ、その協議自体が負担となって、父母の関係を悪くさせ、およそ共同養育を遂行するための協力関係構築を難しくさせる

婚姻中単独親権の場合、父母が夫婦関係を解消する場合において、親権者の指定のための協議をする必要はなく(すでに指定されている)、協議の要が共同養育=育児の分担に関する具体的方法論(単純な養育費の分担、面会交流のあり方の議論と重なりうる)に専念しうるのである

父母が一緒に暮らしながら共同養育していた方法から、別々に暮らすことになりながらも共同養育する方法に変わるにあたって、いずれにせよ共同して養育責任を分担する点を維持しながらも、具体的な方法だけを変える協議であれば、前向きに建設的な協議が実現しうるのではないだろうか

さぁ、では、婚姻中単独親権になる方法は?

夫婦としての実態ある生活をするが、婚姻届を出さない事実婚によることだ

そのメリットは、法律婚のリスクを知れば自ずと、それらのリスクを回避しうるだけでも単純に肯定できる

さらに、きっかけとしては、婚姻したからといって、夫婦のどちらかが氏を変えることが強いられることはおかしい、と指摘することで、これまた自然と、選択肢として紹介することができる

事実婚、婚姻中単独親権による子育てという選択肢を、ぜひ、結婚に際して考え、話合いを尽くしてほしい

「そんなことより、早く婚姻届を出したい」はキケン

要はそういうことである

男性が望むのか、女性が望むのか、それはわからない

離婚経験のある私がいうのもあれかもしれないけど、それでも、離婚した私ですら、婚姻届を提出したことがあるときは、とてもよく考えた

婚姻届提出後も、戸籍上改姓があっても、なるべく通称使用を貫く暮らしへの挑戦(学校生活上は楽だったけど、思わぬ地雷もあったものだ)

当時まだ残っていた婚外子の相続分差別規定ゆえの、嫡出性への配慮も頭によぎる

最終的に離婚した以上、婚姻届を出しておいてよかった、とすら言える(法律婚は、離婚の備えとして役立ちうる、にしても、そんな離婚のための結婚って一体・・・)

そこまで考えても離婚する

考えなかったときに離婚したときの地雷の爆風は半端ないということである

生涯添い遂げよう、来来世まで共に生きようという愛があれば、婚姻届の必要も感じない

共同親権すら不要である

驚いた! まさか、私が共同親権不要論にたどりつくなんて

思考パズルとしては大変興味深い試みとなったが、言いたいのは、家族になること、家族であることについて、自由に任せられている(公的な介入が乏しい)日本だからこそ、よく考えること、よく対話すること、それが愛のある家族ってことではないか、ってこと

最終的な結論として、婚姻届を提出して、共同親権であってもいい

だが、婚姻届も、一つの戸籍に記載されることも、共同親権も、ふたりを繋ぐ赤い糸にはなり得ない

ひとつひとつたしかめて、お互いの心地よさに想いを寄せ合えてこそ、婚姻届にも、戸籍にも、共同親権にも頼ることなく、家族の中の愛を暖め続けることができるのではないかしら

そうやって、もちろん、愛が続く中で子どもが育てられれば理想だけども、万が一にも、愛を失ったからといって、その子の福祉が損なわれてしまっては、あまりにもリスクである

両親同志に愛があるのかないのか、子どもの立場ではどうしようもできない事情で、一方は愛に包まれ、他方は貧困リスクにさらされて、深刻な格差の結論を強いられるとしたら、あまりにも無慈悲な人生を背負わせることになってしまう

だからこそ、子どもの権利を守る技術として、共同親権・共同養育である

夫婦としての愛を失っても、父母としての尊重・敬いを努力して、責任をもって、子どもを健やかに育てていくこと、そのために、社会が・国が支えていくこと

それが子どもたちを育てるという責任であり、子どもの権利条約を批准した国は、その責任を全うしなければならない

ああ、やっぱり、共同親権制の導入が必要という結論になる

共同親権は技術としての意義を持っている

子どもの福祉を損なわないための仕組みのために、もはや肯定しえない現状を克服する議論が急務だろう

まさに育児支援ともいえる

共同親権という育児支援をしていくことになるのである!!

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