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#親権 学ぶ ~川田教授の提唱

川田教授の論稿から学んでいる。

冒頭、民法818条、819条を指摘して始まる。

・・・非親権者の子に関する権利義務については、長い間一般にこれを否定するか、あるいは少なくとも無関心であった・・・。
 しかしながら、最近ことに、子の監護をめぐる父母間の紛争が増大するについれて、非親権者についても、何らかの権利義務を考慮せざるを得ない状況が生まれてきているものと思われる。
 たとえば、父母の間で子を奪いあうといった紛争が量的に増大し、かつ次第に激しさを加えてきた背景として、しばしば、核家族化の進展、子の出生率の低下、男女平等・共同親権の観念の普及・・・、離婚後の非親権者が事実上親たることを否定されるに等しい法的地位におかれること・・・。

真理の探究という学問的活動を極める研究者は、未来を予知する力があるのだとつくづくわかる。上記指摘の上次のようにいう。

・・・親権・監護権への固執を招き親権者の指定・変更等の事件を増大させ、かつ解決困難なものにしている・・・。・・・この種の紛争の解決基準として、「子の利益」を強力に前面に押し出しつつあり、今後もその方向への進展が望まれるが、非親権者が紛争の一方当事者となるケースにおいて、非親権者の権利義務を不明確にしたまま、裁判所の「後見的」役割を盾に大上段から子の利益のみを強調しても、・・・好ましいとはいえない・・・。・・・たとえば、単独親権者が子を再婚相手(継親)と養子縁組させた後の非親権者による親権者変更申立について、・・・子が共同親権に服するに至ったことが子の福祉に適合するとの理由のみでこれを排斥するが、そのように非親権者の主張を無視して形式的に「子の福祉」といってみても、一般的な納得は得られず、この種の紛争の続発は妨げないであろう。

平成26年最高裁は、ついに、再婚養子縁組後共同親権状態であれば、親権者変更を門前払いとする判断をしたが、これが、共同親権法制化を不可避とせざるを得ない文脈に通じる。

非親権者の権利性を否定できない背景について、次の点もいう。

・・・面接交渉権・・・を承認する場合も、・・・養育費の負担の問題にしても、親権とは別であるとする・・・、いずれも親としての当然の権利義務として位置付けられてきている。しかし、非親権者の一般的権利義務が否定されていながら、これらの権利義務のみが無制約に強調されることが、それらの権利義務の今後のあり方として望ましいといえるか疑問である。非親権者を親権関係からまったく排除してしまうことが、かえって無責任に面接交渉権を主張させ、あるいは「親権者同時に監護教育の費用負担者たるはず」という「常識」を流布させるという逆説的効果を生み出している・・・

結果、非親権者の親責任としての自覚を後退させ、現在、ひとり親家庭における子の貧困問題が深刻になっている。なるほど、である。

貧困は虐待の温床にもなる。

共同親権制への懸念もいくつかあっただろう。しかし、単独親権制を維持したがために、どれだけの幼子の涙をのみ、心を痛め、そして、命すらも奪われていったかもわからない。

学ぶということは、前を生きることである。そのために過去を知らなければならない。

もう足踏みを続けるわけにはいかない。

学びはつづく。

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