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共同親権制法改正が秘める可能性

議事録更新ー

GWに読み進めて、GW明けに公開読書note10連載してからの、ウェビナー予定って感じかな

いよいよウェビナーから1周年である、第11回目を扱うけど、9回と10回を強引に一気にやったから、10回目のウェビナーである

最初は、議論というより、現状の問題点の共通理解を得るために、まどろこしくヒアリングを重ね、最近のテーマは、専門過ぎて議論がかみあっていないように思うこともあるなか、議事録公開が待ち遠しすぎて、その他文献探しなど寄り道している間に、法制審家族法制部会のメンバーの発表する論文などをあれこれ学んだりすることもできたりして、議事録の読み方に深みができてきたり

リアルタイムで議論を追いかけているということ自体が貴重な体験となっている

途中、もはや、自分の研究表明の場になったりもするウェビナーではあるけども、それゆえ、来るべき親子に優しい制度像のイメージを膨らませていっている

だからこそ、法改正前の単独親権制の今、何が欠陥しているのかもよくわかるし、それゆえに、厳しくも自律したスキルについても提示する次第である

法改正によって、当該スキルが全く不要になる、というと、そうとも限らない

この共同親権法改正が世界から遅れに遅れて、多くの親子を犠牲にしてしまっているのは、問題の捻じれ現象にあると思う

国家が家族に対しては遠慮して、私的自治を尊重するというスタンスの一方で、その家族については、国がやや硬直的にモデルを固定化するという、大きな大きなお世話をしているわけだ

私的自治どころか、かなりの公的介入でもある

ここにねじれがある

国が想定する家族にさえあれば、家族の自律が尊重され、国が良くも悪くも介入することはない

DVにも親和する

これもDV、といったところで、不問にされていく

共同親権制の法改正は、国家と国民の距離の見直しでもある

国が管理しやすい家という単位を家族と認め、家長に管理を任せる他、国家が介入することをしないという単独親権制におけるモデルと異なり、共同親権制においては、個人の尊厳を大切にすることから、家族の構成員が家族の形は自由に決めていいが(別姓婚も同性婚もある)、構成員の個人の尊厳が蔑ろにされる自体は放置しない

いきなり処罰というわけではないが、支援的なアプローチを含め介入することで、それぞれの個人の尊厳を守っていく

親同士も、子どももそれぞれを独立した人格主体として尊重していくのである

婚姻中共同親権、だから都合がよかったものを維持するための共同親権制ではない

単独親権制下におけるそれとは全く異質である

法教育の問題に通じるかもしれない

婚姻中であっても、当然、共同親権というより個人の尊厳を意識して、家族同士尊重しあえる関係性を築いていくことができるか

そのためには、ルールの遵守が必要になり、だからこそ、お互いに心地よく共同生活を営むだけの自由も守られていくわけだが、法教育が乏しい日本においては、ルールといえば、支配であり、窮屈なもののように考えてしまうものだったりする

ここが悩ましい

共同養育を円滑に遂行するための小手先のテクニックにとどまらない理解が求められるというわけである

そして、それが、次世代にも伝えるべき大切な社会性でもある

家族は最小単位の社会である

人間は社会的な動物である

授乳され哺育され、ひとりで歩くだけの自立ができれば、それで食べていける、というような動物ともやはり違う

社会の中で、生き抜くための、作法やマナー、気遣い、言語・計算・表現・記憶・・・あらゆるスキルを身につけるよう学習しながら、成熟していく

人と人との関わりの仕方も学びながら習得していく

競い排斥しあう以外の協調関係によって成果を獲得できる場合もある

これもまた、日本では、忖度というネガティブな評価による方法が蔓延したりもする

まだ対等な人格同士尊重しあう社会での対応の仕方自体未開拓ともいえる

日本には根付いていないものを取り入れていこうというもので、それがSDGsだったりするはずだ

従来の家族の形であること自体が維持不能で機能不全に陥る

家族らしい家族の中で、自分らしくが尊重されるために

共同親権制法改正が秘めている可能性は、離婚後の親子の問題にとどまらないかもしれない


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