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弁護士が届けるHappyMarriage

憲法24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦は同等の権利を有することを基本とし、相互の協力により、維持されなければならない。」と規定されています。

もう亡くなっていますが、大正生まれの祖父母は、お見合いでもなく恋愛でもなく、親の指示に従って、逆らうものでもなく、夫婦になったといいます。戦後の復興期、家族になって支え合って生きることは、自由恋愛の結果ではなく、生き抜くための仕組みとして、結婚、そして家族形成が機能していた時代。男子には厳しく躾として手をあげたことも、そして、妻も夫の言いなりになるよう命令するような。時代が違えば、即離婚推奨でしょうね。離婚という選択自体困難だった。働いて育てあげて孫が生まれたその先に、早々に認知症を発症し徘徊から寝たきりとなった祖父を懸命に介護したのは祖母でした。情はあったといいます。今ほど在宅介護支援が充実していない頃、オムツの交換をするのも大変な労力。徘徊してしまうので、夜通し親戚一同で探し回ったこともあったとか。ついに入院することになった後も、毎日のように食事介助に祖母は通うのでした。私は遠く離れて暮らしていたので、たまにおばあちゃんちに泊まりに行くときに垣間見るだけ。おばあちゃんにも息抜きを、と、旅行に誘い、何泊か、介護の日々に休息をとることがありました。休息の間、おばあちゃんに替わって食事介助などを分担していたのだけど、旅行から帰ってきたあとおじいちゃんは、なんとなく弱ってしまいました。その数か月後、肺炎から亡くなってしまった。小学校6年生のことでした。

夫婦ってなんだろう。穏やかに看取ったのは美談なのか。老々介護・在宅介護の重い負担。未亡人となったおばあちゃんは、旅行に行ったり、デイケアサービスを利用したり、お茶仲間とあたたかいお縁でひなたぼっこをしたり、充実した余生を過ごしていたものの、体への負担が静かにむしばんでいたのか、10数年後末期のガンが判明し、ほとんど手を尽くせないまま亡くなりました。おばあちゃん子の私は、遠方に住んでいたとはいえ、旅行を一緒に行ったり、青春18きっぷで一日中電車に揺られておしゃべりをしたこともあった。もっともっとおばあちゃんと居たかったけども、叶わなかった。

おばあちゃんとおしゃべりしながら感じた個人的な思い、家制度、嫁、夫に服従する妻、固定的性別役割、戦後の結婚観、身近に存在した藁の上の養子問題、家族にまつわる不合理な問題が、家族法への関心を高めていく。教育学部で一番勉強したのは家族法ゼミ。知れば知るほど民法が定める夫婦の規定に違和感を覚える。巷の結婚観と法律上の婚姻イメージのギャップ。嫡出子差別の重さ。夫婦別姓の問題。知れば知るほど、違和感を覚えるほど、生きづらさも覚えることになる。

そのあと司法試験を目指すときに知る。家族法分野は試験では極々少ないので、捨て問にすることもあるということ。大好きな分野での勉強が試験対策に役に立たないと打ちのめされる。

司法試験受験は長く苦労するものがあったけども、今となっては、家族法ゼミでの学びが糧となっている。

憲法は、両性の合意だけで婚姻が成立するといっている。同性婚も夫婦別姓婚も、別居婚も、週末婚も、夫婦対等に家事育児及び稼ぎをシェアする共働き婚も、その夫婦が好きなように決めていいはずだ。でも、どういうわけかエラー多発して、日々家庭裁判所の調停室は離婚問題であふれている(相続問題もあるのでしょうが。。。)。離婚問題に直面したときに、こんなはずじゃなかったと叫んだところで手遅れだ。知らなかったのは不幸かもしれないけど、誰も救うことができない。

そんな悲劇の前に、誰もがHappyMaririagを自分のものにできるように、事前に知っておきたいことを伝える使命を果たしたい。

離婚で深い傷を負わないことが願いだ。

そういう次第で、note始めました。

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