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 この季節、前橋には肌に刺さる風が吹く。日本海側の地域に雪を降らす湿気った風は、山々を越えて乾燥風となる。上州名物「からっ風」と呼ばれ吹き降ろすそれは、頬が擦れて痛い。僕は「今日の風はとくに刺さる」なんて言ってみたりする。

 夏は毎日のように夕方の雷轟を聴く。温泉地としても名高い伊香保(いかほ)は、上毛三山のひとつ・榛名山が雷山「いかつほ」と呼ばれた由。迅雷風烈は県境の山を越えてやってきた季節の便り。

 同じく上毛三山がひとつ・赤城山の麓は灰土による水はけがよく、桑畑は今より広がっていたらしい。県内で育ったならば知らぬひとはいないであろう『上毛かるた』(某TV番組でも紹介された)には「け→県都まえばし糸の街」「ま→繭と生糸は日本一」という読み札があり、養蚕の盛んな生糸のまち「マエバシ」はシルクロードを通じて欧州にも知れ渡っていたという。

 僕が生まれ育った「水と緑と詩のまち」はこの十数年の間にずいぶん姿を変えた。

物みなは歳月と共に滅び行く 
ひとり來りてさまよへば 流れも速き広瀬川

何にせかれて止むべき 
憂ひのみ永く残りて わが情熱の日も暮れ行けり

過ぎゆく日々の泡、変わりゆく郷の姿への想いを詠んだ郷土の詩人・萩原朔太郎の胸の内を、十年ぶりにこの土地へ舞い戻ってきた自分自身の気持ちに重ねた。

 前橋の実家で母が所蔵していた『ユリイカ(青土社)』は、学びの浅い音大学部学生の僕にはとても勉強になる資料だった。大学長期休暇の帰省で父の書斎を漁っていたときにみつけた、萩原朔太郎本人による詩と音楽の関係を巡った論考が収められていた巻号はとくに興味深く読んだ。音楽家に突きつけられた論には、R. ワーグナーの歌劇(楽劇)への痛烈な批判やC. ドビュッシーの創作法への言及、R. シュトラウスへの賛辞、そしてなにより、「作曲家には安易に詩を提供してはならぬ!」という文章が面白く、現在の僕の創作にも大きな影響と示唆を与えてくれた。これらのアーカイブも僕の帰郷とともに両親の本棚へ戻ってきた。

 東京での暮らしは、日頃ぼんやり気味の僕にたくさんの刺激を与え、最新を学ぶ機会を恵んでくれたが、音大大学院を修了してからは「なんとかなる」「世間が生かしてくれる」なんて暢気っぷりが災いして、その後の3年程は明日食べていくのもぎりぎりの毎日を送ることになった(今でも貧しいことに変わりはないけれど)。同時に「なんとかなる」は暢気がゆえの心の支えでもあった。

 三十路を目前に控えて、新たにライフスタイルを築くことになったこのタイミング。引越からひと月過ぎ、新年も明け、三が日が過ぎた頃の抱負―――世間の荒波に揉まれた東京での暮らしのこと、からっ風が吹き降ろす群馬での暮らしのこと、音楽を通じて暮らす端くれの、当てもなく、果てしない旅路の”これまで”と”これから”を綴ってみようというもの。こんなネットの在で読んでくれる人がいるのかはわからないけれど、思考整理のつもりで、ついでに少しでも面白おかしく書きつけられたら・・・という次第。

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