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路頭に立って、途方に暮れても

 音大の大学院を出たからといって音楽の仕事があるわけではない。正確には仕事に結びつくような積極的な働き掛けを行なってこなかった私のような者にチャンスは巡ってこないのだ。大学院の修士まで行かせてくれた両親にこころから感謝する一方で、「自分はなんという親不孝者だろう」という思いが数年にわたって私の胸を締めつけてきた(今もそう変わらない思いで過ごしている)。

 フリーランスの音楽家になるという憧れはなかったが、「なにかしら音楽以外の仕事で生計を立てながら音楽を続けたい」という漠然とした思いは、つまり“そういう何者か”になりたかったという夢に違いなかった。

 現実は厳しく、アルバイトをこなして暮らしていくのもままならないほど貧しかった。あるときは長年大切にしてきたCDや本のコレクションを売って生活費に充てたこともあったし、眠れぬ夜を何日も過ごしながら、胸いっぱい広がる胸のざわつき、焦燥の日々には耐え難い苦しみがあった。

 バイトだけでは足りないと思い立ってある派遣会社へ登録したとき、その後の説明会に出席したのは私ひとりだった。広い会議室ような静かな白い空間にただひとり座って待っていると、その”おじさん“は入ってきた。社員のおじさんは私を一瞥してから「どうも、よろしくお願いしますね」と朗らかに笑った。身なりから私がどのような者なのかを見透かしたのかもしれない。私はデニムジーンズ、Tシャツにジャケットを羽織っただけ、顎髭を生やした野暮ったい適当な格好で参加してしまい、あぶれたフリーター(にもなれない)とすぐに見抜いたのだろう。実際、その通りだった。
 この時世ゆえに派遣登録に来る若者は多かったのだろう。そんな若者の夢を見抜いてか、おじさんは説明会の資料を差し出しながら「こんな堅苦しい説明会なんかやってもね」と言って椅子に腰掛けた。

「お名前は?」「山邊です」「山邊さん、説明会はひとりだしやってもしょうがないよねえ」。私は面食らってしまい、はあ、と気抜けた返事をした。
「山邊さんはなにか仕事をされてたんですか?」
「バイトと、あと音楽を少し…」
「音楽!楽器とか」
「作曲を…クラシックというか」
「へえ!私の息子も映画をつくっててねえ…」
 あれよあれよとおじさんのペースに乗せられて、私は身の上を語っていた。それどころか、映画のタイトルは知らないものだったが、私もご子息が監督をされているというその映画製作の話に興味をそそられていた。映画が売れているかどうかということよりも「創作はいいもんだ」と話すおじさんの言葉に私は救われていた。派遣登録の説明会にきているというのに資料の項目など全く無視、音楽やら映画やら趣味にやら、まるで喫茶店や飲み屋で居合わせた客同士が話に花を咲かせている様だった。

 その日は昼過ぎから4時間ほど喋っていただろうか。おじさんは話の合間々々に「説明会やってもねえ」とはさみつつ(本当に面倒くさかったのかもしれないが)、ほとんど業務を放棄していることにはためらいもなくあっけらかんとしており、その清々しさに私はのこころのざわつきは和らいでいたように思う。
「最後に大切な項目だけ確認しましょう。個人情報の取り扱いについて…」
 配られた資料の最後の数ページをめくりつつ、説明会という名の雑談はあっという間に終わった。派遣会社のドアを後にして雑居ビルから出たとき、初夏の夕暮れと空気にほっとして、少し晴れやかな気持ちになったことを覚えている。

 あのときのおじさんとの談笑に、なにか自分の生き方が許されたような、「それでいい、そんな生き方でも構わないから」と背中を押されたような気がした。今思えばおじさんはだいたいの人に同じような話をしていたのだろうが、すべては一期一会、誰の言葉が自分にとっての救いや激励となるかはわからないし、自分の何気ない言葉や態度が誰かのそれになっているかもわからないのだ。

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