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Shooting Star's Short Stories





誰もが小さな祈りを抱いて、その夜を越えていく―――





『大原かえで』



 都会では流れ星が見えない、と昔、誰かが言っていた。

「誰だったかしら……」

 入学式が無事に済み、授業開始を明日に控えたその夜。かえでは帝都看護から程近い自宅の自室で、明日の確認をしていた手をとめ呟いた。広々とした和室だ。本来、家族と暮らしていた自宅は都心にあるが、帝都看護で教員として働くことが決まった数年前、娘想いの親が”ぽーんと”用意してくれたのが、このお屋敷だった。

 普通のマンションかアパートを借りるからいい、とかえでは主張したが……それも出来るかぎり強く主張した……つもりなのだが、その主張は当然のように退けられた。

 元は大原家の親戚筋が住んでいた家らしい。現在、その親戚筋は海外に移住しており、空き家となったこの家に買い手が付かないまま、かえでの親が管理を任されていた、と。

 洋間はひとつもない純和風建築で、たしかに今どき物好きでもなければ住みたいとは思わないだろう。今でこそ慣れたが、かえでも当初は戸惑いを覚えながら屋敷暮らしをしていたものだった。

「…………」


 手をとめ、ぼんやりとしたまま、時間が過ぎていた。ふと我に返り、ゆるく頭を振る。

「いけないいけない、まだ酔いが残っているようね」

 元来、アルコールには弱いほうだ。

 その自覚はあるから、なるべく飲みの場は避けるようにしている。なのに今日は先輩教員に捕まってしまった。『明日からの生徒指導や教育方針に関して、先輩として話しておきたい』と言われれば断る術はない。そう、今年が初担任となるかえでとしては。

 ――やー、今年の新入生は期待できそうだね。粒ぞろい。面白そう。

 生徒にもフランクに接することで知られる先輩教員は、かえでを連れ込んだ駅前のイタリア料理店でワイングラスを傾けながら、そう笑った。完全に他人事で、楽しんでいた。

 ――面白そうって、そういう言い方はどうかと思いますよ。みな、真面目にこの学校を目指してきた子達なんですから。

 控えめに苦言を呈したが、先輩に気にする様子はまるでなかった。

 ――入学式で居眠りしてる生徒、久しぶりに見たもん。あと、欠席者二名だっけ。入学式でそれも珍しいよね。Wお嬢様ともなれば、色々あるんだろうけど。

 ――大幸あすかさん、武田さくやさん、天藤いつきさん……。

 先輩が挙げた生徒の名前は、すぐに出てきた。いや、かえでは諳んじようと思えば、新入生全員の名前を暗唱することだってできる。

 入学式で居眠りしてる生徒、として挙がった大幸あすか。その隣で、なんとか彼女を……姉を起こそうとしていた生徒の姿も印象的だった。大幸なお、大幸あすかのひとつ下の妹。対照的な姉妹だと思ったのを覚えている。姉妹がともに看護師を目指すというのは、さほど珍しいケースではないが、同じ学年にというのはあまり聞かない話だった。

 きっと仲のよい姉妹なのだろう。その感じはありありと伝わってきた。

 ――武田さんは、ご実家のほうで少々……あったようですよ。天藤さんは武田さんと親交があるようですから、多分その繋がりで。

 ――普通はお嬢様大学に行って、そのままセレブ・デビューとかって流れだろうしねぇ。わざわざ看護師になろうとしなくたって。

 ――立派じゃないですか……。

 反論しながらも、たしかに先輩の言は一理ある……とまで行かずとも話を聞いた者が普通に抱く感想だ。今年の新入生は面白い、先輩の言葉に説得力が出てきてしまったようで、かえでは言葉に詰まった。間がもたずテーブルの上のワイングラスに手を伸ばす。

 ――ま、看護学生もいろいろ、その志望理由もいろいろ。

 ――はい。

 ――覚えてる? 自分が看護師になろうと思った理由……って、大原家の娘さんにする質問じゃないか。

 ――そうですね。むしろ、この世界に入るのが当然でしたし……。

 かえでの両親ともに医療業界の人間であり、ふたつ上の姉も看護師をしている。家の血筋を遡っていっても、その多くが同じだ。幼い頃から何度も聞かされてきた。

 ――それじゃ、まずは当面の関門。明日の授業初日について先輩が大事なポイントを教えてあげよう。

 話題を替えるように言って、先輩は空になった自分のワイングラスに手酌でワインを注いだ。耳を傾けるかえでは居住いを正し、そんな後輩に先輩はわずかに笑みを浮かべ、語りだした。

――明日は、これさえ守ればばっちり生徒達の心を掴めるから。うちの教員達の間で受け継がれてきた口伝みたいなものかな。もちろん、私も一年を受け持ったときには、やったよ。それはね…………


「――――?」


 かえでが、つらつらとした追想から引き戻されたのは、不意に鳴りだした電話の音によって、だった。

 明日の確認をしていた卓上の電話機が、電子音とともに着信の明かりを点していた。発信者の名前を確認し、かえでは小さく深呼吸して受話器に手を伸ばす。数秒待って、受話器を持ち上げ、耳に当てる。

「姉さん。こんばんは」

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