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目の上の『シマリスさん』


 目の上のたんこぶ、ということわざがある。
 蕾ヶ崎高等看護学院の2年に在学中だった看護学生のわたしにとって、その見知らぬ人の名前は、まさに目の上のたんこぶとしか言いようがなかった。


目の上の『シマリスさん』


 思い起こせば、去年の初実習の時からそうだった。
 早朝に実習先病院の詰所前で待ち合わせをして、実習の担当教官にわたしが初めて担当する患者さんを紹介された。

「初めまして、堺さゆりです。
 至らないところもあると思いますが、精一杯、看護させていただきますので、どうぞよろしくお願いします!」

 少し緊張しながらも、用意してきた言葉を噛むことなく言えた自分をこっそりと褒めた。
 患者さんもニコニコしている。
 ファースト・コンタクトの手ごたえは充分だった。
 けれど。

「沢井さんは元気かのぅ?」

 脳梗塞後遺症で入院中の、担当患者さんはニコニコ笑顔のまま言った。

「はい? 沢井……さん、ですか?」
「蕾ヶ崎の学生さんじゃろう? 沢井さんはエエ子じゃった……」
「…………」

 たった3週間の実習で、患者さんの口から『沢井かおり』という名前が何度も出た。
 あまりに何度も出るものだから、覚えたくないのに覚えてしまった。
 どうやら、沢井さんというのは、去年、脳梗塞を起こす前のこの患者さんが、高血圧の教育入院でこの病院にいた時の担当学生だったらしい。
 というか、同じ看護学校でも、学年が違えば接点なんかゼロだっていうのよ!
 沢井さん、誰それ!?
 知らない人の話をされても、わたし、どうしようもないじゃない!
 ……と、文句を言いたかったけれど。

「そうなんですか。イイヒトに担当してもらえて良かったですね」
「そうなんじゃよー、沢井さんはエエ子じゃったんじゃよー」
「…………」

 イラッとしたわたしは、けれど、慌ててにこやかな笑顔を作る。
 相手は患者さんだもの、優しくしないとね。
 腹が立つけど、ここは我慢ガマン……。
 それなのに。
 次の実習でも、その次の実習でも。

「蕾ヶ崎の看護学生さん? 去年、わたしも沢井さんにお世話になったの」
「学生さん、かおりさんは元気? 蕾ヶ崎だと学校は一緒だよね」
「沢井さんって、あなたの先輩なんだよね! 彼女、元気?」

 どいつもこいつも、猫も杓子も沢井かおり、沢井かおり、沢井かおり。
 何の呪いかと思ったわよ。
 初めて担当する患者さんが、口をそろえて、異口同音に、同じようなことを言うのだもの!
 これが呪いでなくて、何だというのかしら!?


 ――そして、今日。

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