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ちあきなおみ~歌姫伝説~22 最後の一年・後篇

 一九九一(平成三)年十一月十九日から翌月二日まで、東京グローブ座において、ちあきなおみ主演の音楽劇「ソングデイズ」(栗山民也演出)が上演された。
 この公演に関して、「読売新聞」に掲載された、ちあきなおみのインタビュー記事を見てみよう。

ミュージカル初舞台の「レディ・デイ」で傑出した黒人歌手のビリー・ホリデイを演じ
たちあきなおみが、再び新形式の音楽劇に取り組む。(略)
第二次大戦後の焼け跡の東京。やみ市で怪しげな食べ物を商う男女、天才スリの少年、
家をなくした復員兵、カストリ雑誌の編集者ら、廃虚から芽を吹く新しい人生模様を、鈴
木聡が群像劇に仕立てた。ちあきは「焼け跡のカルメン」と呼ばれた歌姫を演じる。
歌の化身として位置づけられた役回りで、「歌は人生に強い力を持っている。希望と退
廃の渦巻く中で、歌を太陽のように浴び、活気づいた人たちの心に迫ってみたい」と話す。
劇中歌の選曲にちあきも加わった。
「センチメンタル・ジャーニー」「ビギンザ・ビギン」「リンゴの唄」「東京の花売娘」
「なぜかしら、この当時はやった歌をよく知っていまして」と照れながら、「歌謡ショーやミュージカルにならないよう気を配りながら、ある時はカルメン役で、ある時はちあきなおみの素で歌い分けてみようかと考えて
います」(略)

1991年11月18日付夕刊 読売新聞

 この記事に見られるちあきなおみの言葉は大変興味深い。
 歌と人生を、それぞれの引力を干渉させ合うものとして語る言葉の裏側に、双方の本質を追求した歌手としてのプライドと自信がそこはかとなくあらわれている。そして、「歌を太陽のように浴び」という台詞は、ちあきなおみ独特の豊かな言葉のセンスであり、その感覚は、劇中の登場人物のみならず、この公演を観た観客、立ち会ったスタッフすべての人間が覚えたものであったかもしれない。
 私もまた付き人として、この歌謡ショーやミュージカルではない、歌がある舞台表現に挑戦するちあきなおみの時間を刻一刻と追っていたわけだが、劇中で歌われた「センチメンタル・ジャーニー」(作詞・Bud Green 作曲・Les Brown・Ben Homer)や「ビギン・ザ・ビギン」(作詞・作曲・Cole Porter)を当時私はまったく知らず、「世代の違いかしらねえ」と、ちあきなおみを驚愕させてしまった。
 これは、いつも歌に対してさも知ったかぶりをするわりには、若さの特権とばかりに、無知を露呈してしまった私をカバーする思いやりある言葉に他ならないが、稽古、本番と時が進行してゆく過程で、ちあきなおみの歌の魔術にかかり、一生離れられそうにないな、との思いが私の中を駆け巡ったのだ。

「ソングデイズ」稽古場にて


 そしてこの思いは私の身体を飛び出し、「この舞台でのちあきなおみの歌は、絶対に生で聴いておいたほうがいいぜ!」と、東京キッドブラザース時代の仲間や同世代の友人を劇場へと促したものである。
 そういった気分になるほど、時代や世代を超え、説き伏せられるような歌の力を感じたのは確かだったのだ。まさしく私も、歌を太陽のように浴びた人たちのひとりだったのである。

東京グローブ座 楽屋前にて


 なお、記事の冒頭にある「レディ・デイ」(栗山民也演出)とは、一九八九(平成元)年、シアターⅤ赤坂(現・閉館)で上演された、ちあきなおみのひとり舞台である。
 この芝居はニューヨークのオフ・ブロードウェイで上演されヒットした、レニー・ロバートソン作のミュージカルで、アメリカ・フィラデルフィアの場末のバーで行われた、伝説のジャズ・シンガーであるビリー・ホリデイの最後のステージを再現しながら、人種差別、麻薬、アルコール依存症との闘いに苦しみ、その壮絶な人生を生きた歌姫の人間像を描いた作品である。
 私は事務所に保管されていたこの舞台を記録したビデオを見たことがあるが、ちあきなおみは顔を黒く化粧し、ビリー・ホリデイとすり替わり、歌い語る。黒人の尊厳を懸け、アメリカの人種差別を告発した「奇妙な果実」(作詞・作曲・Lewis Allan)をはじめ名曲を歌い、その歌によって、舞台という虚構空間の中にもうひとつの虚構を仮構して幻想を生成してゆくのである。また劇場にいる観客は、あたかも本物のビリー・ホリデイのライブ会場にいるかのような錯覚に陥り、ちあきなおみを観ることから、ビリー・ホリデイを体験していることへと、その心情は変容したことだろう。
 そして、小劇場という密室で舞台と客席の国境線を越え、観客に直接物語るような緊張感ある迫真のパフォーマンスを支えたのは、ジミー・パワーズというピアニストを演じた、このひとり舞台のただひとりの共演者、倉田信雄である。ちあきなおみが最も信頼し、アルバムの作曲・編曲も担っていた倉田信雄は、その卓越した腕前と感性で、歌の伴奏だけではなく、ビリー・ホリデイの台詞にピアノで受け答えをしたり、合いの手を挟んだりと、観客が陥っている夢を覚ますことなく、まさしく阿吽の呼吸で共犯者ぶりを見せつけていたのが印象深い。
 ちあきなおみが新境地を切り開いたこの舞台は、今となっては最終章の領域に含まれるのが残念でならないが、CDやビデオで商品化されていないことから、文字どおり"伝説"として、知る人ぞ知る史実として語り継がれてゆくに違いない。

 さて、前回記述した「すたんだーど・なんばー」につづき、最後のアルバムとなった「百花繚乱」は、"大人のAOR"(大人向けのロック)をコンセプトに制作され、ちあきなおみの集大成といった趣を帯びている。
 収録された楽曲には、吉田旺小椋佳倉田信雄友川カズキ服部隆之が作詞・作曲・編曲で名を連ね、ラストオリジナルシングルとなった「紅い花」(作詞・松原史明 作曲・杉本眞人)は、一度行った録音に納得がいかず、再度、録り直しをしたという、なんとも感慨深いものを感じてしまう。
 この「紅い花」は、私にとって馴染み深い歌である。最後の一年間、テレビの歌番組、コンサート、ディナーショーでは必ず歌われ、おそらく生で聴いたのは私が一番多いだろう。
 しかし当時、この楽曲で歌われていることは皆目わからず、ただ頭の中でぐるぐると歌がまわっているといった感じだった。
 人生の年輪を重ねなければ理解できない歌詞の内容に私は歯がゆい思いを感じ、作詞の松原史明氏に、「過去の日や、後悔、恋などを歌ったところでいったいなんになるのですか」と悔しさ紛れに問うと、「歌なんてそういうものばかりだぞ」と言われたものだ。このやり取りを、ちあきなおみは面白そうに見守っていたが、現在、そういう歌が染み入る年齢にやっと辿り着けたという喜びは、ちあきなおみ後追い世代にとっての醍醐味というものであろう。
 この歌におけるちあきなおみの円熟味ある歌唱は、まさに絶唱である。静かなるも、男の激しく切ない感情の揺れ動きを的確に表現してみせる技術は、ここはこう歌うだろう、あそこは感情を前面に出してくるだろう、といった予想を裏切らない大方の歌手とは明らかに別物の、ちあきなおみ独自の人生観に裏打ちされたかくし技である。
 松原史明は、歌詞によってちあきなおみに対する想いを、歌手・ちあきなおみに託し、作曲の杉本眞人(歌手表記・すぎもとまさと)もその眼差しを捉え、呼応するかのようにその独特なコードの振幅で、過去への悔恨の念を色濃く滲ませながらも哀感漂う大人の男の色気と、今という瞬間を見事に描いている。
「紅い花」には、歌手とは創作者の代理人と位置づけ、歌うとはなんたるかを追求したちあきなおみの答が、随所に散りばめられているような気がするのである。
 なおこの歌は、一九九五(平成七)年、映画「GONIN」(石井隆監督)の挿入歌として起用され再注目を浴び、同年再発売されている。
 そして二十年の時を経て、二〇一五(平成二七)年に公開された、同映画の十九年後を描いた続篇、「GONIN サーガ」(同)でも劇中歌として効果的に使用され、現在でも多くの映画ファンに印象あるシーンで流れた歌として語り継がれ、また、すぎもとまさとのセルフカバーをはじめ、五木ひろしダイアモンド☆ユカイ鈴木雅之などがカバーし、歌い継がれている。

 さて次回は、このような最初で最後の一年間以前の、一九八八(昭和六三)年のちあきなおみの活動について目を向けてみたい。
               つづく



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