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ちあきなおみ~歌姫伝説~39 恋しぐれ

「おい、はじまるぞ」
 空席を隔てて横にいたゴッド(友人)が、私を促すように声を掛けてきた。
 日本ガイシホールに集う観客は、皆一様に、それぞれの世界をあいみょんと構築しているように見受けられた。その歌には、聴き手が埋めるべく空白が十分に残されている。この歌手も、自らが自らに与えた歌詞やメロディには収まらない呪術師であろう。

 「裸の心」のピアノイントロが流れていた。
 馴染みの喫茶店でこの歌を聴いてから、私の神経は妙に不思議な刺激を与えられ、是が非でもライブで聴きたいという欲望に駆られたのである。どことなく、この歌を「喝采」と重ね合わせている自分がいるのも確かである。
 あの、昭和歌謡に宿るわびさびの心という種子が、歌の中に潜んでいるように感じられる。
恋を、もの悲しく、切なく、そして儚く歌い上げるひとりの女性に、私は心を裸にされるように感じながらステージを見つめた。

好きになってはいけない、と思いながらも、好きになってしまう。

忘れようと思えば思うほど、忘れることができない。

この寂しさを、どうすることもできない。

ただ、悲しい歌をうたうしかない。

それが恋というものであろうか・・・・。
 

 考えてみれば、五十代半ばを迎えようという私のような男が、恋について想いを巡らすことなど、日常生活の中ではもはや非日常的な〝なにごと〟に他ならない。しかし、そのような機会を与えてくれるのも、歌が内包するひとつの魔性であるのかもしれない。

 私が本気で恋をしたことがあるとすれば、ちあきなおみその人、ただひとりである。それも歌っている姿にではなく、歌うことをやめた姿に、である。
 
 私がちあきなおみと出逢ったのは二四歳のときだった。現場マネージャー兼付き人として、個人事務所であるセガワ事務に入社したことによるものである。実はこのときより以前にも、縁故者の伝手により社長である郷鍈治から声を掛けてもらっていたのだが、世代的にピンとくるものがなく、はっきりとした回答を出しあぐねていた。しかし当時、役者、作家、ディレクターといった、なにかものを表現する仕事に就きたかった私は、なにはともあれ表現世界内部へ入り込めとばかりにこの話を受けたのだ。
 そして、この軽薄な考えは、入社面接で郷鍈治と対座したとき脆くも崩れ去った。私はこの男の側にいたくて、入社を逆に請うこととなったのだ。
 郷鍈治は、ハリウッド映画でも通用するほどの存在感と、悪役としてただならぬ色気を感じさせる類まれな映画俳優だった。しかし素の姿はその風貌とは異なり、無欲で、邪気の少ない人だ、との印象を私は受けた。その印象は、その後仕事を通じて接する上で私に輪郭と影響を与えていった。
 当時、私から見ればちあきなおみという歌手は、すでにレジェンド感が漂い、はじめて生で歌を聴いたときは、心を刺されたように感じ、全身が痙攣したかのように震えてしまったものである。私はちあきなおみに付いていることで多くのスタッフから持ち上げられ、些か天狗になっていた時期がある。しかし、俳優をやめ、ちあきなおみの総合プロデューサーであった郷鍈治の姿勢に襟を正した。
 郷鍈治はちあきなおみのマネージメントにおいて、頑なまでに守りの姿勢を崩さなかった。外部からの仕事のオファーを受け、相手側との電話でのやり取りを私はいつも側で聞いていたが、どのような好条件を提示されてもその返答の大半は「NO」であり、時には内部のレコード会社関係者にさえ声を荒げることもあった。郷鍈治はちあきなおみをただのコマーシャリズムとして使わせることを許さず、舌先三寸と少しでも疑えば断固として首を縦には振らなかった。それは「ちあきなおみ」という名前を傷つけられてはならないという、確固たるマネージャーとしての信念だった。邪気の少ない人間ほど、他者の邪気には敏感であり、そのような心や意といったものを嫌悪し、また恐ろしくも感じるものであるだろう。郷鍈治の人間性から鑑みれば、ちあきなおみを守ることは、裏の部分では大変苦しかったことであろうし、表だけしか見ていない私などには計り知れない気苦労を抱えていたものと思われる。しかし、その宿命を自身のプライドとする姿に、私は男のドラマを感じ、ちあきなおみへの無償の愛を見たのだ。
 ちあきあおみもまた、人間、マネージャーとしての郷鍈治に全幅の信頼を寄せ、
「私は郷さんの言うとおりにやっているだけ」と言っていた。
 しかし、このとき郷鍈治はすでに病魔に侵され、余命いくばくもない状態だったのだ。ちあきなおみは献身的な看病の傍ら仕事をこなし、病院に付きっきりで寝泊まりする日々を送った。だが、郷鍈治は五五歳という若さで他界する。
 郷鍈治亡き後、私がちあきなおみと過ごした七年間は、ちあきなおみが断歌を決意するに至る時間だった。
 時は一九九〇年代、時代はバブル経済が破綻し、株価と不動産価格が暴落。企業の倒産が多発し、多くの金融機関が淘汰された。その大不況の煽りは、就職氷河期の幕開けとなり、現在の社会状況の課題にも通底する、大量数の派遣労働者、フリーター、ニート、ひきこもりを生成させる時局へと日本を陥れてゆく。九五(平成七)年には阪神・淡路大震災が発生。そしてオウム真理教事件が世の中を震撼させ、未成年による猟奇的な凶悪事件が多発し、日本は不景気と相まって、深刻な社会不安という影に覆い被さられていた。

 そんな時代背景の中、ちあきなおみは、郷鍈治の死をもって、ちあきなおみという歌手を完結したいと願ったのだ。

「ちあきなおみは、もういないの」

 私は何度もこの言葉を本人の口から聞いた。時として、この言葉は自らを説き伏せるかのように感じられたこともある。それでも私は、ちあきなおみは必ずもう一度歌うだろうと信じて疑わなかった。たとえ歌の中の人物と自身の心情が絶望的に絡み合ったとしても、その身体に刻印された悲しみを歌い切るだろうと、そう思い込んでいたのだ。
 だが、ある日見た光景が私の気持ちに劇的な変化をもたらした。
 ちあきなおみは毎日のように郷鍈治が眠る寺へ参じ、花を供えていた。私は車で寺への送迎だけをして、一緒に手を合わせることはなかった。しかしその日、あまりに帰りが遅いので、私はそうっと木の陰に佇んで姿を追った。ちあきなおみは墓の前に座り込み、泣きながら墓碑を手で撫でていた。斜陽は赤味を帯びてその場を射していた。見上げる空は霞がかり静かに暮れていった。私は自分を傷つけるように視線をもどした。ちあきなおみは墓碑に顔をうずめて泣いていた。その夜色の底から聞こえてくる泣き声は、夥しい旋律の綾糸で、私の身体に憂愁の情を織り込んでくるような、死ぬ気で泣いているような、美しき魂の歌声のようだった。もしも、この暗闇を永遠の暗闇に閉じ込めてしまえるものなら、私はこの場にちあきなおみを殺めただろう。もう二度と、郷鍈治が守り抜いた「ちあきなおみ」という名前のどこにも指紋を残されるのは嫌だった。

「悲しくて、悲しくて、どうしようもないの」

 ちあきなおみは悲しみを自分ひとりだけで抱き、悲しみに抱かれ、悲しみで溺れていた。郷鍈治を亡くした悲しみは、生きている限りつづき、人生をばっさりと斬られたように見えない血が流れつづけるのだろう。
 だれしも人は、愛する人を喪えば壊れてしまう。その相手がだれであろうとも、人を愛するということ自身のうちに罪と悲しみが潜んでいるのである。
 
 私はひとり、車で夜の街へ繰り出し首都高速道路に乗った。ちあきなおみの悲しみは、愛することを知らない自分には到底理解できない。それが悲しかった。
「悲しくて、悲しくて、どうしようもないの」
 この言葉を脳裏に何度も再生させた。私はルーレット族と呼ばれる、環状道路を高速で走行し周回の早さを競う集団に挑んでいった。速度計の針は100キロを超え、徐々に上昇の一途を辿ってゆく。タイヤの軋む音が唸りを上げている。なぜこんなことをしているのか、だれにもわかりはしまい。さらにアクセルを踏み込むと、針は120キロを超え、得体の知れぬ恐怖が襲い掛かってきた。私の全身はガタガタと震えていた。「もう死んでもいい」と、そう思いながら。

「そんな危ないことやめなさい」
 ちあきあおみは哀憐の表情で私を見やった。
「いいえ、今夜もやるつもりです。耐え難いスピードで深い渦の中へ落ちてゆくようで・・。エロスとタナトスが交錯し、刹那的で、たまらないんです」
 それは私なりの恋の告白と、その罪への復讐だった。

 その日の首都高速道路で、私は突如として脇から出現した白バイに追われ、死をもって逃げおおせることもできず、スピード違反で検挙され、免許停止処分を受けた。
 生と死の狭間で、ほんの一瞬、苦痛や寂しさや孤独を葬ることができても、現実に生きてゆくことでそれらを癒すことはできない。

「おんなじね・・・・」

 ちあきなおみは私を咎めることなく、心を見透かしたようにそう言って、遠くを見つめた。そして、険しく表情を変え、言い放った。

「かくれていて突然出てくるなんて、警察は卑怯ね。ろくなもんじゃない」

 私はこの言葉に、ちあきなおみが人生に立ち向かったときのあまりにも美的な習癖と、その人生と表裏一体となった歌への、歌手・ちあきなおみ自身への、潔い決別の意を知ったような気がした。それは、人間としての繊細さの証であり、私が側にいて感じた「いかに死すべきか」という、歌手活動最終章において、郷鍈治のために死なんとする侍の如き正々堂々たる精神性に起因するものである。ふたりでひとりのように人生を歩み、どちらかの首を獲られたら二度目はないという、究極の生き方をした男と女・・・・。私の中には郷鍈治とちあきなおみが一対となり、揺るぎなく棲みついていた。

 ある日の夜、私は六本木で数名の音楽業界関係者と飲んでいた。〝長年のちあきなおみファン〟と称するレコード会社の中年の男性社員が、「ちあきなおみは復帰しないのか?もう一度歌ってほしいなあ」と軽い調子で言った。なんだかとても鬱陶しかった。「復帰しようがしまいが僕にはいつも歌が聴こえますよ。業界が覆いかくして見えなくしているだけで、ちあきなおみは人生を魂で掬い取るように歌っている」と私が返すと、男は「そんな観念的な話じゃなくて、ビジネスの話をしているんだよ」と言った。瀬のない憤りが支配し、私は男を睨みつけていた。「まあ、君のような若い男には、まだまだちあきなおみの歌のなんたるかはわからない。でも今、なにを歌えば受けるか。それくらいは君もマネージャーだったら戦略を練らなくちゃな」と男は言い、舌なめずりをしてニヤリと笑った。私は一気に血が逆流し、男に掴み掛かり、「お前、歌をなめるなよ!」と怒鳴り散らした。関係者たちが私と男を分け、私は店を飛び出して吐いた。なにもかも吐き出して空っぽになりたかった。私は決定打を喰らいダウンする寸前のボクサーのようにふらふらと歩き、六本木交差点前で倒れた。まだまだ吐き足らなかった私は、ライブハウス・ケントスへ入り、酒を呷り踊りまくった。耳をつんざくライブ音が心地よかった。そう言えば、「切り込んでくるようなギターの音が好きだ」と郷鍈治は言っていた・・・・。気がつくと、郷鍈治の墓の前にいた。私は墓碑に拳と頭を打ち当てながら涙を散らせた。悲しくて、悲しくて、どうしようもなかった。

 ちあきなおみはその後、私の真正面で、「もう歌うことはない」と、きっぱりとちあきなおみから個としての人間へと変貌していった。私が付き人としてともに過ごした時間は、公的な時間より私的な時間の方がはるかに長い。しかし、どのような素の姿を見ようとも、私の眼はプロジェクター化し、その姿の前に張り巡らされたスクリーンの中に、歌っている姿を投影させてしまう。歌手活動停止後も、ちあきなおみは私にとって歌の世界の住人であり、いつでも虚構の中の存在だった。本人にとっては、私のこのような見方は歯がゆいものであったかもしれず、時として、向こう側からは実物大でこちらが見えるスクリーンを破ろうとしてくることもあったが、やはりこちら側からは破ることはできないのだ。これは私に限らず、一度でもこの歌手の歌を体験したことがある人間は同様であるだろう。こればかりはどうすることもできない、ちあきなおみの歌手としての生得なのだ。

「自然に忘れられてゆく・・・・。それが一番いいんです」

 ちあきなおみは言ったが、この気持ちは今もって変わらないだろう。どれほど復帰を望む声が絶えなくとも、幾度となくブームが再燃しようとも、ちあきあおみはそこに甘えることなく、二度と手で触れることのできない虚構の中のスターとして、その姿をあらわすことはない。
 それゆえに、今も、私はあの頃と同じように恋をしている。その魂の歌が聞こえる限り、忘れるともなく忘れるままに、忘れることができるその日まで・・・・。
               つづく

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