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ちあきなおみ~歌姫伝説~31 ちあきなおみロス

 二〇二〇(令和二)年十二月九日午後、私はうららかな冬日を満面に浴びながら、自宅近くにある千種公園へと歩を進めていた。昨夜はファンタスティックな昂ぶりを覚え睡眠不足ということもあり、私の歩きぶりは緩慢にして重かった。
 住宅街を抜け公園が迫ってくると、歩きしだいに視界が広がり頭も澄んできて、いくらか足取りも軽くなってくるような気がしてくる。私は子供の頃に返り、タップを踏むように軽快にステップを進めながら公園内に足を踏み入れた。
 この千種公園は、春には桜が咲き、秋は銀杏が黄葉するなど四季折々の表情を見せるが、その決め顔は、五月、六月に咲き誇る一万球の百合である。名古屋随一の百合の名所として賑わうこの空間も、今は斜陽が降りそそぎ、心なしか無気力な息づかいが聞こえてくるようである。
 私は公園の足場のよい散歩道を斜めに横切り、テニスコートを通り抜けると、目的地である野球グラウンドに辿り着いた。草野球や少年野球で活気漲るこのフィールドも、今はシーズンオフとあり、人気はなく、風の囁きに土埃が舞っている。
 グラウンド脇にあるチームベンチを兼ねた長椅子に腰掛けると、シーズン中の歓声や、バットで球を打つ音、グローブで球を取る音の残響が、いくつもの思い出とともによみがえってくるようだ。
 思えば少年時代、私はこのグラウンドで、友情を確かめ合うかのように白球を追いかけていた。友達にボールを投げ渡し、投げ返されたボールを受けとめる。何分、何十分と、そこに言葉はなくとも、確かな繋がりを実感として感じていたものだ、などと思いを巡らせていると、漆黒のコートに身を包んだ、丸型のサングラスにマスク姿の男が長椅子の端に腰を下ろし、私に声を掛けてきた。

「このあいだ観たよ。『魂の歌!ちあきなおみ秘蔵映像と不滅の輝き』。感動したなあ、『喝采』のレコード大賞受賞シーン」
(令和二年十月九日初回放送、以後二回にわたりアンコール放送・BS―TBS)

 私は、直前までの思い出巡りの余韻を引き摺ったまま、この虚を突かれた言葉に、体勢を挽回するべく素早く切り返した。

「その見てくれ、まさにゴッドみたいじゃないか」

 男はニヤリと微笑んだ。この男は、私の幼馴染にして、私よりも私のことを知っている、付かず離れずの友である。無類の音楽好き、というよりも、ジョン・レノンが神であり、私はジョン・レノンのソロアルバム「ジョンの魂」の中に収められた、「ゴッド(God)」(作詞・作曲・John Lennon)という曲にあやかり、そのままゴッドと呼んでいる。
 ゴッドが「受賞シーン」と言ったのは、武士の情けであろう。それは、私が歌自体を他者と論じることが嫌いであり、歌はそれを受け取った側、つまり聴き手という個が感じたことがすべてである、という私の構えを心得ての発言である。私は昔から、こういう他者に対する微妙な距離の置き方に、心の中で頭が上がらない。

「まあ、それはお前に言うことではないけれど」

 しかし、ゴッドは明らかに私を挑発している。ここで簡単に挑発に乗るのもシナリオどおりなのでつまらない。

「今日はホントに楽しみにしていたんだ。最高の夜になるな」

 ゴッドは的確な誘い球をすかされた投手のようにいささか狼狽えた。満足した私はお望みどおり反撃を開始した。

「気がついたか?『夜へ急ぐ人』でのちあきなおみ」

 ゴッドの望みとは、私から「夜へ急ぐ人」論を引き出すことであり、そのためにはまず一般大衆的なことを言わなければ面白くないという策略である。しかしこの策略も、手の内を知り尽くした手練れ同士の、会話のキャッチボールという愉悦である。

「なにを?」

 ゴッドはいかにもといった感じで、目を白黒させて私に調子を合わせた。

「作者の友川かずき(現・カズキ)が完全に乗り移っている。友川さんって秋田出身だろう。ちあきさんが歌っているところどころ、少し訛っている」
「それは聴き逃したなあ・・・・」
「ちあきさんは、食べちゃうんだよ。模倣ではなく、盗んで自分流にしちゃうんだよな」
「凄い・・・・。そういう歌手って、そうはいない。それにあの歌、恐ろしいよな」

「夜へ急ぐ人」は、女の心の暗闇に息を潜めて存在するもうひとりの女の正体を覗き込む恐怖、自らの心の奥底を見てしまう、人間最大の幻想である狂気へと向かった歌である。
 その注釈を省いて、私は言い返した。

「女の狂気とか怒りとか言われるけど、それさえ越えている気がする」
「というと?」
「作詞家の思惑を自分自身に刷り込んだ上で、聴き手に歌を伝達する手段として、歌詞にはない別の言語を持っているという感じがする」
「つまり、決められている歌詞からはみ出してゆく・・・・」
「『夜へ急ぐ人』のちあきなおみは、捕虫網から脱出した黒い蝶だよ。アゲハが自由に舞っているだけで血が騒ぐ」
「言い得ているな。あの歌唱は一線を越えているし人間業じゃないよな・・・・。だれにも真似できない」
「あの歌は、生と死の境界であらわれる一瞬の感情だよ」

 人間とは、言葉を発した後で思ってもみなかった自分の気持ちに頷く、ということがよくあるものである。
 その一瞬の感情とは、情念や衝動ではなく、もっと絶対的な、なにかなのである。生と死の間隙に生じる空虚の中にある、人間の真実。
 私は夢中になって持論を展開した。

「ちあきなおみの歌のドラマツルギーは、疑いもなく人間の生と死の中にあると思う。またそれは、歌手としてのイデオロギーでもあるという気がする。『夜へ急ぐ人』は、人間の絶対的かつ根元的な魂の一状態を歌い得ている。生き切って、見事に死に切っている・・・・。歌手・ちあきなおみも、そうやって生きて、死んだ・・・・」

 私はだんだんと身体が熱くなり、さらにつづけた。

「炎(ほのう)のような恋に舞う蝶が、灼熱の太陽に焼かれ、燃えながら都会の夜の海へと堕ちてゆく。ただそれだけ」

 これ以上は引き出せないと感じたであろうゴッドは、話の本筋を変えた。

「とことんあの歌にこだわるな、お前。でも、『夜へ急ぐ人』はそれまでのちあきなおみファンには、木に竹を接いだような違和感を感じさせたのではないかな」

 このあたりも、ゴッドの会話のセンスである。

「そのソリの合わなさは、ちあきなおみ本人にとっては決して楽じゃない。でも、あそこで楽をして生半可なことをしていたら、ドラマが、次がなかったよ。それまでの自分をぶっ壊すんだよ。潔く、残酷なまでに殺す。だからこそ、人の心を刺す。ちあきなおみって、めちゃくちゃロックな人だもの。ゆえにそのフォルムは常に新しい。それにあの歌は、郷鍈治の世界であり、気概でもあるからな。なぜあの歌を、当時としては奇異と言っていい作品を世に送り出したのか・・・・」
「皆にこの歌はいいとわかってもらうのは無理だものな」
「つまらない歌というものはないが、つまらないと感じる歌には、その歌い手も含めて創り手側の志が欠けているんだよ。歌なんて、所詮は妄想の落とし子だろう。理が非でもこれは真実の歌なんだ、という堅固な志操がなければ作品とは言えないよ」
「そして、その作品を産み落とし、世に出すまで面倒を見る責任感だな」

 いちいち注釈をつけてくれるゴッドとは離れられそうにない、と私は感じた。
 ふと、冷静になりあたりを窺うと、広いグラウンドには相変わらず人の影はなく、どこかもの寂しい気配が漂っていた。この雰囲気を舞台効果として利用したのかどうかはともかく、しばらくの黙り合いの後、ゴッドが口を開いた。

「だけどさあ、特番でああやって歌っている姿がよみがえると、ファンはますます〝ちあきなおみロス〟になっちまうよな」

〝ロス〟とは造語であり、その意味は、「損失。無駄。失う。喪失する。」という意味で使われている。ゴッドの言うロスとは、私同様に損失であろう。しかしながら、純然たるちあきなおみファンにとっては、失う、喪失といった意味合いが濃いのかもしれない。

 さてそこで、ということになる。この想いは、今後、ちあきなおみの復帰がないという前提ありきでの感傷である。
 では、今後本当にちあきなおみの復帰はないのであろうか・・・・。
               つづく
https://note.com/teichiku_note/n/nc85ed7c9016a

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