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雑記:日々何もないし、毎日投稿は正気の沙汰ではない

突然だが、自分は2月中に毎日投稿をしている

なぜ負担の大きい毎日投稿をしているかと言えば、
去年ノリで始めて(質はともかく)完走できてしまったから。

今年もできるでしょと思ったが、なにせ社会人になってしまった為、日々変化がない。

朝8時に起きてギリギリに出社し、ポンコツなのに社会に適合できてるフリをしながら必死に働きつつ、疲れて帰ってきたらパサパサのムネ肉を食い、twitterを見ながら寝落ちする

毎日これ。ネタがない。

高校生の時、毎日花の手入れをしている校長先生に「水やりbot」というあだ名を密かにつけていたが、今の自分は「鶏ムネ肉bot」である


noteで毎日投稿をしてる人は凄いと思う。ネタがなさ過ぎて、最近会う人みんなに何か無いか聴いている。皆さん提供ありがとうございます。

そしたら本日、友人からパンチラインをもらってしまった


「お前なんのためにブログやってんの?

そこをまずハッキリしろよ」




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すみません、降参です(涙)







・もう一度考えてみると


確かに、何のために頑張ってたんだっけ?というのは忘れがちとなる
これはブログだけに限らず、人間関係、仕事、趣味、なんでもだ


自分がブログを書く時、無意識に守っていたことが3つある

・ポジティブに読めること。
(人やコンテンツの悪口、批判を書かないこと。重かったり暗い話を続けて書かないこと)
・メッセージを伝えたい時は正直に自らの痛い経験を書くこと。切腹すること。
・自分が後で読み返した時に面白いと思える文章を書くこと。


自分の力量不足で全部完璧に守れてる訳ではないけど、だいたいこの基準でアウトプットしてると思う。
元気がない時とか疲れている時、布団の中で自分の過去記事を見て「フフッ」と苦笑している変質者は僕です。


そう、なんのためにブログを書いてるかって、それは究極の自己満足なのだ。前提、自分が楽しめないとやる意味が無い。気づかない内に、「毎日投稿という成果」に目的をハックされていた




・隗(かい)より始めよ

好きな故事成語に、「隗より始めよ」というものがある。

中国の戦国時代、郭隗(かくかい)が燕の昭王に賢者を用いる法を聞かれた時に、以下のように答えたという。

 「賢者を招きたいならば、まず自分のようなつまらない者をも優遇せよ。そうすればよりすぐれた人材が次々と集まってくるであろう」

転じて、遠大な計画も、まず手近なところから着手せよの意にいう。
また、物事はまず言い出した者から、やり始めるべきだとの意でも用いられる。

僕たちは何か行動を起こすとき、もしくは何かを作り公開するとき、ついついハードルを上げすぎてしまう
そして、自分自身の納得がいかず、結局何もしないことが多い。クオリティにこだわるといえば聞こえはいいが、結局失敗するのが怖いだけなのではないだろうか。


ハードルはとにかく低く、10点でも20点でもいいから、とりあえず何も考えずにアウトプットしてしまった方が結果的に良い方向へ行くと思う。失敗から学べることも多いし、完成させて初めて魅力や伸びしろが分かると思う。
仕事じゃ無いから批判する人間など存在しないし(自分自身以外は!!)




という訳で今回は実験的に、自分の思考の垂れ流しをダラダラと書いてみました。
今まで恥ずかしいので、まとまりのない意見とかは余り書いてこなかったんですが、今更かく恥なんてないしな!!!ということで

雑記シリーズまたやるかもしれないです
けっきょく毎日投稿は続けたいので)



それではまた

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