(個人的に思う) 人はなぜ生きるのか

タイトルを見て某映画を思った人もいるかと
思うが、良いタイトルが思いつかなかったので
ご了承を。


さて、大学院で教育のことについて
考える時間が圧倒的に増える中、


文部科学省が示している


「2.現代の子どもの成長と徳育をめぐる今日的課題」を読んだ。

2.現代の子どもの成長と徳育をめぐる今日的課題:文部科学省 (mext.go.jp)


そこには、いろいろ課題が書かれているが、

筆者が一番気になったのは、


日本の若者・子どもたちが、
諸外国と比べて「自尊感情」が低く、
将来への夢を描けない


である。


正直に言う。


そらそうだろ。



日本人は元々自己肯定感が高くない
国民性であるとされている。

(自己肯定感=自尊感情は少し違うが、
ここでは統一しておく)


そして、特に今子どもたちはSNSなどの
インターネットを中心とした生活に
ほぼコントロールされているといってもいい。


特に利用者の多いSNSで知った情報を
正しいものから間違った情報まで見ることで、
流されやすくなってしまっているのだ。



今のSNSでは、

「人間はこうではならないといけない」
「これに該当しない人は社会から見放される」

という隠れた意味を含んだもので
溢れているような気がする。



こういったことを示すことが多い
インフルエンサーたちが思っていることとは、


別の意味で捉えられていることも
あるかもしれないが、


インフルエンサーたちが示す個性が肥大化し、
日本人が持つ協調性と変に混ざることで、


「今の自分はこんなこともできないのか」


という思考に陥ってしまうのではないか
と考えられる。


これでは余計に自己肯定感が下がる
一方である。



自己肯定感を高めるためには何が必要か。


「今の自分はこんなこともできないのか」


この言葉の意味を肯定的な言葉に
置き換えてみよう。



「今の自分はこんなこともできないのか」

肯定的に置き換えるのなら、

「今の自分ができていることはこれだろう」

だろうか。


前者では「現状に絶望している」
後者では「自己分析ができている」
に分けられる。


絶望することは決して悪いことではないが、

それは本人に這い上がる力があるかどうかで
話は全く異なる。


這い上がる力がないのに絶望していては、
その経験が足枷になり、


あらゆることにチャレンジしなくなる。


つまり、「失敗を恐れて動かない人間」
なってしまうのだ。


自己分析をする
だけでも、


「今の自分には何ができていて、
何が足りないのか」

の両方を把握することができるので、


少なくとも
「失敗したことを認めることができる人間」になれるだろう。


「今の自分が抱えることに改善に向かうことが
できる継続性のある意味合いがあるか」

これを意識するだけでも
自己肯定感は下がることはないだろう。


私は、

自己肯定感を高めること=将来の夢を見つける

ことでは決してないと思っている。

自己肯定感を高めること=
自分の可能性を広げること

だと思っている。

残念ながら、
いろんなことにチャレンジしないことには
自分の可能性は広がることはない。


時には、到底かなわない思う人と
出会うこともあるかもしれないが、

大切なのは

「自分の現在位置の確認」
「継続的な言動をすること」

である。

小さなことを積み重ねることが、
とんでもないところへ行くただ一つの道


かつて、プロ野球とメジャーリーグで活躍した
イチローがこんな言葉を残している。


とんでもないところへいく必要はないと
私は思うが、


「小さなことを積み重ねることの大切さ」


これを今の子どもたちには
これを感じてほしいのだ。


今の子どもたちを含め若い世代の人たちは、

すぐ目の前に出る結果を求めたがる。


残念ながら、
すぐ目の前に出る結果に大きな価値はない。


価値があるのは「小さなことの集合体」である。


「とんでもないところ」
に行けるかは
「小さなことの集合体」の数と質が
鍵を握っているのだ。


ただ、全てのことが順当にいくことはない。

時には立ち止まったり、後退することもある。

あまり、精神論っぽいことは好きではないが、

こんな風に全て肯定的に捉えてほしい。

「昨日より0.1くらいは成長したな」
「何か選択肢になるかもしれないな」


考えたり行動したこと自体に価値があるので、

「すぐに役に立つか」なんて考えなくていい。


それは、
「役に立つときなんて偶然来るから」である。



「人はなぜ生きるのか」

これは自分と向き合うことで作り上げていく、

アートのようなものだと思う。

自己肯定感は水のような存在だと思う。


今の子どもたちには、「自分の小さな変化」
通じて成長する姿を楽しむことができる人間に
育ってほしいと願うばかりである。

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