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神とは何か

私は、この世界の神を「 宇津流霊(うつるひ) 」という名前で呼んでいる。

それは永遠の変化である。それは今この時も、一瞬一瞬、この世界を作り続けているある種のエネルギーである。

うつるひは永遠に移ろう海のようなもので、その変化の海の中に諸々の存在が生じ続ける。

時折、この霊の海に深い渦が起こり、しばらくの間、渦としてその場に留まる(私たちはこの現象を”宇宙のビッグバン”と呼ぶ)。

良く出来た渦はかなり長い間、渦として存在し続け、自己保存の力を示す。

ちょうど原初の地球の海に生命が生じたように、うつるひの海の中に、自己保存をする何かが生じる。

一般的には、特に一神教の文脈においては、人はこれを「神」として認識してきた。

私はその霊的な生物を「 布留威(ふるい) 」と呼んでいる。

フルイはそれぞれの個性に応じて、時間や空間のような一貫した法則性を宇宙にもたらす。と言うより、この一貫した法則に制限されたうつるひの中の一領域を、私たちは”宇宙”と呼ぶ。

この宇宙の中で私たちの惑星が生じ、海が生じ、生命が生じる。

そして私たちが生じる。うつるひの海の深い所で。

神と人との関係はどうなるのか。

うつるひそのものは何の法則も持たない。それの願望はただ変化し続けることだけ。

うつるひの中に生まれるフルイは、自らの法則を維持しようとするが、そのためには永遠の変化の海の中で、変化を代謝し続けなければならない。つまり、法則を完全に固定することはできず、宇宙そのものを拡大、成長させ続けなければならない。

私たち人間は、この両者の「神」から影響を受けている。うつるひからは永遠の変化の宿命を受け継ぎ、フルイからは一貫した存在の形を維持する宿命を受け継いでいる。

この矛盾した両者を達成した時、私たちは魂の中に深い喜びを感じる。それこそが生命の根本的願望である。

本質的には、私たちはそれぞれが、うつるひの一部である。無限の変化が、ただ一時この形に留まっているにすぎない。

やがて泡のように消える。意識も、宇宙も。

そしてあまりにも美しいこの世界は、数え切れぬほどの無数の色彩を響かせながら、永遠に続く。

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