見出し画像

海外との関わり一切ナシ家庭!なぜ私はアメリカに?〜あ、行く高校間違えたわ編〜

この記事にたどり着いてくださった皆様、初めまして!
コエテコエメンバーの岡崎 亜美と申します!

リレー形式で投稿を行なっていますが、今回は私のターン。他のメンバーの経歴が面白すぎるのでプレッシャー大です、、、笑
未熟ですが、私なりに一生懸命書いてみました!まだコエテコエのnoteを読んでいないという方がいらっしゃったら、是非読んでみてくださいね!


自己紹介

画像1

皆様初めまして!岡崎亜美と申します。
現在国際系大学生4年在学中。絶賛就活の時期なのにコエテコエの活動が楽しすぎる。今はゼミの卒論に、就活に、コエテコエの活動に、塾のバイト掛け持ちに、大忙しです。笑


そんな私ですが、本来は、「2019年の秋からアメリカのカリフォルニア大学デービス校に一年間の交換留学経験。」と語っていたはず、、


しかし、残念ながら2020年の3月にコロナウイルスの影響で途中帰国しました。

このnoteでは、アメリカ留学に至った経緯から実際の留学珍道中をシリーズで投稿していきます!


今回は題名にもある通り、「あ、行く高校間違えたわ編」です。

まずは、海外なんて一回も行ったこともない家庭で育った私が、英語に対して積極的に取り組むようになったきっかけについてこの記事でお伝えします。
最後まで読んでいただけると嬉しいです!


高校受験、落ちました。

中学時代、私は本当に勉強に対するやる気が全くありませんでした。もちろん受験勉強も形骸化。今思えば塾の先生には大変申し訳ないです。(今この身になって染みまくってます、、)
そのくせ成績はそんなに悪くなかったので、調子に乗って偏差値55くらいの公立高校を受験しました。


その頃の私の高校選び基準は
①なんとなく楽しそう
②トイレが綺麗(なんだかんだ大事)
③英語をたくさん学べるところ
でした。


英語だけはなぜか好きだったんです。中学の英語の先生は少し苦手なタイプでした。今思えば本当に素敵な先生です。



なのになぜ私は英語がこんなに好きなんだろうか、、?



海外の音楽家の方が来校された時も、「英語が人より話せる」という理由で代表に選ばれ、感謝スピーチを英語でしました。授業中も英語の音読をよく任されていました。私もそれらに対して、鼻高々にやっていました。


なぜだ、、?なぜこんなに好きなんだ、、?



答えは小学生の頃の母からのある一言でした。



「亜美、英語の発音いいじゃ〜ん。」



以上です。
元々何かを耳コピして真似することは得意でしたが、でたらめに英語の発音をしていただけでした。

そのたった一言でまんまと調子に乗った私は英語がどんどん好きになりました。
しかし、もちろん、英語が好きなだけでは受験は受かるわけもなく、、



もちろん落ちました。落ちた時もノーダメージです。お金を出してくれた親には今でも謝罪の気持ちでいっぱいです。

私は滑り止めで受けていたある私立高校の国際語科に通うことになりました。選んだ理由はもちろん、

「国際かあ、英語たくさんやりそうだなあ。受けよ。」

浅はかな理由です。(後にこの選択を悔やむことに、、)

画像2

ここは何なんだ?地獄の高校生活幕開け

微妙な緊張感とキラキラ高校生活の妄想をしながら入学式に向かいました。
どのキャラで三年間行こうかな?それしか頭にありませんでした。

まず、めっちゃ遠い。電車で50分。そして歩き30分です。しかも全部坂です。何も考えずに受験してしまった。
歩き15分で中学校に到着していた都会女はこの遠さに絶望します。

続いて、席に絶望します。
国際語科は男女比が1:3で女子が圧倒的数を占めます。
もちろん初登校なので名前順に座っていくのですが、、、
なぜか私の周りの席には男子しかいなかったのです。
男子は男子でもう会話が始まっている、、終わった、、


とりあえず、初手でずっこけた私はこのあと3ヶ月間、闇の学校生活を送ります。とにかく近くにいた友達となんとなくつるんでいました。(今でも交流のある大好きな友人です笑)



そして、英語の授業の多さに絶望を、、

しませんでした。
むしろその頃の私には英語の授業が唯一輝ける場所だったのです!!



実際に英語の授業はとても楽しかったです。高校のカリキュラムは独特で、ネイティブの先生だけで行う授業やTOEICのための授業、時事問題を英語で行う授業、英語の本だけをひたすら読む授業などなど、、。



そしてそれぞれのクラスが習熟度に分かれており、毎回のテストでK1からK4まで振り分けられます。(K1が一番レベルが高い)私はK2になりました。


あれ?英語得意なんだけどな?K1じゃなかった、、、、なんでだ?



私はその時初めて周りを見渡しました。
ん?一つ雰囲気が違うクラスがある、、、?

そうです、後に私を苦しめ、そして成長させてくれたみんながいたAクラスです。
Aクラスは基本的に受験で英語が優れている生徒だけが入れました。帰国子女やご両親が海外の方など、私の英語などはるかに及ばない強敵揃いでした。ここで私は悟ります。


「あ〜、きっと中学と同じで適当に平凡に生きていく人生なんだな。」


得意技の諦めです。しっかり諦めました。その後も私の習熟度クラスはずっとK2でした。



夏頃からどんどん友達もでき始め、「ざー」という謎のニックネームでみんなと仲良くなっていきました。(しまいには先生までざーと呼び始め、簡単な提出物はざーで通っていました笑)
学校生活が充実し始めたので、英語はまあ程々にやっていこう。という気持ちになりました。

しかし、2年生に私を大きく変える一つの事件と恩師との出会いがありました。

ついに始まる!一人だけ浮きまくってるぞ、K1クラス!

2年生になり、新しいクラス編成になりました。1年生の時は英語ができる人たちがAクラスでしたが、2年生からは受験を意識して総合判断で上位の成績を修めた生徒がAクラスに入りました。
私はそこそこの成績があったのでAクラスに滑り込みました。
それだけでも驚きを隠せなかったのですが、もう一つ衝撃的な事実が私の耳に届きました。

「ねえ、ざー。あんたK1いるけどどうした?」

時空が止まりました。あのK1に?ざー?私????
ここまで驚いたのには理由がありました。進級前に先生からはこう言われていたのです。次の学年のK1は今までとは違う、特別に選ばれし者が入れるクラスだ、と。授業も他クラスとは全く違い、先生の独断で決まっていたのです。

待って待って待って。無理無理無理。


本当にこんな状態でした。笑



そしてついにやってきた、K1初日。揃う面々に恐れ慄くざー。
先生が喋り始めた、、、、。


まさかのオールイングリッシュ!!!ネイティブの先生もいる!!
そして生徒の受け答えも英語!?!?

キョロキョロしまくって何の発言もできない私は浮きまくりました。

授業が始まると心臓の音が全身に渡る毎日。
当てられないかビクビク震える毎日。
教科書を使わずオリジナルプリントを使っていたために、他クラスの仲の良い友達にも聞けない毎日。
しまいにはどうしたら良いかもわからず一人で半泣きになりながら辞書を引き、必死に理解しようとしました。
それでも全くわからない。なぜヤギを飼っている女の子がお金持ちになるの?(貧しい女の子がヤギを飼い牛乳を売ることで生計を立てたという話だったのですが、全く理解できていませんでした。笑)
今思えば笑い話ですが、当時の私は気づかぬ内に精神的に参ってしまっていいました。

全く理解もできていないまま行われた最初の中間テスト。
もうこれでK1とはさよならだ。少し悔しいけど、もういい。
私にはもうついていけないからクラスを下げよう。

結果は58点でした。K1クラス最下位。
終わった。もうこれでいい。あの楽しかったみんなとの英語の授業に戻ろう。

でも喉のどこかが突っかかるような、なんか腑に落ちないような、そんな気持ちが残りました。



しかしそんな気持ちは寝たら忘れる私。習熟度クラス発表の頃には、
いえ〜い!みんなとまた授業でふざけられる!
という思いでした。そんな気持ちで登校し、私のクラスに入りました。

聞こえてきたのは、

「ざー、あんたまだK1いるけど、どうした?」

あの日こそ夢であってくれと思った日はありません。
デジャブ?夢?



なんでーーーーー!?!?




と、長くなってしまいました。今回はここまでにしたいと思います!
次回は、
海外との縁一切ナシ!なぜ私はアメリカに?〜ビリからの下克上!英語に執着しすぎてテストでインフルになっちゃった編〜です!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?