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84 国と共に生きた男

「神話の時代を知らぬ愚者というのはこれほどまでに、恐ろしい考えをもってしまうものなのでしょうか……」

 賢者は嘆息する。
 本来、無知とは決して悪ではない。
 だが目の前の人物は知らぬ混沌を求めるという。

 これを悪と言わずして何と言うか。

 伝承として、物語としてしか誰も知らないはずの神話の世界。
 誰もがそれはただの夢物語、空想であると信じて疑わない時代。

 今に生きる者がかつての時代を知る術はない。

 あるとすれば……だが、そんなことはあり得ないはずだった。

「……あ、もう一つ思い出した。賢者ってやつは、血の封印とやらの鍵としての役割があるとも聞いたが、それも真実なのか?」

「……どうして、そこまで……一体、何者なのです!? 歴史の彼方へ、かつて遥か昔に葬ったはずの役割をどうして知る者がいるのです!! どのように知ったのです!?」

 賢者という存在は、役割はただ、役割の為だけにこうした空間に生かされて世界に点在している。

 それはある意味では世界の人質。平和な世界を維持するための代償、犠牲者ともいえる存在。

 魔女や騎士、貴族とは異なり歴史の彼方に忘れ去られた役割。

 人が今の時代のように生物の頂点になどなっておらず、遥か下位の存在であった時代を思い出し、賢者は身震いする。

 このような危機が訪れるなど誰も予想していない。
 出来るはずがない。

 ただ、時折、現れるこれまでの来訪者のようにひとときの不思議な時間を過ごすだけのはずだった。

 目の前の男は明確な目的を、悪意を持ってここへきている。

 だが、どう対処をするべきなのか。
 
 賢者とて判断が出来ない。

 それほどまでの異常な事態であった。

「知らねぇなぁ。聞く相手をそもそも間違えてらぁ。俺は情報をもらっただけ。そいつには会ったこともねぇ」

「知らない相手の話を貴方は鵜呑みにし、その通りに行動しているというのですか? ただ己の欲求を満たす為だけに……」

「そういうこった」

「狂っている」

「かつて、この地には様々な種族。幾多の存在がこの世界には住んでいた。いつしか、それらの血は争いを無くすために【人】という存在として薄められ、統一させられた、だっけか? ま、よくわからん。けどよ、そこまでしたというのに結局、争いは無くならなかったんだろう? この国の戦いの歴史そのものが、見事に、皮肉に、それらを最低の形で証明している」

「……」

「賢者達は再びこの世界が多数の種族で溢れかえらないように、争いが起きないように血脈を封印している、という話だったか?」

「……」

「ハハ、無言は肯定。賢者の癖に教わらなかったのか? フヒャハ、残念だが、神話への回帰ってやつに俺は興味津々でね、争いの絶えない世界。くぅ、最高じゃねぇの。ここ最近じゃつまんねぇ小悪党の成敗ばかり、鬱憤も溜まるってもんだろ? 数多の強者を、敵を斬る為に九剣騎士シュバルトナインまでわざわざ上り詰めたってのによぉ。大きな戦いが終わっちまったんじゃあ、なぁんの楽しみもねぇだろ?」

「好奇心は時に身を滅ぼす種となる。今なら、まだ止められる。やめておきなさい。取り返しのつかない事になる前に」

「はは、やなこった。そろそろ、てめぇと話すのにも飽きたからよ。賢者の持つ力ってやつを見せてくれ。退屈な日々を過ごす俺をっせいぜい楽しませてくれよなぁあああああ!!!」

 飛び掛かる騎士に向けて賢者は手のひらを向け、迎え撃つ。
 もう、やるしかなかった。

「くっ……」

 響かないはずの音が、まるで鳴り響いているかのように空間に揺れる。

 そして
 静かに
 息を止めるように
 鼓動を止めるように
 世界を止めるように

 始まりは終わってゆく。
 そして、終わりは始まりを待つ。 

 いや、もう既に始まっていたのかもしれない。

 それはいつだろうか?

 魔女が全員消された時から?
 騎士が騎士たる役割を失った時から?
 それとも、貴族たちが自らの欲望にのまれていった時から?

 それは誰にも分からない場所で静かに。
 ただ静かに。
 これからの世界を刻む。

 音が鳴らないはずの場所で。
 音が鳴り始める。

 人は忘れる生き物だ。




 王都からほど近い丘に建てられている一つの石碑(モニュメント)が置かれている。
 国の歴史が始まってから、歴代、英雄と呼ばれた者達の名前がここに刻まれている。

 英雄碑。

 そこに幾つも並ぶ名前の最も末席に刻まれた名前を指でなぞりながら、ゆっくりとしゃがみ込む。
 折った膝は素早くはもう曲げられず、腰を折る事すらも昔のようにはいかなくなった。

「グラノ。お前がまだ居さえすれば此度の事態もきっと、いつものように軽々しく笑いながら、颯爽と解決して戻ったのであろうな」

 懐から小さな瓶を取り出す。

「……未だに、信じられん。お前が死んだなどとはな。誰も死体すら見ておらんのだぞ、グラノ」

 頭に被せられた栓。薄く蝋の塗られたコルクが付いた瓶の先に親指を添えて握り込む。片手で掴むその瓶は一般人には大きい部類のはずだが彼の大きな手では細い瓶と化している。

 力を込めるとコルクはポンっと跳ね飛び、小気味のいい音と共にその内容物の香りが漂う。
 中の液体の香りが鼻先を掠め、瓶をそのまま英雄碑へ傾ける。
 
「今日は、お前がかつて英雄と呼ばれた最初の日。大陸統一の記念日。こんな日くらいは酒でも飲もうじゃないか。お前もこの酒。好きだったろう? なかなか手に入らぬ上物、10年物だぞ。……本当は、お前が眠る墓へ手向けたかったのだがな……お前の遺品も、骨の一欠片すら未だに見つからぬままだ。……許してくれ」

 そういうと英雄碑に向かって中の液体をゆっくりと流しかけた。

「本当は、今頃、ワシも九剣騎士(シュバルトナイン)を返上しておるはずだったんじゃが、また面倒な事が起きていてな。やめるにやめれん。いつもいつもタイミングが悪いワシの人生。結局、そういう星の元なのかもしれん。早々に九剣騎士を引退して田舎に引っ込んだお前は正解だったぞ」

 男は懐かしさを滲ませて思い出話に耽る。

「ハハハ……戦いなき後、下もまるで育たぬでな。腑抜けの騎士ばかりが増えよるわ。まぁ、その中でも多少はマシな奴は何人かはおるんじゃがな」

 瓶の中に残った僅かな液体を自らの口元へと運び、口の中に含むとその香りが鼻の奥を抜けてくる。香りが通過した後ゆっくりと飲み込むと液体が触れた喉の辺りが熱を帯びて、じんわりとする。

「ぷぅ~、一人で飲む酒というものは、なんとも不味いものよ。味は、文句なしな酒のはずなのだがな。昔、まだ騎士になりたての頃にお前と共に祝い飲んだ安酒の方が美味く感じるわい」

 空になった瓶を懐にしまいこみ、立ち上がる。
 しゃがむ時とは違い、こちらは驚くほどスッと立ち上がることが出来ていた。
 年齢からは考えられない程に背筋は伸びており、その姿は見る者全てを畏怖させる。

 男は立ち上がると僅かに視線を横に向け、背中から感じる気配を受け止める。

「……最後の晩餐は、終わったのか?」

 背後から声がかけられる。立ち上がった男は振り向かないままで背中越しに返答する。

「晩餐というなら、食事まで待っていてくれてもよかったんじゃぞ? それでも、いきなり襲い掛かってこんだけ、律儀なものよな」

「気付いていたのか? 流石というべきか。ふ、まぁ、人生の終わり際、最後の楽しみくらいは待ってやるものだ」

「全く、豪胆な奴よ。その余裕はどこからくるのやら」

 ゆっくりと相手を見据える為に振り向く。
 見慣れない男。表情はフードの奥にあり伺い知れない。

「貴様の戦う姿はもう何年も見ていないと聞く。衰えていては面白くもないだろうがこれも目的のためだ。許せ、今の世界に必要な浄化だ」

「……お前も、此度の国内の件、一枚噛んでおるな? ワシの勘はごまかせんぞ」

「……? 此度の件? 何のことだ? 知らんな。我とは関係ない事だろう」

 微かに首を傾げて噛み合わない話の筋を結ぼうとするが今はそれは必要ないと判断して今すべきを即座に決める。

「……? シラを切る気か? まぁよい。後で吐かせればよい事。しかし、ワシを誰かを知っていてここまでの殺気を向けるとは、今の国の騎士共にも見せたい位の気概じゃな。実にもったいない。のう貴様、今からでもうちの隊の騎士にならんか?」

「堕落した王家の飼い犬になり下がるつもりはない」

「そうか、残念だ…」

「安心しろ。お前もその役目から今すぐに解き放ってやる。お前は十分に生きた。もう休め。一の剣セイバーワンアレクサンドロ・モーガン」

「休ませられるものなら休ませてみるがいい」

 両者がぴたりと制止した丘に風が吹く。
 聞こえるのは両者の服が風に靡く音。

 耳を切るように風が吹き抜けた瞬間。
 それは既に終わっていた。

 次の瞬間、懐に入れたビンの割れる音が、丘に小さく響いたがその音は誰かの耳に入る事はなかった。

 瓶の割れる音の後、大きな身体が英雄碑の傍で前のめりに倒れた。

 正面に居た男も思わず血を吐き片膝をつく。

「……く、回帰はこれより成るだろう。幾多の命を呑み込んで、これも全て、本当の世界へと向かう為だ」

 よろよろと立ち上がり、倒れた男を背にして去っていった。

 英雄碑にはまだ乾かぬ酒の濡れた跡が、まるで涙のように伝っていた。


 続く

作 新野創
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