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90 もうすこし、あとすこし

「それで? 首尾はいかがでしたか? ヴェルゴ」

 頭をぐわんぐわんと左右に揺らしながら気怠そうに、苦虫を嚙みつぶしたような表情でヴェルゴはため息を吐いて部屋に入ってきた。

 薄暗い部屋の壁際には燭台が並び、室内を薄暗く照らしている。壁面には幾何学的な文様が描かれており、その場所で何か行っているのだということが一目で分かる。

「逃げられた。思わぬ邪魔が入ったからよぉ。仕留め損なった」

 室内にいた男は眉間に皺を寄せて怪訝な表情をする。眼前のヴェルゴを凌駕する者がいた事に思考を巡らせ、このイレギュラーで計画に支障が出ないかを脳内で検討する。

 この国にいる強者達は事前に調査し、大体の目星をつけてリストアップしている。既に調査は完了している、はずだった。

「思わぬ邪魔、ですか?」

 ヴェルゴは思い出すようにわなわなと震える。相当頭に来ているようで、今にも暴れ出しそうな様相だった。

 にわかには信じがたいと考えていた。

 この男は少なくとも戦闘において相手を制するセンスがずば抜けている。
 それは仮に格上が相手でも変わらない。糸口を見出だし相手を切り崩すような大物食いを好む戦い方。
 元々の気性に加えて、男は自分が甦らせた神話の時代の戦いの為の技術、魔脈の鼓動、そして、聖脈の心悸、その扱い方を授けてある。

 残念ながら、自身がそれらを扱えるような才能に関しては凡庸ではあったが、使い方次第で少なくとも並みの騎士以上の戦いは出来る。
 それにヴェルゴをはじめ数名の所縁ある騎士達の力は開花した為、自らが前線に赴く必要も既になく、ここからは頭を使うだけでいい。

「恐ろしく強い女だった。あいつは必ず俺が殺す」

 この男をして恐ろしく強いと言わしめる者が本当に国内に居るのだろうか? と思案する。 

 警戒すべき人物のリストはかなりもう少ない。
 偶然の出来事が重なったりもここのところ起きているが、計画にとって障害となると当初考えていた者は大半が既にこの世には存在しない。

 偶然に知った世界の枠の外にいるという存在。

 賢者と呼ばれて歴史の彼方に消し去られた存在。

 悠久の時を生き、神話の世界が本当に存在したのか、真実を唯一知る可能性のある人間達。

 それらの特殊な存在を排除する為、失われた神話の時代の産物、神々と戦う為の技術を知った時、男はどうにか現代へとその力を甦らせようとした。

 しかし、簡単にどうにかなるものではなく魔脈の鼓動に連なる力の存在を扱うことは、長く叶わなかった。

 元々は魔女を討伐する力を人が得るための研究の一端であったWHウィッチハントシリーズの研究と共に秘密裏に魔脈に関する研究が勧められていた。
 停滞をしていたその研究の最中、旧世代の魔女達は全員、命を散らして研究の意義を失っていく。

 魔女達が居なくなった直後、男とヴェルゴの心身に突如、魔脈による力は発現した。
 研究中の仮説の正しさが証明された。
 魔脈は魔女達によって封印されて普通の人々は使えなくなっている。

 この仮説を最初に打ち立てた男は高揚した。自分の知恵、知識、知能に酔いしれた。

 だが、世界は尚、広い。
 まだ知らぬ存在である賢者への対処も行わなければならない。
 男は病的なまでに慎重な男だった。

「聖脈の心悸をようやくコントロールできるようになってきている今の貴方は国内に敵はいないはず。あなたにそうも言わせるとは、何者ですか??」

 考えてもおそらく解決のしようがない。
 目の前で苛立つ男に一応は話を聞いてはみる。盲点となるような強者の情報だけは抜け目なく整理しておきたいと考えた。

「知るかよ……ただ、とてつもない剣使いだ。ベースはおそらくテラフォール流のような型なんだろうが、俺でも見たことがない……サンダール、ありゃ別次元だぞ」

 英雄グラノ・テラフォールをはじめ、剣を未だに使い続ける者の多くに国内で最も知られる流派、テラフォール流。
 長い歴史のある流派であり、それ自体の存在や使い手の情報が上がるのはなんら不思議な事ではない。

 ただ、~のような。というヴェルゴの言い回しが妙に男の、サンダールの思考に引っかかる。

「……考慮はしておく必要があるようですね。不確定な要素は早めに潰しておきたいものです」

 ヴェルゴは思慮に耽るサンダールに構わず徐々に激昂し、そして、ある瞬間には転じて恍惚な表情を浮かべ始めた。近くにあった調度品の一つが砕け散る。

「ああ、思い出したら腹が立ってきた、クソっ!!! けど、あああ、ゾクゾクするぜ、あのでたらめな強さを力ずくで蹂躙した時にはさぞ快感なんだろうなぁ」

 サンダールはチラリとその姿を見るとため息を吐き、たしなめるように言い放つ。
 
「落ち着きなさいヴェルゴ。その者が誰かはひとまず捨て置きましょう。それに少なくとも賢者の一部、無力化には成功したのでしょう? 生死は大した問題ではなく、役割を果たせない状態に出来ているならそれでいいのです」

「チッ、最低限の目的はキッチリ果たした。あ、そういえばよ。ここに戻る途中に聞いたが、サンダール。あのジジイがやられたってのは本当なのかよ? 一体誰がやった?」

 途端に目を輝かせながらヴェルゴは子供のように笑みを浮かべる。

「ああ……それも不確定要素でしたね。しかし、私にもわかりません。ただ、最も大きな障害になるだろうと考えていたアレクサンドロを労せず排除することができたのですから今はそちらも良しとしましょう。どこの誰かは存じませんが感謝の極み。どうか出来ることなら、今後も敵対することがない事を望みますよ」

 アレクサンドロほどの人物を倒せるものが居るという事にヴェルゴは心を躍らせる。

「ヒャハハ。ったくよぉ、まだまだゾクゾクするような強い奴がわんさかと国内には隠れてるじゃねぇか。 楽しくなってきたなぁ。で、次はどうすんだ?」

 高まる室温を下げるかのようにサンダールは冷たい笑みを浮かべてヴェルゴに呟いた。

「ひとまずは静観です。リオルグ事変の影響もありますし、警戒している者も多い。これはチャンスでもありますが、急いては事を仕損じる。確実に正確にぬかりなく、ですよ」

 落差の激しいヴェルゴの浮き沈みは留まる事を知らず、気分が極度に上下する。

「んだよ。ここまで動き出してまた我慢かよ! 随分と鈍足だな。頭の回転だけは雷鳴並みってかサンダールさんよ? その間にもう一人くらいはやっちまってもいいだろ?」

 ギリギリと歯ぎしりをする音が聞こえるような気さえする中をサンダールは再び嘲笑した。

「っはは、やりたいならやっても構いませんが今、王都にいる九剣騎士は怠惰なあのリーリエのみ。九剣騎士シュバルトナインとは肩書ばかり、訓練でディアナが年上である彼女に気を使い、手加減をしてようやく互角という程の力しか持っていない。ほっておいてもまるで影響のないような小物です」

 腹を抱えて笑うサンダールを見て脱力したヴェルゴも苦笑いを浮かべる。

「……そうか、あの引きこもり先輩だけかよ。確かにすぐに殺せるような雑魚相手じゃつまんねぇよな。あ~、しょうがねぇ、今は大人しくしといてやるよ」

「これ以上は九剣騎士シュバルトナインを削る必要もありませんし、いずれこの後の国を治める戦力もある程度は必要になります。それにディアナとクーリャは実に美しい女性です。後々、いずれはこの私も元で側室にでも迎えて差し上げてもいいと考えていますのでね。ふふ、まもなく王殺しレジサイドも完了する。もうすこし、あとすこしです」

「ほーん、しかし、随分と時間がかかったもんだな」

「それはそうです。流石に王までを分かりやすい形で直接に暗殺する事は出来ない。可能な限り自然に死んだようにみせねばならない」

 怪しげな表情を浮かべ、塔のような王城を窓から見上げるサンダールは心底嬉しそうだった。

「めんどくせぇんだな。そういうのは俺には分かんねぇから任せるがよ。だが、あの里のモンも使ってんだろ? やろうと思えばさっさと終わらせられんじゃねぇのか?」

 サンダールは自分の思い通りに事が進んでいるというのが心底楽しそうな表情で笑う。
 燭台の灯りに照らされたその下卑た表情は九剣騎士シュバルトナインの騎士であるとはまるで結びつかないような狂気が垣間見えた。

「あれは保険だ。出来れば使わないに越したことはありません。静かにごくごく当然の流れで事は運ばねば、波風が立ちますから、事後処理が面倒なのですよ」

「もう十分に何やっても面倒が起きると思うけどな俺は」

 呆れたように欠伸をするヴェルゴはそろそろ話すのも飽きてきているようでめんどくさそうに椅子に座る。

「残すところ正室の娘、第一王女、ワベイス・マリダ・メイオンとの婚姻を完了すれば、次期王はこの私となる手筈が整う」

「未だに分かんねぇな。騎士が王になんかなってどうする? どうせ、このあと神話への回帰で国が辿るのは滅びの道なんだろう?」

 サンダールはグラスを手に取り口に含む。液体を呑み込みながら眼下の街を見る目を細めた。

「ふふ、これまで騎士から王になった者はいない。私は歴史上最初で最後の騎士王となるのだ。あとは私が死ぬまで国が持てば、それでよいのだよヴェルゴ」

「ほぉん。そうかよ、よくわからんが好きにすりゃいい。俺は混沌とした時代が来るならそれでいい。神話への回帰、実にいい響きだ。争いがどこかしこで起きていた時代、最高だな」

「ええ、お互いの利の為に今は力を合わせましょう」

 サンダールはグラスに酒を注いで視線で促す。ヴェルゴはグラスを掴んで掲げる。

「ま、全部終わったらお前も殺すけどな」

「ええ、やれるものならどうぞ」

「カカカ、退屈しない間は生かしておいてやるよ」

 グラスをかち合わせるとチン、と小さな音が鳴り、チャプッと液体が波打つ。

 二つの影は小さく笑い、その肩は小刻みに揺れていた。




 会話する声が小さく反響する。どこかの洞窟のようでその声は心地よく耳に届く。

 遠く、水の音も聞こえている。隠れて過ごすには程よい場所である。以前誰かが住んでいたような形跡すらあるこの場所で視線が交差する。

「……賢者は無事か?」

「ええ、指定の場所へ監禁しておいた」

「そうか、ご苦労」

「……これでよかったの?」

「ああ。だが、どれほど綿密に事を運んでも神殺しを果たせるかどうかは未知数。仮に成せたとしてもその後の世界がどうなるかも今はわからない。ありとあらゆる想定と準備が必要だ」

「その為に調律者たる賢者を保護したと?」

「そうだ」

「どうして、こんな回りくどい事を?」

「やつらを助けたり、邪魔したり、というような秩序、行動理念の見えない俺の取っている行動のことか?」

「ええ、彼らに間接的に賢者がこの世界に存在するという情報を与えたのは貴方のはずでしょう?」

「ああ」

「なのにどうして今更それを敢えて邪魔するような命令を?」

「賢者を一度この世界の役割から外しておく為」

「……私達と、同じように?」

「そう、『英雄の娘』という肩書を捨てて彷徨う、お前のように、だ」

「私はただ贖罪の為だけに存在する。今の私には肩書など何の意味も持たない」

「血の繋がらぬ赤子。名も無き出自も分からぬ赤子を生贄にしたあの日の罪への、か?」

「……いいえ、あの赤子には正直悪いとは思っていないわ。私の大切な息子を救う為に必要な犠牲だった。あの子を死なせてしまった事が私の大罪」

「ふ、結果的に血の繋がった実の子を助けるはずが、そのが共に死んでしまったのだから皮肉なものだ……浮かばれんよな。お前も」

「……だから、私は、そんな運命を定めた神を許さない。人々の信仰の歴史が生み出したというあの神を屠ると決めた」

「ふ、お前になら出来る。いや、お前にしか出来ない。テラフォール流の正統後継者であるお前にしか、神殺しは成せないのだ」

 深紅の剣を見つめる双眸は揺らめき、刀身に映る彼女の顔には心の動きは反映されない。

「……シュレイド、私の大切な宝物。今でも目を瞑ると思いだすあの日の光景が瞼に焼き付いて消えない。あの子の命が世界から消える瞬間の絶望。それが運命だと、あの子の人生だと、その終わりを導いた運命の神を決して、許さない。私が必ず、イグジスタを討ち滅ぼしてみせる」

 自らをも滅ぼすほどに強大すぎるその力によって剣を握り締める彼女の手の平から、手にしている深紅の剣にも劣らぬほどの赤い鮮血が滴り落ちていた。


 王国九剣騎士編 完

 作 新野創
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