98 激情の連鎖
工房として使用している部屋の一角が炎の熱によるものと明らかに異なる揺らめきを映しながら歪みゆき、そこに小さな人影が現れた。
「随分と肩入れするねアンヘル、剣を使わなくなりそうな彼にはもう用はないのでは」
ローブを纏い、目元以外を隠すようないで立ちで小柄な少女が姿を現す。
「……サウィンか、ふん、ただの気まぐれだ。文句ならサリィに言え。それより俺に気配を悟らせんとはやるではないか。いつからいた?」
アンヘルと呼ばれた男は静かに視線を釜へと戻して炎へと薪をくべた。
カランカランと音が鳴り、炎に焦がれ宙へと去りゆく灰となった木達が舞い上がる。
木達にとって灰になる事は抗えぬ死であったと言えるのだろうか。
天へと還った父の最期を思い出すには十分すぎる光景だった。
「さぁ、いつからだろ」
ふわりとした返答であったがアンヘルには特にそこから感情の機微は生まれない。
「それも魔法とやらか? 珍しい来客が続くものだ。どうかしたのか?」
彼の店、工房に寄り付く人間は日頃いなかった。その為、こうして来客が続くことは珍しい。日頃、サウィン達と行動を共にすることは多いが、それも自分達の意思でそうしているわけではない。
行動を指示してくる者達の求めにそれぞれ各自が応じている結果、一緒に居るに過ぎない。
「フェレーロのこと。彼は今、激情に身を委ねている。その気持ちは分からなくはないけど、どうする?」
フェレーロの名を聞きアンヘルは静かに視線を落とす。
「今の奴に対して指示に従うよう促すのは、現状では無理だろうな」
彼の身の内に盛る炎の形をアンヘルは知らない。それゆえ興味はある。何のしがらみもなければ今のフェレーロと戦ってみたいとさえ思っていた。
「うん、そうだよね。だから、どうする?」
小首を傾げたままのサウィンがアンヘルに問う。
「ふむ、お前もいたのなら聞いていただろうが、サリィも何やらおかしいようだ」
サウィンが苦い表情で眉をひそめた。
「みたいだね。何をしてるの、サリィは」
大きなため息が炎を微かに揺らす。
「俺が知るわけなかろう。とはいえ連絡係のミーシャから丁度、指示があった所でな。俺達は来年まで何もするなという事らしい。今の所は二人とも放っておいて問題はないと言える」
「そう、何もするなというなら、しない」
あっけらかんと答えたサウィンは、次の瞬間に纏わりつかせている空気が変わる事になる。
「そうだな。ああ、あと九剣騎士の一人だったか? 度々お前が名前を呟いていたあのディアナという騎士がどうやら東部学園都市へ調査にくるらしいぞ」
「……ディアナ、が?」
アンヘルは目を細める。瞬間的に変わった彼女の表情から目の奥底にある感情が分かりやすく読み取れた。おそらくフェレーロと同じだろうと即座に推測するに至るほどに。
冷たく、限りなく研ぎ澄まされた殺気が小さな身体から噴き出す。
アンヘルは、そうか、と一言だけ答えた。
「千載一遇のチャンスがくる。ねぇアンヘル。頼みがある」
こうした話になると読んでいたのか先に手を打つかのように拒否の意思を込め告げた。
「俺は私怨には一切の手は貸さん」
真っ直ぐアンヘルを見つめたまま視線を外さずフードの奥でサウィンは小さく唇を噛む。
「なら、直接じゃなくていい。ただ、ディアナと会う際に邪魔が入らないように近づけないようにして欲しい」
アンヘルには他人の心の機微はわからない。察する事は出来ても理解する事は難しい。
「……ふむ、何故、そこまでディアナとやらに拘る」
初めてアンヘルは他者の生きる理由を問う。
誇り高き男はつまらない理由で自らの行動を決められる事や指示される事が嫌いだった。
なら理由があれば動くのかと問われれば場合による。そんな男だ。
今日はアンヘルもどこかいつもと違っていたのだろう。
他人の生きる理由に興味が湧いていた。
「……ディアナはかつて私の母を殺した」
「仇討ちということか?」
「うん、そう」
アンヘルはサウィンに向けて、言い放つ。
「それは何のために必要だ? お前はその先に何を見ている」
「え」
「ディアナとやらを討ち果たしたとして、その先はどうする」
これはある意味で自分自身への問いでもあった。アンヘルはこの学園にきて多くの人間を見てきた。
これまで自分が生きてきた環境とは大きく異なる中で分からない事が増え様々な思考がよぎり、行動の選択肢が広がる。シュレイドの頼みを聞き入れたのもそんな一つだ。
目的を果たした先に、目標を達成した先。それが見えない事にアンヘルも全く不安がないわけではない。
「わからない。その為だけに生きてきたもの」
彼女の答えはアンヘルと同じような答えだった。ある目的の為だけに生きてきた自分と。
「その生き方に誇りはあるか?」
「そんなものは分からない。ただそれが、私が生きる全て」
「お前はその母の最期に立ち会ったのだろう? シュレイドへ向けた言葉をお前にも送る事になりそうな話だな」
「私が意識を持った瞬間。それが私と母との最初で最後の僅かな時間だった。でも、母が望んだことは分かった。間違えるはずなんてない。ちゃんと、胸の中にねじ込んだ。だからこそ、私がディアナを討たねばならない」
その言葉に嘘偽りなく、本心であることが伺い知れた。だが、言い回しそのものに大きな違和感を生じている事に気付きアンヘルは珍しく眉をひそめた。
しかし、解けない思考に長く捉われるほど、思慮深くもないアンヘルはその言葉に込められた想いに対して返答する。
「……いいだろう。火の粉を払うだけならば手を貸そう」
アンヘルの返答にサウィンの目に光が宿りキラキラとした笑みが浮かぶ。それなりに長く付き合いがあるが珍しい表情だった。
彼女にとっては自分の悲願と同等であると言える事なのだろう。客観視した際に自分が敗れるという事は考えていない事にも気付いていた。
途端、自身の境遇とも重なり、これまで考えても来なかった想像が頭の中に拡がる。
もし、自分がその悲願を果たすことが出来なかったとしたら? アンヘルは即座に頭を振り、浮かんだ思考を霧散させる。
「ありがと」
「構わぬ」
アンヘルはそう答えると何かを振り払うように再び炎へと向かう。
カン、カン、カンと再びアンヘルが鎚を打ち鳴らす音が響く中でサウィンは揺らめく炎を見つめ続けた。炎の先に、遠いあの日の母の姿を重ねて。
『母に貰った力で、必ずディアナに復讐を果たしてみせる。きっとそのために母は私に魔女としての力をくれたのだから』
窯で盛る炎にも劣らない激情が彼女の体内で猛り狂い、瞳が映す炎は自らの心の様子とこの時、共鳴するかのように赤く赤く、小さな心を染め上げていた。
彼女が炎の先に見据えているのは九剣騎士が一人
五の剣 炎槍爆突の制圧者
その名はディアナ・シュテルゲン。
「私が必ず、報いを受けさせる」
サウィンは炎の猛りに飲まれるほどの小さな声で、しかし決して掻き消されぬ激情に身を任せたまま呟いていた。
続く
新野創
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