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118 八の剣と英雄の孫

「んん、あれ? ここは」

 シュレイドが目を覚ますと見慣れない場所だった。頭の中でぐるぐると夢の中で見た光景との境界線が曖昧になり朧げなままで軽く目を擦る。
 のそりとベッドから這い出て、ベッドのへりに座ったまま周囲を見渡した。
 
 シュレイドの寝ていたベッドの反対側にもう一つのベッドがある。
 見ると誰かがそこに居た痕跡があり、彼はそのベッドまで歩いていくとゆっくりと手の平で撫でる。

 無意識の行動だった。何かを求めるように手のひらへと意識が集まる。

 まだ温かい。直前までここには誰かがいたのかもしれない。
 
 微かに鼻孔をくすぐるこの香りはどこか懐かしく、シュレイドの胸をぎゅっと締め付ける。
 まるで自分じゃない誰かがそう感じているような不思議な感覚。

 擦れる布の音が小さくシュルルと鳴り、そこにはもう誰もいない事を告げる。

「俺は、俺、なんだよな」

 服の上から胸の辺りを握り締めて呟いた。その更に胸の奥を手で掻きむしりたい衝動に駆られる。

「英雄の孫。俺はグラノ・テラフォールの孫。シュレイドだ」

 英雄の孫。

 そう呼ばれることに、そう見られることに、いつからか不満を持っていたはずだった自分。
 けれど、今はどうしてか自分の存在を最も肯定してくれる言葉にも思えてならない。

「……じいちゃん」

 その時、パサリと音がして布をたくし上げながら二人の人物がテントの奥へと入ってきた。
 テントにしては広いその場所の空気が変わる。だが、不可解な事に張り詰めた空気と弛緩した空気が混在している。
 相反するその空気が同一空間に存在することなどあり得ない。

「あら、物音がしたと思ったら、やっぱり起きていたのねぇ」
「もぐもぐ、ごくん。ふぅん、おお? 君は先ほどの。リーリちゃんと同志の匂いがしたのはチミだにゃ?」

 老婆先生はオースリーの時の怪我も見てもらったことがあった。どうやらまたもやお世話になったようだとシュレイドは軽く頭を下げる。

 頭を上げて視線に入る人物に先ほどから意識を奪われつつあった。
 見慣れない人物。学園内でも見た記憶はないということは双校祭で外から来ている人なのだろうとシュレイドは推測した。
 
「先生。ありがとうございます」

 そういうと老婆先生はにっこりと微笑む。

「お礼なら連れてきてくれたお友達に言うのねぇ」

 老婆先生は柔らかい声色でそう言った。

「ともだち?」

 誰かにともだちと言われるような存在には心当たりがあるが、そこで浮かぶ人物達の姿と言語化された言葉の関係性に理解が及んでようやく自覚する。
 
「皆は友達、なのか。俺の?」

 一人で問答する様子を見ていると声を掛けられた。
 これまでに出会ったことのないタイプの人物であることはシュレイドは一目で分かっていた。
 そして、もう一つ理解していたのは目の前の人物は間違いなく剣が好きであるという事だった。しかし、何がシュレイドにそう思わせたのかが分からないままだった。

「チミさんさぁ」

 といいながら音もなく目の前に接近してくるその動きに反応できず硬直してしまった。

「じぃいいい」

 この距離で見つめられるのは慣れない。距離感が掴めないその人物に初めての感覚が沸き起こる。どういうことなのか、目の前の人物のその底が見えない。
 なのに凄い人物であると到底思えないほどの佇まいに思考が混乱しっぱなしになる。

 こんなことシュレイドは初めての経験だった。

 すごいけど、すごくもない。が共存している目の前の謎の人物。

「あ、あの、この人は?」

 老婆先生はニコニコと微笑むばかりだ。目の前の人物はこちらの目をじっと見つめた後、ニマニマと笑いかけてくる

「チミィ、リーリちゃんと同じ、いやちょっとだけ違うか。友達がいるみたいだしな。はぁああ、うらやま若人よな」

 皮肉めいた言い回しをしながら目の前に近づいてくる。

「あの、だから貴方は」

 目の前の人物は脱力したままでこちらに警戒を持つ色もまるでない。へらへらしながら名乗ってくる。

九剣騎士シュバルトナイン八の剣セイバーエイト、リーリエ・ネムリープ。この世界の宝、リーリちゃんとはリーリちゃんの事であるからして以後、御見知りおきしてもいいよ」

「しゅ、ばると、ないん?」

 遠い昔に憧れた騎士の頂点、そんな人物がどうしてここに? と思わず隣の老婆先生を見ると優しく頷いた。どうやら本物らしい。

 にしては先ほどの名乗りは騎士らしからぬ名乗りでますます訳が分からなくなる。それに憧憬の称号を持つ人物であるにも関わらず全く緊張しそうな気配がない。

 エナリアの前に居る時の方がよっぽど緊張が感じられるくらいだった。

「……やっぱり、そうなのか? しかし、どうにも絡まってるような、うーん。わからん時は思考放棄に限る」

 ギュンギュンと首を傾げてあちらはあちらで不可解な事に遭遇してしまったようで眉間に皺を寄せている。

「え」

「なぁなぁ、君も見た所、肩書きとかうぜえ民だろ」

「かたがきとかうぜえたみ?」

 ちょっと何言ってるのかわからない目の前の九剣騎士シュバルトナインは変わらずじっとシュレイドを見定めるように興味深げに見つめ続ける。

「なぁ、ところで本当に学生なのかいチミィ」

「どういう意味でしょうか?」

 リーリエという人物は値踏みし続けるようにシュレイドの一挙手一刀足に注目する。

「その年齢でリーリちゃんの剣気くんに先ほどから晒されて二本足で立ってられるなんて普通はありーり得ないからねぇ、あ、今の言い回し上手くない?? ゴロもいい感じだし、ありーり得ない。よし、今度から使お」

「はぁ」

 ピッとテントの端々の布に次々と細かい切れ目が入り、外から陽光が差し込みテントの中にいくつもの光の線が走っていく。

「……面白いじゃんねぇ、リーリちゃん人見知りではあるけど共通の趣味というか好きな事? があるやつってのは初めてなもんでねぇ、ちとうれしみの極みに達しようとしているんだにゃ」

「共通の趣味? 好きな事?」

 問うと即座に手を掴まれていた。いつ掴まれたのか全く気が付けなかった。恐ろしく無駄のないリーリエの動きを視覚で捉えることが出来ずシュレイドは身動き一つできなかった。

「手」

「手?」

「鬼のような剣タコだこれ、しかも、尋常じゃねぇ、つか異常だ。この手は変態の手だ」

「え? ええと、変態って」

「おろ? 自覚もなしぃ?? おお、ほほ、益々いいじゃんいいじゃん。んじゃほら、いっくよー」

 そう言ってシュレイドの手を掴んだまま引っ張るように歩き出した。

「え、いくってどこに?」

「だってここじゃ遊べんでしょ~外よ外」

「あ、あそぶって今それどころじゃ」

「さっき食べたお菓子の分くらいは運動しとかないとだしねぇ~リーリちゃんは真の怠惰者だけど、そういうとこだけはちゃんと乙女なのにゃ」

「は、はぁ」

 終始、リーリエのペースで進んでいく。断る事も出来なさそうな強引さがありシュレイドは苦笑いを浮かべるしかなかった。

「あの、先生」

 チラリと助けを求めるように老婆先生を見るが変わらず微笑んでただ一言。

「こんな機会、そうそうないことだわ。お言葉に甘えてみたらどうかしら。勿論あなたの身体がもう大丈夫ならだけど」

 と言ってくれた。

「身体は多分もう問題ないと思いますけど、でも」

 ベッドの脇に立て掛けられている剣に目をやる。ミスターコンテストの控え室から誰かがここまで持ってきてくれたのだろう。

「お、それがお前の剣? ぷぷぷ、なんで鞘にガチガチに固定されてるわけ? ウケる。剣ちゃんにどんな束縛プレイしてくれちゃってんの、縛りプレイ中?」

 ケタケタと腹を抱えてリーリエは笑う。

「いひひひ、あー腹が捩れる。ったくこんなに笑ったの久しぶりぶりのぶりくらいぶりだにゃ」

「これには、その、事情が」

「なーるほど、だ~からお前の剣がさっきからさリーリに助けを求めてくるってわけなんだにゃ~」

「え」

 剣を見つめたまま彼女はぶつぶつと独り言のような、うわごとのような言葉を呟くが聞き取れない。

「ほぉん。そかそか、学生であるチミのその悩みなんかリーリちゃんにはさっぱりわからん、が、剣がリーリちゃんにここまで訴えかけてくるってことは、相当なことなんだにゃ。だから今は益々チミに興味が湧いてきておるぞよ。同志として」

 悩みがあるなんて事を見ず知らずの誰かに話したことはない、ましてや目の前の人物とは初対面でもある。
 どうして、そんなことが分かったというのだろうか。それに先ほどからリーリの言う同志という言葉が何故かしっくりとシュレイドの腑に落ちる。

「同志?」

「チミも、剣、すきだろ。とんでもなく」

「え」

「わかんだぜぇ。リーリちゃんもお前と多分同じなやつ。あれだろ。剣しかさ、自分の傍に常にいてくれる存在、いなかったろ」

 その瞬間に自分に向けられる目を見てこの人に嘘は付けないと思った。
 リーリエも絶対に剣が好きな人であることをシュレイドも一目で分かっていたからだ。

「……はい」

 シュレイドの返事に破顔してにへらと気味の悪い顔をしたリーリエは立てかけてあった剣を掴んで手渡す。

「おや、そういえばこの剣、どこかで会ったかにゃ? ま、いいや。言葉で色々話すのは面倒くさい、せっかくの変態的な出会い、どうせなら剣で語ろうじゃないか。……ふむふむ、学園に来るのはクッソ面倒だったけど、こういう出会いがあるのは想定外で実に刺激的だにゃ~わくわく」

 目をキラキラとさせてまるで子供のようにはしゃいでいるリーリエの姿がとても理想的に見えてシュレイドには眩しかった。

「あ、でも、俺、今は……」

「剣を鞘から抜けないんだろ? トラウマか何かか?」

「え、どうして」

「チュッチュッチィイイ、リーリちゃんをあまくみちゃいかんぜよぉ、剣に関わるあれこれだけは一日の長があるんだじぇぇこのリーリちゃんはよぉ」

 人差し指を左右に振りながらのリーリエの舌打ちは下手糞にもほどがあった。

 だがその指摘自体は間違っていない。どうして分かったのだろうかとシュレイドはただただ不思議な面持ちで佇んで俯く。

「すごい、ですね」

 俯くと自分の足元が視界に映る。そんなシュレイドの耳に刺さる言葉が投げかけられる。

「気にするなし、剣とは鞘にあらず、刀身にあらず、その心の在りようを現世で表す為に架け橋となる物体であるに過ぎないってね。鞘に入ってようがなかろうが特になんも変わらんって、まぁ縛りプレイにはツボるけど」

 思わず視線を上げてリーリエさんを見つめる。鼻の下を人差し指でこすっている。教訓めいた言葉を誰かに言うのは気恥ずかしいらしい。今の言葉にシュレイドの心はわずかに反応していた。

「……鞘にあらず、刀身にあらず」

 無言でその言葉を反芻する。

「そ、リーリちゃんの扱うスライズ流の始祖? とかいう昔の偉そうな人の言葉だにゃ。他にもいろいろあるけどマジで意味わからんだろぉ? 結局スライズ流なんか決まった型は皆無で、思想が共有されてるだけなんだけどにゃ」

 漠然と伝わるものはあるが確かに先ほどの真意は分からない。それにスライズ流の事は昔、祖父グラノにもその存在を聞いて調べていたことはあり知識と情報だけはあった。
 だが究極の我流と呼ばれる無形の剣術スライズ流は扱う人によりその技術、技法が異なりすぎており歴史はあれどその戦法、戦術にさえ統一感はなく、いつしかただ適当に剣を振る人たちの剣術をそう呼ぶ蔑称にもなっていたはずだった。

 それを扱う人間が九剣騎士シュバルトナインにいたという事にシュレイドは驚きと共にリーリエと同じく興味が湧いていた。

「その、どういう意味なんですか。難しい事は、よく、わからなくて」

 ただ、その言葉の中に今の自分の状態を脱する為のヒントが隠されているような気がして思わず詰め寄る。

「ほぉら、やっぱ気になってきたんじゃん、やっぱチミも剣が好きすぎる人種だな。今の時代じゃほとんど絶滅したに近いからなぁそういう変態達」

「……」

「ほれ、外に行くぞぉ、変態同志よ。今からそれを実践しよう! ハッ!? これもしかして学生に教えるのってサンダールに言われた剣の指導ってやつに含まれるんでは!? だとすればこの実績を誰かにうまく伝えてもらわねば、、、おい、そこのおばば!!」

「はい、おばばならここに」

 老婆先生もノリノリでリーリエに乗っている。こんな先生だっただろうか? それとも目の前のこの人がそう言う空気を創り出しているのだろうか?
 興味は次々と湧いてくる。こんな気持ちは久しぶりだった。

 シュレイドはいつぶりにかワクワクしていた。本人にまだ自覚はないものの昂る気持ちは確かにそこに生まれつつあった。 

「リーリちゃんが命令以上の素晴らしい仕事をこなしたことをぜひ国に報告してくれたまえ」

「うふふ、かしこまりました」

 老婆先生は楽しそうに笑いながら頷いた。

「にゃはは、これでまたしばらくは楽にできる言い訳にも出来るし、一緒に来たディアナにも叱られずに済むはずだにゃあああ、リーリちゃんあったまゥイイ~天才~ウィイイ」

 そう言うと手の平を拡げ手招きするようにリーリエは改めてシュレイドに手を伸ばす。

「さ、おいで。いこうかにゃ、あ、そういえば。チミの名前まだ聞いてなかったね」

「あ、はい、俺の名前はシュレイド・テラフォールです」

「は?」

 その名乗りを聞いた途端にリーリエは身を震わせて鼻の穴を拡げとてつもなく変な顔になって目ん玉をひん剥いていた。


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