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37 勝利者の悲鳴

 濁流の如き猛攻は激しさを増していく。剣撃を避け続けていたシュレイドも徐々にその攻撃を避けられなくなり、身体の至るところを鋭い何かが肌を何度も掠めていく。

 先ほどから剣筋はかわしているはずなのに痛みが走り傷を負う。不可思議な状況にシュレイドは困惑していた。

(なぜだ、なぜ切られているんだ?)

 生きることにしがみつくような執着、騎士を目指すという意思、目指す自分。この年代の誰もが持っている、夢。

 そうした全てが今の自分にはない。なら、相手に大人しく切られてこの戦いを終わりにすればいい。

 浮かんだ思考はそうでも、肉体がそれを実行に移してはくれない。身体はその意思とは裏腹に、自然と相手の攻撃を避け続ける。

 ゼアの動き、様子を見てピグマリオンは更に笑みを浮かべ、両手を天に掲げていた。

(おお、いいぞ、ゼア。お前のほうがよもやふさわしいとは思わなかったが、実に嬉しい誤算だ。素晴らしい)

 ニタニタするピグマリオンの様子に異変を感じたのは、先ほど制止されたメルティナだった。


「ミレディ、この先生……何かおかしい」

 その言葉を聞いた隣に居るミレディアもまた、この状況の異質な雰囲気を感じていた。かといって違和感がある程度の感覚では、何が起きているのかもわからず、どうするべきかも全くわからないままで立ちすくんでいた。
 
 横にいるメルティナの表情が焦りを帯びていく。
 
 メルティナは自身の中で微かに混ざりゆく負の感情が少しずつ膨らんでいくのを感じていた。

 そう、目の前のこの先生を消せば、シュレイドを今の状況から救えるのではないかと。

 気が付けば手に力を込めている自分に気が付く。

(私、一体なんてことを考えてるの!?)

 頭に浮かんだ考えを振り払おうとして、頭を大きく振り乱す。

(でも、このままじゃ、シュレイドが)

 視線の先には徐々に追い詰められ、傷を負い、血を流すシュレイドの姿が映っていた。その表情は苦悶を浮かべている。見ていられなかった。

(もう、もうやめて、やめてあげて)

 メルティナの瞳から涙が零れ、頬を撫で落ちる。


 「はぁああああああああああああ」

 ゼアが大きく叫んだ。シュレイドは自分の目を疑った。眼前で起きた出来事に硬直する。

 (この攻撃は……え、まて、なんだ、これは、水!?)

 会場にいる生徒達はその様子を見てざわめいた。

 シュレイドへと攻撃が繰り出される瞬間に目の前のゼアの身体は水飛沫を上げ弾けて飛び散り、本人の姿はそこにはなく、霧のように霧散して視界から消えた――


 ――遠くで弧を描いた指は、他の者には読めない文字が入り混じった独特のシルエットを空中に浮かべて淡く光っている。
 小柄な少女はゼアの姿が消えた瞬間に隣の大柄な男に視線を飛ばし叫んだ。

「いまっ!!!!!!!」

 隣の大柄な男は手にした筒を掲げた。少女が描いた陣の光が男の身体を包みこみ、手にした筒に息を吹き掛けると何かが真っ直ぐに筒から射出されて飛んでいった。


 目の前で飛沫を上げて消えるゼアにピグマリオンは歓喜した。

「おおおおおおおおおおお、これぞ、これこそは神の御業!!!!!」

 その男の背後から突如、一足飛びに人垣を越えてカレンが飛びかかっていく。あの距離を凄まじい速度て駆け抜けてきたカレンはその勢いのままにピグマリオンの背後に着地して、なおも地を蹴った。

「一撃で意識を刈り取らせてもらう」

「っ!? カレン!!! なぜここに!?」

「ピグマリオン先生!!!! 失礼!!!!!」

 カレンは力を込めてピグマリオンの腹部を打ち抜いた。

「がっ、ご、ヒュウッ、か、は」

 ピグマリオンがその場に倒れ込んで崩れ落ちる。カレンはその身体を抱きとめつつ視線を移した。

(監督の先生が気絶していたとあれば、その場にいる他の者が判断を下しても構わないはずだ……っっ、しまっ、間に合わなっっ)

 だがこの時、カレンは対処の順序、判断を誤った事を瞬時に悟る。目の前の二人の戦いを止めるのが先であったと。
 そう思っても最早、この位置から2人を止める手段がカレンにはなかった。

 シュレイドの目の前ではじけた水飛沫がキラキラと陽光を反射して煌めく。目を見開いたカレンは抱き留めていたピグマリオンのせいでシュレイドの背後のゼアが瞬時には視界に入らず、わずかな判断の遅れを生じた。声を出す以外に出来る事がなかった。

 ここに至るまでのわずかな、ほんのわずかなズレが目の前の光景に今をもたらす。未来に至る一つの現実として時は進んでいく。

「二人ともとまれ!!!!!!!!!」

 遠巻きに叫ぶカレンの声は周囲の者達のざわめきに掻き消されて二人の耳には届かない。

「終わりだぁっ!! シュレイド!!!!」


 困惑するシュレイドの周囲からゼアの声が聞こえてくる。その姿はシュレイドを取り囲むようにして何人も存在していた。視線を奪われ何が起きているのか分からずにいた――

 ――次の瞬間

 視界に入る全てのゼアは先ほどの目の前で起きたと同じように次々と弾けて水飛沫を上げて視界を遮るように消えていく。

「さようなら、シュレイド」

「ッッ!?」

 ポツリと呟かれた微かな声に身体が反応した。僅かに首筋にビリビリと嫌な感覚が走っていく――――

――――シュレイド、よいか? 考えて動いたのでは間に合わないこともある。だから、ただただ繰り返すんじゃ。ひたすら思考が挟む余地のなくなるほど身体に、肉体に染み込ませ続けるのじゃ。反復し、想像し、それが無意識となるまで、ただ愚直に繰り返すのじゃ、そうして練り上げた剣は、いつか、いつかお前を――――

 祖父の教えを身体が覚えている。こんな時はどうすればいいのかを。


(斬撃がくる!? どこから?)

 それは直感的、いや、反射といっていい行動だった。

 意識ではなく、身体が覚えている。この攻撃に対してはどう動くのか。出血が続き、少しずつ朦朧としていく意識も相まって、それは彼の身体に刻まれている動きへと導かれる。
 何万、何十万と剣を振ってきた身体が自らの意識の命令を聞かずに自然と動き出す。だが、それは本当ならばこれから来る攻撃を止める為だけの動き……


――――いつか、いつかお前を、救ってくれる力となるじゃろう。


 ……その、はずだった。


 鞘から右手で剣を抜き払い、背後から迫る気配に振り向きざまに横薙ぎに払う。相手から振り下ろされてくるであろう剣を止める為に――

 視界にゼアを捉える。最上段に剣を構え、振り下ろさんと力を込める姿。

 シュレイドは剣をそのまま背後へ捻じる動きと共に強く横薙ぎに切り払う。身体がそうしろと反応する。身の危険が迫ったこの時に意識を上回り、身体が反射的に、叩き込まれた動きを継続して全力で動作する。

 相手の剣を、攻撃を止める為だけに放ったその剣から伝わる感触……――

 シュレイドはその感触に大きく目を見開き、意識の外で動作する自分の身体へと命令を送るが既に止められるはずもなかった。


「ッッ!?」

 直前、ゼアが剣を振り下ろそうとした刹那、ほんのわずかに身体が硬直していたのをこの場にいる誰が気付けただろう。

「くっ……!?」

 鈍い痛みが一瞬ゼアの体中を駆け巡り、それによって生まれた僅かな、ほんの僅かな身体の硬直。

 
 だがその瞬間が全てだった――


 ――ゼアは全力で歯を食いしばった。走馬灯のように昔の思い出が脳裏に流れていき、浮かんだ大切な家族の姿、、、なぜか、皆、涙を流している姿だった――


 この場にいる全ての者が注目する中、弾け飛ぶ透明な水の飛沫の中に赤い飛沫が混じる。


 僅かに遅れて風を切る音が聞こえてくると共に握り締めた剣が目の前を通り過ぎていく。剣の切っ先が相手に触れ、肌の表層からその奥へと剣が入り込む。骨に当たる衝撃が腕に伝わり、その瞬間、ゼアを切り飛ばしていた。

 雨のような飛沫を上げて散る鮮血、そして相手の身体が空の青に吸い込まれるように綺麗な弧を描き、水飛沫と共に宙を舞ってゆく。

 相手と視線が交差した瞬間、瞳に映りこんできた彼の表情をみた青年の呼吸は、一瞬、止まった。


 ――世界の時間が変化したかのように視界に映る全てがゆっくりと動いてゆく。やがて腕の神経へと遅れて伝わってくる、身体を切り裂いた感触。途端、シュレイドの顔から引いていく血の気、下がりゆく体温、冷えゆく身体。

 地面へと太陽の涙のように逆光の中で落ちてゆく相手は力なく地に倒れ伏し、息も絶え絶えに天を仰ぎ力なく行う呼吸だけが耳に入る。

 シュレイドの全身がガタガタと震え出していく。
 繰り返した動き、剣をただただ振り続けてきたシュレイドの身体はただ、相手の攻撃を防ごうとしただけのはずだった。剣で剣を受けとめるだけの、ただ、それだけのはずだった。

「……、あ、はぁっ、はっ、はっ、ああ、ああ」

 手に残る感触がじくじくと心臓に早鐘と連動する。震え出す身体を止められない。

「こん、な、こんな」

 剣の重さに耐えられずシュレイドは思わず剣を握る為に入ってしまっていた力を放棄する。静まり返る場に落下した金属の音がカランカランと、他の何かも一緒に溢し落としたかのように響き渡る。

「……とどか、なかった、のか、、、俺の、、け、ん、、、は、、、かれ、に」

 呼吸を荒げ、感覚の消えた身体を確認し、自覚する。この傷ではもう助かれないであろう自分を

「か、かは、ぐ、ご、僕は、僕は、こんな、ところで…」

「…おい、おいっ!! 大丈夫か? おい!! お前!!! しっかりしろ!!!」

 シュレイドは絞り出すように声を出し、よたよたとゼアに歩み寄り、救いを求めるようにその目を周囲に向ける。
 その視界にカレンの姿を捉え、シュレイドは縋るように泣き叫んだ。

「先生ぇええ!!!!!!!」

 カレンから見ても上半身と下半身がほぼ両断に近い状態になっており、どうする事も出来ない傷と出血であることが見て取れた。小さく目を閉じ、一度唇を嚙みしめたあと、一言シュレイドに告げる。

「致命傷だ。これでは、もう助からん」

 その言葉にシュレイドは絶望の表情を浮かべる。今のは自分の意志じゃない。こんなことするつもりなかった。そうでも言いたげな表情で膝を折り、崩れ落ちる。

「俺は、何のために、こんな、力」

 見ていられなかった。目の前のシュレイドに今かける言葉など見つからない。メルティナはそんな中で、安心してしまっている自分にも気が付いてしまう。

「…シュレイド…」

 一言呟いたが、黙り込むしか出来なかった。

 息も絶え絶えに天を仰ぐゼアは手を空へ向け、誰かへ手を伸ばすように掲げ、陽光を遮る指の隙間からの光に目を細める。

「ごめんな、約束、守れ、ない、かも、しれ、な…」

「…やく、そく」

 シュレイドに僅かに視線を向け、ゼアは話しかける。

「…君に、お願い、がある。君、はいつ、かきっと、、すごい騎士になる、、と、思う。だか、、ら、いつか、君が、騎士に、、、なって……」

 ゼアは何かを想うように視線を遠く遠く空の彼方へ向ける。遠い地へとその想いを届けるように…

 自身の身体が持たないことを、もう悟っているゼアは、残る力を振り絞り言葉を続ける。

「……海辺の、町、シーウェ、ルンに、行くこ、とがあったら…妹、の大好、きな、チョコ、コロネ、を僕の家に、、届けてほ、、しいん、だ。帰る、ときに、持っ、ていく、やく、そく、を、、、はぁ、はぁ、僕の、代わ、りに…」

 シュレイドは感情が入り混じった胸の内を整理できずに言葉と共に溢れだしてしまう。

「そんな、約束なんか、出来ない。出来ない、そんな、約束、自分で果たせよ…なんで、俺に」

 そんなシュレイドをみてゼアは僅かに笑みを浮かべた。まるで彼を気遣うように。君は悪くないとでもいうように。

「…これ、は、君の、せ、いじゃ、ない。俺が、弱かった、だけ、だか、ら」

 少しずつその声からは温かさが失われていく。シュレイドはただただ、謝る事しか…それだけしか出来なかった。

「ごめん、ごめん…」

 ゼアの瞳から光が失われていく。

「とう、さん、かぁ、さん、、し、、、、、、あ…ごめ、ん、、な…………」

 静寂が包み込む。静かにその最後の呼吸は消えゆき、掲げていた腕は地面へと落ちてだらりと力なく静止する。

「あ、ああ」

 まとわりつく何かが心にそっと入り込む。その冷たさと重さを吐き出すようにシュレイドは込み上げるこの感情から逃げるように叫んだ。

「く、う、っっっ、ああああああああぁアアア!!!!!!!!!」

 響き渡るその声は、幼い日から一緒に過ごしてきたメルティナやミレディアでさえも聞いたことのない声だった。

 初めて耳にしたシュレイドの悲鳴、それはまるで、シュレイドの心が嘔吐したかのように響き渡る絶叫だった。




続く

作 新野創
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