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103 あの日の罰

 視線に入り込んだ空。夕暮れの光が珍しく赤紫色の怪しげな景色を映し出していて思わず足を止めた。

 羽音も聞こえない位の上空を名前も知らない鳥が飛んでいく。住処へと、自分たちの家に帰っていくとこなのかもしれない。

「うーわ、今日はすんごい空の色だぁ」

 道中を駆けている間も自分の表情が身体の動きがいつもより少しばかり強張っているのには当然気付いてた。

 アイギス先輩との戦いによる影響のおかげで気分は僅かに紛れているけど、やっぱりいつも通りではいられない。

 首から下げているおまもりを制服の上からそっと手のひらで掴んでみると今でも胸の奥がギュッとなる感覚が走る。

 嫌でも気付いてしまう。何年経とうが薄れる事なんかない。

「この日だけはどうしても、毎年ダメだなぁ。ほんとらしくないったらないよ」

 あの日、小さなお墓の前でもう泣かないと誓ったんだから。涙だけは、見せちゃだめだ。絶対に。

「……アニス」

 少しずつ、少しずつ夜へ向けて色が変わりゆく空へと呟いた名前。

 その名前をあたしが忘れられるはずなどない。

 今日はあの子が私の代わりになってしまった日、だから。

 シュレイドとメルティナと一緒に過ごすようになるよりももっと昔、あたしは孤児院に住んでいた。

 ケイヴン教のシスターであったダリア様に育てられ過ごしていた日々。
 両親の顔は知らない、気付いた時にはもうあたしはそこで最初の日常を過ごしていたから。
 でもそんなこと気にもしたことなんかないくらい幸せな日々だった。

 ただ、一つの事を除いては。

 そう、孤児院は村の人達に疎まれていた。貴族を中心とした者達は大人も子供もすべからく私達を煙たがる。

 ある日、幼い頃のあたしは、村の貴族の子供へと手を上げた事が理由で貴族に雇われた騎士に命を奪われそうになった。殺されそうになった。

 それも全て孤児院の血の繋がらない弟や妹たち皆を、いじめられていたアニスを守る為にした行動が原因だった。

 理不尽な暴力に耐えて過ごす孤児院にいる子達。

 外の人達に怯えながら過ごす日々。

 あたしにはそれがどうしても納得できなかった。皆をいじめる貴族の子供を全力でぶっ飛ばして大きな怪我をさせてしまった。

 暴力に訴えた事は今でも最善だとは思っている。だって、それしか方法がなかったんだから。
 けど、それが元であたしは貴族の逆鱗に触れ、雇われた騎士達に連れていかれることになる。

 処刑されるはずだった遠い昔の今日という日に起きたあの出来事。

 あたしの前に飛び出して身代わりとなってしまった女の子がアニスだ。

 目の前が真っ暗になった。どうして、どうして。

 本当なら死ぬのは、あたしだったはずなのに。
 
 アニスが飛び込んでくる混乱の最中、颯爽と現れた国の英雄。シュレイドのおじいさんであるグラノさんが割って入ってきたおかげであたしは、助けられた。

 ただ、あたしを庇ってくれたその小さな彼女は、彼女だけは、結局助けることが叶わなかった。

 今でも鮮明に脳裏にこびりつく記憶。

 目の前で騎士に斬られて赤い飛沫を上げて倒れる姿。その記憶を忘れることをあたしの心が絶対に許さない。

 あたしが生き続ける限り忘れてはならない出来事。

 少しずつ冷たくなっていくあの日の小さな身体の温もり。

 あたしの手をぎゅっと握り締めたままで。

 拙い足取りで一生懸命あたしの元に駆けつけて斬りつけられた自分を庇ってくれた少女。

 すごく痛いはずなのに。

 ただただ、近くであたしの身を案じ続けて、必死に自分へと囁いてくれる声

『おねぇちゃんのことが……だい、す、き』

 そんな幻聴が頭に響き渡り思わず耳を塞ぐも記憶の中で呟かれたその声に胸が張り裂けそうになる。

「くっそ、ああ」

 久しぶりにくるこの感覚を拒否しようとしても止めどなく溢れるその想いに心が張り裂けそうになる。

 罪の意識に苛まれて、下唇を思わず噛み締めると血の味が口の中に拡がった。まるで少しずつ暗くなっていく空が染まりゆく色に呼応するかのように心の中にも闇が拡がっていくのが分かる。


 人間は、後悔する生き物だ。

 それが例え、その時の自分にはどうしようもなかった事だったとしても

 それでも自身が望まず起きた出来事の数々にいつまでも苛まれ続けるんだ

 あの日こうしていれば

 あの時こうしていれば

 時が経っても薄れる事なく、心のどこかにそれは残り続ける

 降り積もった年月が、あの日に見たあのお墓代わりの盛り土のように積み重なる

 墓標とはとてもいえないような、ただ盛られただけの土
 墓地の隅にひっそりと誰にもきっと知られずに今もそこにあり続けているんだろう

 汚い小さなただの木片が突き刺さって立っているだけの場所
 その木片に刻まれた名前を目にしたあの日に、誓ったんだ

 

 ぎゅうっと拳を握り締めて再び駆け出そうとした時、付近で人の気配がした。
 視線を感じた。あたしを見ている事がハッキリと分かるほどに。

 ジャリッ

 自分の目の前に隠れるでもなく現れる人物。
 ゆらりと躍り出てくる一人の男子生徒がいた。
 暗がりでも分かるほどには学園に来てから親交があった人物。

 道中の街灯が少しずつぼんやりと灯り始め、久しぶりに見るその人物の表情。
 それが授業で会っていた姿とはまるで別人のようであることに目を見開く。

 あのいつもヘラヘラしていて、ふざけていて、やる気があるのかないのか分からないように笑うおちゃらけた姿はどこにも見えない。

「フェレーロ?」

「……」

 返答もしないうちに真っすぐにあたしとの距離を詰め、手に持っていた槍を鋭く突き出してきた。危険な気配を察知して咄嗟に避けるも左肩を掠め表層の肉が抉られて宙を舞い、血が滴る。

 熱を帯びたその箇所からじわりと痛みが拡がる。
 右手で出血を抑えるように押さえると温かい自分の血で手のひらが染まっていく。

「ッつっ、ちょっと!? 危ないじゃない!! いきなりなにすんの!?」

 突き出した腕を引き絞り、槍をくるりと手元を支点に回して槍先に付いた血を払って構え直すフェレーロはあたしの言葉が届かないみたいだった。

「ミレディア・エタニス」

「えっ」

「俺は、お前を絶対に許さない」

 あまりにもいつもと違いすぎるフェレーロ。只事ではないと感じ取ったあたしは身構えようとするがさっきの一撃が思ったよりも深いのか、思うように力が入ってくれない。

「く、そ」

 どうしてか自分でも理由が分からない。この程度の怪我で戦えなくなるほどやわな鍛え方はしていないはずなのに。

 アイギス先輩と全力で戦った後だから?
 いや、違う。そうじゃない。さっきから何かがおかしいんだ。
 自分の第六感が何かの警鐘を鳴らすが、その正体が分からない。

 先ほどまで自分が自分に思っていた許せないという後悔の気持ち。
 それがフェレーロの口から言葉になって自らの元に届いたことで妙な違和感となって先ほどから体中を駆け巡っている。

 震えが止まらない。でも、恐怖とは違う。

「なによ? オースリーで戦うはずだったあたしと今からここで決闘でもやるつもりなわけ?」

 視線は変わらずあたしから外さない。冗談などではない事が分かる、だってあたしはこの空気を知っているんだから。

 周囲の余計な音を耳にいれないよう相手の動作に全ての意識を集中するが全身が逆立つような空気がまとわりつく。

 完全に消えない雑念が思考に混ざり込む。
 昔、あたしを斬れと命じた貴族、そしてそれを命じられた騎士の顔が脳裏に鮮明に蘇ってきたのもそのせいだろう。

 フェレーロからあたしに向けられている形のないモノ、その正体。
 
 これは、殺気だ。誰かが誰かを殺める意思を込めた時に発する空気、間違いない。
 でもフェレーロからこんなモノを向けられる覚えなんか全然ない。

「ちょ、ちょっと待ってってば!!」

 あたしは咄嗟に大声で叫ぶもその声を合図に問答無用でフェレーロは襲い掛かってくる。
 彼に殺気を向けられることにあまりにも心当たりが無さすぎる。
 
 
 そりゃ確かに普段から少しイラっとするような言動の多い奴ではあったから、あたしもフェレーロに横柄な物言いをすることはあった。
 けど、そんなことはいつもの事だ。それ以外あたしから何かした覚えはない。

「なっ!? ちょっと??」

 最初の攻撃もだが繰り出されるその槍捌きの速さに思わず驚愕する。紙一重でかわして飛びずさり槍の間合いから距離を取る。

「く、そ、っ強い!? 隙が無い」

 既に息が上がり始めていた。万全ではないのは確かだけど身体があまりにも重く自由が利かない。

 部活でアイギス先輩と戦った後で実戦感覚が研ぎ澄まされていなければそもそも最初の一撃で左胸を貫かれていたことだろう。

 更に言えば昔にグラノさんの元でシュレイドと行ってきた訓練の日々がもしもあたしのこれまでに存在しなかったとしたら、今のでおそらく終わってたとさえ思う。

 鳥肌が立つほどの高い技量を彼から感じた。凄まじい練度。これまであの陽気な姿の中にこんな実力をなぜか隠し通してきたんだろう。
 正直言って真っ向から戦っても今のフェレーロに勝てるかどうか、冷静な判断が難しい。

 それでも、あたしだってこのままやられる訳にはいかない。
 こんな所で自分の歩みを終わらせるつもりは、ないんだから。

「フェレーロ!! どういうつもり!?」

 再度叫ぶ、あらん限りの声を振り絞って。

 普段の彼から想像も出来ない程、ゾッとする表情を向けられて思わず身がすくむ。

 フェレーロがおそらく何を言っても言葉では止まらないと判断したあたしはすぐさま臨戦態勢を取り、応戦の構えを見せる。

 果たして身体は上手く動いてくれるのだろうか?

 どうしたらいいの?

 そう思考し、相手の出方を伺い隙を見つけようとした時だった。

「アニス」

 呟かれたその言葉が、名前が脳へと直接叩き込まれビクリと身体か硬直する。

 時が止まる。

 待って、いま、なんて。

 フェレーロは今なんて言ったの。

「えっ」

 唇が震えて言葉にならない。

 ううん、間違いない。この静寂の中であたしがあの名前を聞き間違えるはずがないんだから。

 フェレーロの口から呟かれた名前は決して偶然なんかじゃない。間違いなく、あたしが知るその名前を彼は呟いていた。

「返せ」

 かえ、せ?

 アニス、を?

 かえ、す?

「あ、ああ」

 その瞬間に何かがあたしの中で少しずつ繋がり始める。

 それは今日という日がそうさせているのか、目の前のフェレーロの言葉がそうさせているのか、分からない。

 あたしの頭の中に押し寄せる情報が濁流のようにあたしの思考を押し流していく。

 今のあたしの思考を世界に吐き出したような気味の悪い色の空の下であたしはカタカタと止まらない震えの中で過去の亡霊にでも足を掴まれたような錯覚に陥る。

「アニスを返せ!!!」

 叫んだフェレーロは全力であたしを貫く為に槍を繰り出す。

「うっっ」

 かろうじて身体を捻り致命傷を避けるべく反応する。
 けど、それでも避け切れない鋭い攻撃に今度は腹部からぼたりぼたりと血が滴る。

「く、あんた、どうして、その名前」

 辛うじて聞き返した言葉に舌打ちをするフェレーロはとぼけるなと言わんばかりに、歯が軋むほどに噛みしめてあたしを睨みつけてくる。

 彼がこうする理由だけがあたしの中では一向に繋がってくれない。ただただ忘れてはいけない何かがそこにあるはずなのに、その何かが埋まらない。

「お前が、アニスを殺したことは知っている」

 アニスを殺した。あたしが、殺した?
 あたしのせいで死んだことを知っている?
 それを、どうして、知っているの?
 どういうこと?

「ッッ、アンタがどうして、どうしてアニスを!!!!!」

 焼き切れそうな喉に込み上げる熱さをそのまま声にして無理やり叫びあげる。

 どうして知ってる?

 どうしてって、そんなの一つしか理由はないじゃない。

 フェレーロが昔のアニスの事を知っているということでしょ。

 でもアニスとどんな関係が……?

 繋がりそうで繋がらないその細い糸はフェレーロから繰り出される槍の攻撃により描かれる穂先の曲線のように乱れて、あたしの思考を散らす。

 苦痛に歪む表情で叫ぶが、何も答えずに再び槍を巧みに扱い連続で繰り出してくるフェレーロの攻撃をギリギリのところで捌き続ける。
 徐々に増える出血で少しずつ意識も朦朧としてくる。

 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、呼吸が乱れる。苦しい。

 なんなの、なんなのよこれ。
 
『あんな想いを誰にもさせないために』

 遠いあの日に立てた自らの誓いが、頭の中で大きく反響する。

『沢山の人を助けられる。本当に強いおねえちゃんになるために』

 その気持ちは変わってないよ。変わってなんかない。けど、でも。

『今はまだ自分に出来る事がなんなのかわからない』

 今でもまだ自分に出来る事がなんなのかわからない。

『けれど、これからさき、きっとみえてくるだろう』

 本当に? 見えてくるの
 
『自分の中にある誰かを守りたいという気持ち』

 ホントは誰かを守る為じゃなくて、自分を守る為だったんじゃないの?

 死にたくないってあの時、思ってしまったあたし自身をただ守るための言葉。
 それを誰かを守るなんて綺麗事に差し換えて、生き続ける支えにしていただけじゃないの?

 アニスを理由にして、ううん、違う。

 アニスをただの言い訳にして。

 あたしは、あたしは。

 そう自分自身の心に問いかけられ、ヒゥッと呼吸が止まりそうになる。

 あたしは昔から自分の事しか、考えていなかったんじゃないか?

 だからあんなことになって、あんなことが起きて。

 全部全部。

 あたしの身勝手がその出来事の全てを招いたことなのだとしたら。
 
 肩で息をしながら思わず胸元のお守りを握り締めた。

 ボタボタッと地面にまた大量の血が流れ落ちる。
 ふわふわと混濁し始める意識の中で、あたしは過去の記憶の波を泳ぎ始めていた。


つづく

新野創■――――――――――――――――――――――――――――――■

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