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どこにも漕ぎ出せないでいる

「あ〜あ、今日から学校かー・・」

今朝、日本中の食卓から聞こえてきそうな声が、我が家でも。

小2の息子、学校自体は楽しめてる感じだけど、さすがに連休明けのダルさを知ってしまったみたい。

「お父さんもやわ。ハァ〜ぁ、憂鬱・・」

いわんや夫をや。
人手不足で激務が続く会社員。憂鬱じゃないはずがないよね。

よりによって空はどんより。
それでも2人とも、重い背中でちゃんと出掛けて行った。すごいなぁ。


なんだか申し訳ない気持ちになっている。

私は去年、12年間勤めた大阪の会社を退職し、フリーランスになった。人生初の個人事業主。

会社勤めの時は、否が応でも目の前に仕事が降ってきた。アシスタント業務だったので、社員さんからの指示を待てばいいだけだった。

人間関係も良くて居心地が良くて、つい12年間も居続けてしまった。

楽(らく)だけど、
楽(たの)しくない。

それが退職の大きな理由。

あとは、職場が微妙に遠かった。

かつて、大阪に勤めるサラリーマンのために作られたような住宅地に住んでいるけれど、満員電車で往復2時間半。

コロナ禍でテレワークを知り、大阪に通うことがしんどくなってしまっていた。

今は、働く場所も時間も自分で決められるから、連休明けの憂鬱は感じないのかと言えば、全くそうでもない。

むしろ勤めていた頃よりしんどいかもしれない。

私はどこに向かうのか
そのために何をするのか

連休中は一旦わきに置いていたその課題に、また向き合わないといけないから。

そもそも連休も心から楽しめてはいない。

何をしていても『あれ、今こんなことしてていいのかな・・。帰って、何かしなあかんのちゃうの』という気持ちをずっと抱えていた。

いちいち出費が気になるし、財布を見ては、消費しかしていないなと思ってしまう。

自分ができることを、ちゃんとお金にしたい。

そう思っているのに、退職からまもなく1年、私はまだ、どこにも漕ぎ出せないでいる。


みんな、どうやって「この道で行く」を決めてるんだろう。

知り合いの息子さんが、小さい頃からとにかく電車が大好きで、大きくなってもずっと好きで、進路を考える時にも電車しか考えられなくて、鉄道関係に就職して、毎日仕事が楽しくて仕方がないらしい。

好きなこと、やりたいことがある
それが職業になる

って、本当にしあわせなことだと思う。

私はそこまでのものがなかったから、高校時代まではとりあえず学校の成績や偏差値を上げることを「目標」にできたけど、そのあとの人生の目標は見えないまま。

気がつけば48歳。次に辰年が来たら還暦・・!!なんてこった・・・

同年代にはすでに「セカンドキャリア」なんて言葉も使われ始めてるけど、ファーストキャリアすら確立できていない。

就職氷河期世代のせいにしたくなるけど、きっとバブル期に就職してても私は同じことになっていた気がする。

どうしたらいいんだろう・・焦ってばかりで、なかなか踏み出せないでいる。

なんとなくこっちかな、で歩み出してみればいいのに。
自分で仕事を創り出したいなら、できることを掛け合わせて商品やサービスにしてみたらいいのに。

どんどん臆病になっているのかな。
それとも、爆発的なエネルギーが湧くような「何か」を待ってしまっているのかな。

立ち止まっていても、出会えないって分かっているのに。

結局、前と同じ「楽(らく)」に逃げている自分。おまけに今度は収入もない。キツい。

だったら、もう少し会社勤めしながら悩めばよかったのに。

・・・とか思いたくないので(ちょっと思ってしまってるけど)、こうして自分の今を

発信する

を、はじめることにした。

影響を受けたのは、末吉宏臣さんの『発信する勇気』(きずな出版 2024.3)

末吉さんいわく、その日の出来事や学びのシェアでもなんでも、そこに自分の気づきや感情をプラスして発信しようとすると、自分と向き合わざるを得なくなるのだそう。

ノウハウやサービスをPRするための発信ではなく、自分を取り戻し、自分を癒すために書くのだと。


自分を癒すために、書こうと思う。

ずっと蓋をしてきた「ほんまの私」が帰って来れる場所を、つくろうと思った。

誰も知らない、
今の私すら知らない、
「ほんまの私」。

人の目を気にする を
人の目を気にしない に。

あとさきを考える を
あとさきを考えない に。

読みやすくなくていい。
整ってなくていい。
オチがつかなくてもいい。

ふと心に浮かんだことや感じたことを、そのまんま書いていけたらいいなと思います。

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