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人道のための停戦

1932年(昭和7年) 2月 13日 朝日新聞

カトリックのジャキノー教父らによる決死の救出 

【上海特派員12日発】
上海事変発生以来閘北(こうほく)一帯が戦火のちまたとなり今や廃墟に等しい惨めな街へと変じてしまったが、然も開戦以来2週間に及んで戦闘が継続せられ逃げる暇もなく危険にさらされてつつ廃墟の中に戦って居る支那市民や傷病のため動けないものも少なからず人道上の大問題としてフランスのカトリック教父ジャキノー氏の主唱により英米総領事賛同し共同租界義勇隊長ベル氏がその部下をもって右救い出しに当たるべくベル氏は11日午後呉市長と会見その賛成を求め次いで日支両軍当局もこれに同意した結果遂に12日午前8時より正午まで4時間の停戦を実行その間に工部局の義勇隊は支那側の紅十字会、紅卍会等の慈善団体が8台のトラックを持って出動し北四川路より閘北(こうほく)の宝山路、宝興路、虬江路等一帯の廃墟の中から救い出すことになり12日朝8時支那側早くも北河南路方面より入来り活動を開始し閘北(こうほく)にあるカトリック教徒救い出しのため百名の救出団も同時に出動開戦以来始めての人道的の企てとして各方面で大いに喜んで居る

【上海12日発電通】
閘北(こうほく)戦線に残留する非戦闘員救出班は上海義勇軍のベル大佐、フランスのカトリック僧、ジャキノー、ベル大佐令嬢及びフランス尼僧等13名より成り本日午前7時我警備区域に来りトラック4台で北四川路、虬江路角より赤十字旗を立て支那街に進み7時50分鐡道線路にさしかかるや便衣隊突如家内から一行を目がけてピストルを発射したが命中せず一行はそのまま支那街にいり支那婦女子その他罪なき非戦闘員を救い出している、ただ今(9時半)支那軍便衣隊尚乱射しつつあり、その弾丸の下を潜り尼僧婦人等が健気にも支那人を救い出す活動ぶりと無法暴戻極まる残忍性と対照してあまりにも崇高な人類愛の発露には第一線の将士感激している

【上海12日発連合】
午前8時から停戦というので我軍は1時間前の7時から小銃を始め一切の打砲をやめているが支那軍は宝興路三義里方面から我陣地に向かって時々小銃を発射している支那軍は自国民救い出しのため停戦ですらこの不信行為を繰返しているが我軍はただ沈黙を守って支那軍の行動を監視しているのみだ停戦時間に入るとともに虬江路陣地からメソジスト教会関係の外人17名が閘北(こうほく)へ入りこみ目下救出に努めているが事件勃発とともに驚いて逃げ出した交戦地帯の住民はもちろん我警備区域内の外支人は我先にと家財道具を持ち出しトラック自動車をくりだし北四川路筋を始め虹口一帯は大混雑を極めそう兵特別任務の在郷軍人は交通整理や身元証明書の検査に声をからして立ち働いている一方閘北から南市に通ずる中山路方面でも赤十字旗を立てたトラックが朝来ひっきりなし避難民や荷物を積んで南市へ南市へと続いている

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虬江路 周辺


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