日本国憲法を軽んじているのは誰か
本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律制定に向けた院内集会で感じた違和感
平成25年に在日特権を許さない市民の会のヘイトスピーチを伴うデモに対してレイシストをしばき隊がカウンターを開始し、平成25年に有田芳生参議院議員が呼びかけて院内集会が何回か行われました。そのうち、平成25年5月7日の院内集会でヲ茶会さんが在日特権を許さない市民の会などいわゆる「行動する保守」にかかわっていたことをカミングアウトすることになったのは皆さんのご存じのとおりです。
これらの院内集会で進められていたのは本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律、いわゆるヘイトスピーチ規制法の制定への機運を高めることでした。ただ、この法律の制定には憲法上の問題が依然として残っていると思います。この法律は理念法ということで表現の自由など憲法上の規定に反しない形で制定されましたが、法律の運用の面、とりわけ司法での運用で憲法の規定との乖離が大きくなっていると思います。
例えば、本邦外出身者がヘイトスピーチを含む不法行為を理由として民事訴訟を提起した場合にこの法律の規定や趣旨を援用して相場より高額な金員の支払いが命ぜられることが多いのに対し、本邦外出身者以外の者がヘイトスピーチを含む不法行為を理由として民事訴訟を提起した場合にはこれがこの法律の規定や趣旨が援用されることがないからです。例えば、大阪市北区北新地のバーで発生した大学院生リンチ事件では、日本人である大学院生に対し、在日コリアンである加害者が在日コリアンコミュニティの圧力を公言し日本人である被害者を助ける者などいないなどと述べて被害者の心を折りつつ暴行に及びました。これは明らかなヘイトクライムに該当するものであるといえますが、大阪地方裁判所及び大阪高等裁判所は本邦外出身者以外の者に対するヘイトクライムに対して通常より高額の金員の支払いを命ずることはありませんでした。本邦外出身者であるかどうかによってヘイトスピーチやヘイトクライムの被害者に対する司法の判断がこれほど異なるのは憲法第14条の規定に反するのではないかという批判を免れないものではないでしょうか。憲法第14条の規定に反するのではないかという批判を免れないものではないでしょうか。
本題に戻ります。この院内集会ではヘイトスピーチに対する効果的な法整備を求めていたわけですが、そのためには憲法で定められた表現の自由について国が規制をしやすくするための憲法改正が絶対に必要です。特にヘイトスピーチの事前規制を定める法律を制定するならば、表現の自由の内容について法律で定める旨の法律の留保レベルでの憲法改正が必要だと思いますが、院内集会で登壇した師岡康子弁護士はこの点にはまったく触れませんでした。結果としてヘイトスピーチに規制について理念法しか制定されず、その理念について法の下の平等に反するおそれのある運用がなされ、ヘイトスピーチを批判する活動家たちはヘイトスピーチの事前規制が認められたと受け取って街頭宣伝活動への妨害を過激化させています。法曹としてはこのような危惧しなければならない現状を招くことになったわけですが、院内集会の時点において法曹でもない者ですら想定できた現状が想定できないはずがなかったにもかかわらず、憲法改正が必要であるとの見解をまったく示さず、漫然と本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律の制定の機運を盛り上げてきたことは法曹としての良識が疑われると思います。
木村草太東京都立大学教授の憲法軽視発言
憲法学者の木村草太東京都立大学は、テレビ番組で次のように述べ、倉持麟太郎弁護士に批判されています。
感染症の専門家が十分な科学的根拠に基づき、今以上に強力な外出制限が必要だと判断し、国民の理解が得られればより強い外出制限をすることは現在の憲法でもできる
おいおいおいおい、違憲審査基準とか散々やってたのはどこいったんだ憲法学者。
「国民の理解」って、多数派ってことですよね、多数派でさえ覆せない権利や自由を保障する最後の切り札が憲法です。
こんな理解や覚悟で権利や自由を論じないでいただきたい。
木村草太東京都立大学教授の発言に対して憲法の原理原則に反するのではないかと倉持麟太郎弁護士が批判している形が更にこの問題を深刻にしています。なぜならば、憲法学者の発言に対して実務法律家である弁護士が原理原則に基づいて批判する形であるからです。
弁護士は実務法律家であるゆえに、憲法や法律の条文や解釈を現実の事象にあてはめることが仕事であり、法律の条文どおりではない現実ゆえにその解釈は原理原則から外れることが少なくないのに対し、憲法学者は現実の事象を論理の組み立てに反映させる必要はあるもののそれに振り回されることがない立場であるからです。
これは、日本国憲法を一字一句も変えたくないという結論が木村草太東京都立大学教授の大前提となっていて、それに無理やり現実をあてはめようとする強い意思があることが問題なのだと思います。
改憲の講演会の登壇者を「反知性」と決めつける菅野完さん
憲法記念日である5月3日に各地で憲法に関するシンポジウムや講演会が開催されました。その日、菅野完さんはツイキャスで民間憲法臨調と美しい日本の憲法をつくる国民の会の共催で行われた「この憲法で国家の危機を乗り越えられるのか!-感染症・大地震・尖閣-」と題したシンポジウムの登壇者を批判していましたが、その批判がかなり低レベルのものでした。この人物は幸福の科学と繋がりがあるとか、国民民主党は立憲民主党の執行部が嫌いな人物の集まりだとか批判にもなっておらず知性が感じられないものでしたが、その菅野完さんがそのツイキャスを「改憲という反知性運動」と名付けているのは何かの冗談なのでしょうか。
その菅野完さんは、乙骨正生さんの主宰する雑誌「FORUM21」で連載を待っており、その雑誌では藤倉善郎さんや鈴木エイトさんなどよく組んで仕事をしている方々とともに、朝木直子東村山市議会議員や日蓮正宗信徒と聞く段勲さんなどのお名前もお見かけします。SPA!で編集方針をめぐって編集部と対立して巻頭コラムの連載を終了させた菅野完さんは、ある特定宗派の宗教色が強いこの雑誌の編集方針には問題なしと考えているのでしょうか。
その菅野完さんについては、月刊菅野完こと月刊誌Gesellshaftが季刊を超えて年刊となっているというドイツ語で「社会」を意味する雑誌名であるにも関わらず、社会の掟を全く理解していないかのような話がちらちら聞こえてきますが、それに加えて菅野完さんに会った人からお聞きした話を付け加えておきます。
「僕、菅野さんと会って、その後菅野さんがツイッターで二つ折り財布を使っている者やタオルハンカチを使っている者をDisり始めたんだけど、僕は菅野さんと会った時に二つ折り財布からお会計したし、お冷についた水滴をタオルハンカチで拭ったんだよね。あれ、遠回しに僕をDisっているのかな?だったらずいぶん小さい人だね」
憲法と現実の乖離が憲法を殺す
「逆説の日本史」などの著書のある作家の井沢元彦さんが、日本では「あなたの乗る飛行機は墜落しますよ」と冗談を言って本当に飛行機が墜落したら「私が変なことを言ったばかりに申し訳ありません」と葬式の場で謝罪しなければならないと述べておられました。これは、日本では言葉を発するとその言葉どおりの出来事が起きたときにその言葉と現実の出来事との間に因果関係があると考える信仰、言霊信仰があるということだと思います。そして井沢元彦さんは、日本国憲法そのものが言霊信仰の対象となっているという指摘をなさっていました。日本国憲法は平和を愛する諸国民が存在し、国際社会が平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めているなどいう理想の国家と国際社会があることを前提として制定されているわけですが、実際にはそのような諸国民は決してすべてではありませんしありませんし、専制と隷従、圧迫と偏狭をもとに特定の国家や民族を地上から永遠に除去しようとする国家が少なくない国際社会が現実です。つまり、日本国憲法、特に憲法前文と憲法第9条第2項についてはその条項を制定する前提そのものが成り立たないということになっているわけですが、その理想の諸国民と国際社会があることを前提とする日本国憲法の前文と憲法第9条第2項は、理想の諸国民と国際社会があると述べ、日本はそれらの理想の諸国民と国際社会と協力して平和を保つという理想が描かれているため、これまで戦争の惨禍を受けることがなかったのは憲法前文と憲法第9条第2項のおかげであるという言霊信仰につながります。
例えば、日本共産党は改憲に反対し安保法制を戦争法と主張していますが、戦争に備えれば戦争になると主張しているわけで言霊信仰の最たるものであるといえます。マルクスは「民衆のアヘン」と述べて宗教の危険性を指摘していたはずですが、言霊信仰を疑問もなく受け入れている日本共産党にはマルクスを読んだ人がいないのかもしれません。
ただ、この日本国憲法に対する言霊信仰は日本国憲法が理想を述べているゆえに一字一句でも改正することが戦争につながるという、戦時中に日本が戦争に負けると述べた者を「敗北主義者」と批判した悪しき歴史からまったく学んでいないことになりますし、憲法が法である以上時代に合わせてアップデートしなければ現実から乖離しすぎてしまい無理な解釈を続けていくことになってしまいます。それはすなわち憲法の軽視につながり、結果として憲法を殺してしまうことになることに気づいてほしいものです。