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青藍遊泳

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    会えたから。

    会えたから。

    会いたくて。

    会いたくて。

    ずっとこれ。

    時間の儚さ、時代の偉大さ そして日常の尊さを前に 自身の未熟さを日々痛感させられる。 過去、現在に誇れる自分は居なくて ただそこにあるのは 哀愁としての思い出と 後悔の対象としての自分。 今の時間の積み上げ方では 未来においても誇るべき自分には会えない。 「何者かになりたい自分」の姿は 「何者でもない自分」であって 思考・習慣・意志の身に纏うもの全てを 変えなければ、何物かを獲る為の スタートラインにも立てない。 未熟者で、所詮は何も出来ないと 分かっていながらも 虚勢

    ずっとこれ。

    夜明け前、朝露の芝生でー松山ー

    田舎まちを出て、大学四年間を過ごした街。 街の灯りが眩しいなと感じた頃からは もう数年経った。元の田舎まちに帰った。 酸いも、甘いも、を描いていたけれど 終わってみれば 何も遺せなかった時間だけが 胸の中に残っている。 何者かになれると想っていた若者は それが辿った時間によって 何者でもない人間に作りあげられている。 自分を創りあげるのは、たぶん 時間とか、偶然とか、人とか、街とか。 そんなことを淡く期待していたけれど 結局は何も掴めなかった。 自分は何者で、何がした

    夜明け前、朝露の芝生でー松山ー

    誰しも、哀しみや愁いを背負って 平然と生きている。 僕だけじゃない、そう思えるなら 少しは楽かな。

    誰しも、哀しみや愁いを背負って 平然と生きている。 僕だけじゃない、そう思えるなら 少しは楽かな。

    「期待」と「日常」の落差

    何を追いかけてるのだろうか。 何を得たいのだろうか。 秋の嵐のまえは、どこか静寂で、 そしてちょっぴり広がる甘さを持って、 空気が膨らんでいる。 でもその空気は、僕たちの高揚を嘲笑う、 冷たく淫靡な風に、いつもさらわれてゆく。 期待した日々は、いつも儚く散って、 やっぱりこんなもんかと 頬を刺す風に、現実を思い知らされる。 結局、日常ってその繰り返しだ。 at.あの秋華の日の木漏れ日に、 記憶を撫でられた、まだ若き蒼き日々。

    「期待」と「日常」の落差

    「日常」と「記憶」の話

    僕たちが生きる「日常」のふとした瞬間に、 これまで生きてきた「記憶」の断片が、 顔を覗かせる。 「それ」は五感以上の、 例えば鼻の奥の、耳の裏の、背中の後ろの、 「身体の深部」が感じるもので、 「それ」は風景以上の、 例えばあの校庭の、あの街角の、あの川の、 「存在の辺部」に触発される。 覗いてくるその記憶の顔は、どれも まどろんで、セピア色で、そして生温い。 過去からのプレゼントなのか、 現在からのリクエストなのか。 分からないけど、私たちはいつも、 その断片に触れ

    「日常」と「記憶」の話

    「断続的な日常」に色を添えるのは、 「断片的な記憶」なのだと思う。

    「断続的な日常」に色を添えるのは、 「断片的な記憶」なのだと思う。

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    「言葉でつむぐ」

    夢のレースは、語る言葉を待っている。

    「言葉でつむぐ」

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