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【移住と子育て】子供に何を授けるのか?海外育児はトレードオフ。

海外で育つ子供たちが失うもの


アメリカに移住して半年たち、
子供は英語を覚えはじめ、
新しいスポーツに興味をもち
少しずつ、こちらの暮らしに慣れてきたように見えます。

でも、まだまだ、本人は自分をよそ者だと思っているとみていて感じます。

海外移住を検討している時、
「子供たちは、アイデンティティに悩む時期が長くなるだろうね」
と夫婦で話したことがありました。

6歳、3歳でアメリカに移住した我が子たちは
日本の国籍を持った日本人だけど
人生の半分以上をアメリカで過ごしています。

日本に住む息子の友達が当たり前に持っていて
息子には持てないかもしれないもの。
それは、「自分のふるさとは、ここだ」という感覚です。

日本人だけど、日本のことをよく知らない

ふるさと、という物理的なものだけではなくて、

アメリカに住む期間が長くなればなるほど
漢字や算数などの日本の学習についていくことが難しくなります。

日本のカルチャーに日本に住んでいる子供並みに親しめるかというと
難しいと思います。

息子が高校生くらいになったとき
日本の高校生と会話をしたら、
表面上は、なんとなく会話は成立しても
根底にある共通概念みたいなものが違っていたりすると思うんです。

日本語すら、なにか違和感を与えるものになっているかもしれない。

それは流ちょうさの問題ではなくて
息子が接する日本語は、家庭内と、アニメなどのメディアだけに限られてしまっているからです。

友達と生きた日本語を使って話す機会をほとんど持たずに
大人になる可能性もあると思っています。

たとえ、英語がネイティブ並みになったとしても

異文化の中で育ち多様性の理解を備えた大人になったとしても

トレードオフで失わなければならないものもあるかもしれない

ということを私たち親は心にとめておかないといけない。と思っています。

与えられた環境で何を学ぶか、何を武器にして生きるのか


ふるさとがなくて
同じ国籍の人と分かり合えないかもしれない未来。

そんな風に書くと、とても悲観的に聞こえます。

でも、それだけが、異文化で育つ子供の末路ではないと思っています。

反対に、
ふるさとと思える場所がいくつもある。
そんな未来もある。

実際に息子は、
アメリカに行くことも、日本に行くことも
「アメリカに帰る」「日本に帰る」といいます。

ただの表現の問題と言ってしまえばそれでおしまいですが、
「彼にとって、どちらも帰る場所なんだな」と捉えることにしています。

以前、オリラジの中田敦彦さんがYouTubeで
「結局、こどもは親から与えられた武器を使って生きる」
と話されていました。

親から勉強という武器を授けられた中田さんは
今、勉強したことをプレゼンするという仕事で大成している。

なるほどなぁと思うわけです。

ずっと日本で育ったという経歴を失う代わりに
アメリカで育ち、ふるさとが2つある。という経歴をもつ。

親から与えられるものは人それぞれです。

だけど、結局その与えられたものを武器にして
生きていく覚悟が大切なんだなぁと思います。

学生時代にあこがれたキラキラ輝く帰国子女を息子に重ねる


帰国子女の人たちってキラキラしているイメージ、ありませんか?

めちゃめちゃ偏見ですよね。

でも、子供のころから海外に行きたいけど
チャンスもなく大学生になった私は
帰国子女というものに漠然とあこがれていました。

大学時代に交換留学で
イギリスへ行かせてもらい、
そこには国際色豊かな学生さんがたくさんいました。

一番印象に残っているのは、中国人の女性。

中学生の時に単身で日本に引っ越してきて
日本の大学院からイギリスへ交換留学に来ていました。

当時、大学院生として交換留学に来ていたその女性は、
23歳くらいの少し年上で、容姿も端麗だったことから
交換留学生の日本人グループの中で、ひときわ存在感がありました。

そして明るく社交的な性格で、誰とでも仲良くなり
日本語も英語も(もちろん中国語も)堪能でした。

キラキラした帰国子女の代表例。みたいな女性でした。

日本人グループの中で、と書いたけれど
後々分かったのは、
その女性は日本人のグループのほかに
香港人のグループ、中国人のグループにも顔を出していて
どのグループにもすっかり居場所を築いていました。

凛として
たくましく
一人でいても
人に囲まれていても
自分らしく過ごすその女性に
とても憧れていました。

20歳になったばかりの私は、
単純に、うらやましいとも思っていました。

子供のころから
海外文化に親しみ、多言語を習得し、
欧米特有のおおらかで明るい雰囲気も備えている。

だからこの女性は、どんな場所にも居場所を作ることができ
たくさんの人に囲まれているんだ。と思ったりしました。

今になって、その発想はどんなに浅はかだったかと思います。

その女性にも
苦しんだ時期があったかもしれない。

今、私が、息子の未来を憂うように、
「自分の故郷や居場所ってどこだろう」と
もがいた時期があったかもしれない。

だけど、まぎれもなく、私の目の前にいたその女性は
自分の経歴に誇りを持ち
いくつもの居場所を持ち
多様性のあるバックグラウンドを武器に変えていました。

正解にしていく力こそ、生きる力。

キラキラしていなくたっていいんです。

自分が自分のままでいい。と思えさえすれば。

我が子たちはこれから、アイデンティティに悩む時期がくるかもしれません。
日本生まれアメリカ育ちという生い立ちに苦しむこともあると思います。

だけど、いずれ、何年もかかると思うけれど
自分の歩んできた(歩まされた?)道のりを正解にしていってくれたら。と思うわけです。

私たち夫婦が、子供たちに授けると決めたもの。
海外の多様性の中で育ったというバックグラウンド。

自分の持つものを生かして生きる道を
一緒に探しながら子育てしたいなと思っています。


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