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ポストコロナ時代を生きるすべての人への指針~ピュシスの歌を聴け~

新型コロナウィルスが世に広まってからもう2年半が経ちました。
世間でもある程度は慣れたようですが、まだまだ予測できない部分や浮上してきた様々な問題が片づけられていません。
世界中の人がこのウイルスとどう付き合っていくか、どう生きるべきか迷っているのです。そのような中で『コロナに打ち勝つ』『経済を回復させるべくアクセルとブレーキを』『相互扶助でなんとか乗り切ろう』以外の、本当に(ポスト)コロナ時代を生きるための指針になる本に出合いました。

「ポストコロナの生命哲学」
まずは著者3名について紹介します。

福岡伸一氏は生物学者です。
フェルメールとドリトル先生と哲学も好み、自然と論理を行ったり来たりして思考しています。「動的平衡」「生物と無生物のあいだ」という本で細胞のこと、生命のことを教えてくれました。

伊藤亜紗氏は美学者です。
失礼ながらそれほど知らないのですが、「みえるとかみえないとか」という絵本で、違いのある他者とどう接するかを教えてくれました。

藤原辰史氏は歴史学者です。
食にかかわる本を出されていて「給食の歴史」という本ではおおきな歴史の中で人々の葛藤も教えてくれました。
そして、コロナ渦中にパンデミックを生きる指針を教えてくれました。

この本では、三者三様のアプローチで、コロナの時代、これからの生き方を語っています。
「動的平衡」「ロゴス」「ピュシス」
他者と自分、利他、身体感覚
歴史学者の視点とあふれでる感情
前半はそれぞれの学者の論説、後半は対談があります。

「ポストコロナの生命哲学」に書かれていること

いくつか印象に残ったこと。

「ロゴス」と「ピュシス」

序  福岡伸一
人間とは不思議な生物である。脳を肥大化させたおかげで、経験から同一性を抽出して法則化し、特殊を集めて一般化し、本来はすべてが一回性の偶然である自然の中に、因果律を生み出した。つまり自然(ピュシス)を論理(ロゴス)に変えた。
ロゴスこそが、人間を人間たらしめた最大の力だ。

『ポストコロナの生命哲学』集英社新書

ロゴスとは論理のことです。人間だけがもつ言葉を中心とする思考体系です。それに対してピュシスは自然のことです。動植物(自分の体も含む)、環境(海、山、宇宙、ウイルスも含む)などもともとある世界です。
人間を人間たらしめた最大の力とは。
自然の掟(弱肉強食、生きる目的=子孫を残す)から逃れられたこと。
過去から未来を予言できるようになったこと。

ロゴスのおかげで、弱いものが取り残されない、一人ひとりの個性を尊重できる、力でなく知恵で解決できる、このような社会ができました。
優れた知見を共有し、子孫にも受け継ぐことができるので、私たちは巨人の肩に乗ってどんどん先に進めるのです。
素晴らしいです。これからもロゴスを掲げて生きていきましょう。

一方、ピュシスも存在します。
ピュシスはロゴスに抑圧されて、漏れ出し、ときに反乱をします。
ロゴスによる環境破壊の結果が人新生であり、今回のコロナウイルスの反乱です。自然を完全に支配することができないのは、人間はピュシスの一部だからです。自然の中の小さい1つの生命が、ピュシスを支配する、制圧しようなどとはおこがましいです。自然の中で生かされていることも忘れてはならないでしょう。ピュシスの恵みは素晴らしい、自然を守りましょう。

そして、ロゴスとピュシスは対立するものではありません。
今は行き過ぎたロゴスによってバランスが傾いています。
コロナウイルスは、戦う(撲滅する)ものではなく、正しく畏れるものです。ウイルス(ピュシス)にワクチン(ロゴス)で完全に対抗できるものではありません。体の免疫(ピュシス)が守ってくれているのです。

ピュシスの歌を聴け、とはそういうことです。

第二章 伊藤亜紗
「信頼」と「安心」の意味するところは逆だと言われています。「安心」が、相手がどういう行動を取るかはわからないのでその不確定要素を限りなく減らしていくものだとすると、相手がどういう行動を取るかは分からないけれど大丈夫だろうというほうにかけるのが「信頼」です。

出典同

「信頼」と「安心」
伊藤さんは、ランニングで自分がアイマスクをつけ、伴走者と互いにロープの両端をもってナビゲートをしてもらった話をしていました。ロープを介して相手の考えが伝わってくること、相手を信頼し(自分を)解放した瞬間にたくさんの情報が相手から入ってくること、相手を信頼し自分を預けるほど相手の情報が入ってくること。この話は興味深いです。

コロナ禍の中で広められている様々なことは「安心」です。
マスク、ワクチン、ソーシャルディスタンス、消毒、自粛…。
これからの世の中が、「安心」を重視するあまり信頼が失っていくのではないかと危惧しています。「信頼」は(どうなるかわからない中で)他者に身を預けること。他人を信頼できる人は、許容力を持った人ということになります。そうすると、信頼が失われていくというのはそういう人が少なくなっていくということです。自省します。

第三章 藤原辰史
危機をどう乗り越えるか。その手がかりは、実は負の歴史の中でこそ探りやすいと言えます。世界中に新型コロナウイルスが蔓延し、多くの構造的暴力が私たちの目の前に現れ出ている今、過去がどういう形でふさがれ、見えないようにされてきたのかということも含めて、私たちは歴史を知り、学んでいかなければならないのです。

出典同

ドイツでは政治家が頻繁に歴史博物館を訪れ、専門家からレクチャーを受けて現在の政治問題に生かしているという話。ドイツが過去の過ちに向き合い前進している一方。同じ年月が経っているのに日本はまだ泥沼に足をとられて進めません。歴史から学ぶこともロゴスであるはずなのに、私たちは自分に都合のいいロゴスしか使用していないようです。

藤原さんは2020年混乱期に、ある記事を投稿しました。

日本は、各国と同様に、歴史の女神クリオによって試されている。果たして日本はパンデミック後も生き残るに値する国家なのかどうかを。クリオが審判を下す材料は何だろうか。危機の時期に生まれる学術や芸術も指標の一つであり、学術や芸術の飛躍はおそらく各国で見られるだろうが、それは究極的には重要な指標ではない。死者数の少なさも、最終的な判断の材料からは外れる。試されるのは、すでに述べてきたように、いかに、人間価値の値切りと切り捨てに抗うかである。いかに、感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩りや「弱いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つか、である。

藤原辰史:パンデミックを生きる指針——歴史研究のアプローチ

コロナ渦中の苦しいとき、迷うときに何度も読み返しました。これからも何度も読み返します。
信用できることと信用に値しないこと、問題はコロナ以前からあったのに目をふさいでいたこと、歴史から学ぶこと。
今のままでは間違いなく歴史の女神に愛想をつかされるでしょう。

私は歴史学者よりずっと小さなことしかできないけれど、学び、自分の理性で行動します。
目指すのはこのようなことです。

一つの国が文明国家であるかどうか[の]基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である

『武漢日記』方方

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