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『数学する身体』森田真生 | 新潮社
森田真生は海外に行ける力がありながら、あえて日本で暮らす日本人のひとりになる。私の周辺のおもしろい日本人は等しく海外で暮らしているが、今あえて日本で暮らす日本人の方がもっとおもしろいと近年は感じている。
さて、今朝は「Thank you」と靜かにつぶやきたい氣持ちもするので、この本の39頁から引用する。
数学の道具としての著しい性質は、それが容易に内面化されてしまう点である。はじめは紙と鉛筆を使っていた計算も、繰り返しているうちに神経系が訓練され、頭の中で想像上の数字を操作するだけで済んでしまうようになる。それは、道具としての数字が次第に自分の一部分になっていく、すなわち「身体化」されていく過程である。
この身体化はインドーアラビア数字だからできる部分が多い。
例えば、39×33を「ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、と」と筆算することはなかなか難しい。ところが、妙に身に響くのは「ひふみ詞」の方になる。
同様に、「あの本」と云うより「この本」と云った方が身には響く。英語においては、指向性未来といって、thatよりもthisに過去と未来が含まれるから、ここら辺の時間感覚とも無関係ではないであろう。
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