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『神の革命』福岡正信 │ 春秋社

 福岡はFUKUOKAとした方が今なお話が通る。要は海外の方が一目を置いているのだ。近代の我が國にありがちな話で、隣人に世界が求めてやまない人物がいるのに、一瞥もせず、妄想の西欧を追い求める癖は未だに抜けていない。「君は日本人のくせにFUKUOKAを識らないのか」と云われて久しい。

 さて本書は「無」三部作のひとつで宗教篇にあたる。まずは最初の頁を引用させていただこうか。

人が何かを知ろうとする前に、
人が何かを求めようとする前に、
人が何かを為そうとする前に、
神がなぜ人間を見すてたかを知れ。

『神の革命』

 FUKUOKAと云えば自然農法(Natural Farming)だが、実際は宗教人や哲學家といった氣配のほうが強い。個人的には合氣道の植芝盛平と同じ匂いがする。人が強く速く富んでいこうとする世の中で、FUKUOKAはそのように動こうとするまえの人を觀ようとしていたように見受けられる。

 微雨の今朝も寒かった。本書の冒頭から登場する老人は云う。
「そうだ人間は衣物を来ている・・・人間だけが・・・」
「寒いから寒さを感じるのではない。寒いということを人間が知った時から寒くなる」
これほどまでに簡単なことを人は忘れてしまったのである。

 人知無用。

 自然を知ることができなくても結構ではないか。
 身体を知ることができなくても結構ではないか。
 生きる意味を知ることができなくても結構ではないか。

 わからないながらも地上を歩んでいく。だからこそ、自然は一大饗宴となり、共存共栄が流転するのに、人間界のみに弱肉強食が存在する。では、今更ながら私たちはどう歩み直せばよいのだろうか。

 思うに今までの因果関係を凡て忘れ、まず鍬を持つことである。

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