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もう一度、ダンスと出会った。舞台の感想:InteraXion vol.1

舞台を見てきたので、風化しないうちに書いておく。

久しぶりにダンスのことについて書くなぁ。


ぼくはずっとダンスをしたり振付するひととして働いていたのだけど、去年の8月に怪我の手術をして、それからだましだまし踊ったものの、コロナがきたり、なんやかんやあって、ダンスから距離を置くようになった。

コロナというものがどういうものでどうしたらやっていけるのか、世界中が必死になっていたこの数ヶ月。たたかう医療従事者やたくさんの人のことを考えながら何もできなかった自分をうじうじと恨みながら、とはいえ「そんな中でもできることをやる」という界隈の人たちの気持ちにも馴染めなかった。ぼくはコロナというよりも、人間とうまく共存できなかった。ダンスをやる気にも全くなれなかった。


そんなこんなで、異常な光景だったマスクや3密のルールが、新しい生活様式として根をおろし、ダンス界隈はレッスンも再開し、身近では舞台も少しずつ復活し始めたころ、ぼくも少しずつリハビリしながらゆっくりゆっくり過ごし、ストレッチしたりバーレッスンしたりして、もう少ししたら「ダンスが好きなおじさん」にはなれそうな感じで、極たまにする人とのコミュニケーションを楽しめたりとなかなか人間性を取り戻してきたので、よし、ちょっと舞台に行ってみよう、と思い立った。

前置きが長い。

これに行ってきました


ぼくのインスタのタイムラインはもう四六時中ダンス映像だらけで、どうにも辛くてなるべく開かないようにしていたから、ダンスというものをみる、それも生で見るのは本当に久しぶりで、自分がどんな風にそれを見るのか、ポジな気持ちでいられるのか、いろいろ心配だったんだけど、お気に入りのラジオを聴きながら開演時間まで、じっと座って待っていた。

幕が開いて、ストイックなジャズナンバーがはじまる。おお、密や・・・と謎の感動を覚えながら、ふんふんと見ていた。訓練された身体だなと思いながら、まだどう受け取っていいか判然としなかった。

3曲目、コールドプレイの曲で踊っている人たちの中に、屈託のない笑顔を全開しているひとや、はじっこのほうで気持ち良さそうに踊っているひとを見たとき、突然涙腺が崩壊した。

うお?何が起きたんだよくわからない。歪む景色をぬぐってとにかくちゃんと見た。そしてぼくは、きょう舞台をどういう風に見ればいいかが完全にわかった。

その瞬間からぼくは、この人たちが、今この時期に、こうして舞台に立っているというピュアな感情を、些細で特別な物語を、受け取っていた。もっと見たくなった。もう今日はひとりひとりの顔を、姿をみよう。その身体の中の感情をみようと決めた。見回していると、ひょうひょうと踊っているようなメンズもいれば、緊張しているような女子もいれば、それはやりすぎだろみたいな笑顔もいれば、淡々としているヤツもいた。全部ほんとだ。全部それでいい。彼らは僕がずいぶん見てきた、本当になんども見てきた、「舞台でおどる顔」をしていて、そしてちょっとだけ特別だったんだ。貼り付けられた表情のひとは、いなかった。たぶん、1人も。

もっと教えてくれ。いま、どんな風に感じてそこにいるの?心の中でひとりひとりに聞いた。どのナンバーも、後ろのひとや端っこにいるひと、全員の顔を見ようとした。

よくわからないタイミングでなんども涙が出た。

僕はダンスと出会った。うまく言えないけど、もう一回出会ったんだと思った。

久しぶりに離れていたダンスに触れたという、個人的な理由からだけど、まさかそんな風に思うなんて、数十分前にラジオで耳をふさいでちぢまりこんでいた時には想像もしなかった。


振付師として頑張っていたころは、大量に作品を見ていた(勉強していた)けど、どちらかというとぼくは「作品」と対話したいタイプで、「誰々がよかった」とか、推しの人を目で追って楽しむみたいな見方はしていなかった。作品そのものが何を伝えたいのか、自分がどう思ったかばかりを捉えようとしていたのに、今日はもうそういうのはとりあえずいいや!という、これあんまり伝わらないと思うけど自分からしたらすごくびっくりする心境の変化だったので、びっくりした。あ、語彙力が低下してきてるヤバイ。まじヤバイ。

「ナンバーイベント」「ダンス発表会」というものは、どこにでもいる子達が、多人数に押しなべられて踊る。埋もれて踊ると言ってもいい。もちろん振付師はひとりひとりに愛を持って指導するけど、それでも観にきた知人に「えーこの舞台出てたの?わかんなかったー」て言われることなどザラなのだ。この舞台がという意味ではなくて、この世には、「数」でしかなくて「カテゴリ分けされ」ていく多人数のひとたちがいる。ダンサーというものは、そうならないようにシノギを削る、結構キツイ職業だとおもう。それは自分に合わなかったし、ダンサー仲間が「スーパースター」のビデオを繰り返しみている横で、ぼくは「その他大勢」に惹かれていた。病んでるやつからどうしようもないやつからなんも考えてないやつまで、うごうごとした中にたくさんのドラマが潜んでいる。潜んだままでてこないのも自分と似ていてガックリだな。だから好きだったんだ。

ナンバーは多人数だ。今日ぼくは、数でなく、ひとりひとりに会えたんだ。会いにきたんだと思った。ナマエも知らない、顔もわからないひとりひとりに。


お金を払って舞台にたつひと。お金を払って舞台をみるひと。お金をもらって舞台をつくる、それぞれのひと。

振付師として、いつもいつも違う人たちと作品をたくさん作っていたころ、ぼくは運営さん、ナンバーの仲間、観客、それらをすべて「お客さん」として、すべての方向に需要を満たしたり満足させなければいけないと思っていた。それは間違ってはいないと思う。

ただ、やっぱり率直な気持ちを言わせてもらうなら、こういうナンバーイベントや発表会というのは、やっぱり、その瞬間、舞台に立っているひとのためのものだ。
(神聖な場に舐めて立つ未熟者を除けば)ぼくは彼らにエールを送り続けよう。チケットを予約して、客席に座って、応援しているぞ。だからもっと、そうやって立って、自分のために踊って、君はどういうひとなのか教えてくれ。立てるときでいいから。

この舞台をみたからといって、ムンムンとダンスしたくなって戻りたくなる、ということはない。ぼくはぼくの命をどう使うか。多少途方にくれているけど、それでも考えて進もうとしている。

舞台上だけがダンスではない。僕たちもダンスだ。スタッフたちも、撮影するひともモギリのひとたちも、みんなでダンスを踊っているんだと思った。
様々な面からダンスと過ごしてきたけど、そういうことだったのか。


コロナ対策の面では、不安が残った。
対策が甘いということじゃない。むしろ細やかに行き届いていて、徹底していて、その気の利き方に頭が下がった。チケットを自分でちぎった時、確かに!と思ったもん。

席も隣が空いているのでゆうゆうと観劇でき、客出しがないのも、あの人混みがぼくはめちゃくちゃに苦手なので、とても快適だった。採算を取らなければいけない運営にとっては申し訳ないが・・・

そもそも誰かの手がたくさん触れる場所など、世の中にはいっぱいあって、ぼくが過去に調べた限りの情報では、ちゃんとしていれば劇場での感染リスクはかなり低いと思う。Stay Homeというキャッチフレーズで感染を抑えたみたいに、指針はわかりやすく共有されやすいモノでなければいけないという理由で、劇場は可能性を潰されていると思っている。満員電車でクラスターは起きていないけど、劇場はそれよりもさらにリスクの低い場所だとおもう。でも、「三密」なのだ。そして、満員電車よりも、不要で不急だとおもわれている。

この徹底さ(会場整備のスタッフさんがマスクのうえにさらにフェイスシールドしていたり)というのは、日本の生きにくさ、息苦しさを連想してしまう。ここまでやってますというアピールを示さないと文句を言われる可能性が消えないのかとか、この舞台と別の舞台を比べて「あっちはちょっと対策甘いよな」とか比較しだす人が出るだろうなとか、そういうことで気落ちしてしまった。

基本的に企業とか組織って、「大衆」のことを信用していない。そうだよな。そのなかには、絶対に分かり合えない人がいるもんな。悲しくなるな。

治安の悪い海外に行って夜中襲われても「なんでそんなアブナイことを」って言う人が、日本ではなぜ過剰にシステムが自分を守ってくれることを当たり前に強要するのだろう。


まーでも、「この演出はどーなんだ」「こういう身体の使い方だとこういうエネルギーが」「この人自我目立ってんな」みたいな懐かしい目線も、頭の隅で考えてしまってた自分もいたけど、今回は邪魔だなと思って排除しました。


世界が荒んでいってると思って息苦しい方、舞台を観に行く、なんていかがですか。もしかしたら、少し新鮮な空気を吸えるかもしれませんよ。劇場は、あなたがマスクをして検温して喋らなければ、他人にもうつさないし、あなたが帰って手を洗えば、安全な場所ですよ。

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