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子どもに何者かになれとは言いたくない

我が家のはなし

立派な理想を掲げて教育事業をやろうとしているあなた自分の子どもをどんな環境で育てているの?と聞かれるかもしれないから(まだ聞かれたことはない)、我が家の話をしたい。

4歳の息子は、英語教育を行うインターナショナル幼稚園に通っている。地域の幼稚園に入らなかったのは、別に私たち夫婦がハイソで意識高い系だからではない。息子は言葉を紡ぐことよりも、絵・パズル・図形・ブロックなどで表現することが得意な子。親が考える常識や世間体にはなびかない。自分が納得したり、興味を持たないと取り組まない。そういう彼を育てにくいと思ってしまう私は未熟だし、大人の顔色を読まない彼の個性を壊したくないと思っていた。

日本の教育は、同質性・同調圧力が強い。地域の幼稚園を見てもそれを感じた。園の発表会は親に今までの成果を見せるために練習を頑張る、というような大人の事情を子どもに当たり前に持ち込む感じが嫌だと思った。通っているインターナショナル幼稚園は、英語教育8割、日本語教育2割くらい。日本人スタッフもいるが、ネイティブの先生は多国籍。

驚いたのは、日本人スタッフとネイティブの先生の息子への評価の違い。息子は言葉がゆっくりだ。その点親も心配ではあったが、母親の立場で息子を見ていて、アウトプットは未熟でも話はしっかり理解出来ているし、ゆっくりだが成長もしている。

でも、年少の時の三者面談では、基本web面談にも関わらず、私たち夫婦は園に呼び出された。


達成できる未来を当たり前に信じて言葉をかける

「言葉が遅れていると手が出るようになる」「他のお子さんとトラブルになる可能性がある。過去にもそういう事例があった」「療育に行けとはこちらからは言わないが、家庭でしっかりケアしてほしい」

主任と名乗る日本人スタッフから言われた言葉は今思い出しても青筋がたつくらい怒りを感じる。それとともにがっかりもした。「子どもたちの個性を大切にする」「創造性・国際性を養う」とうたっているインターナショナルスクールは、フタをあけてみれば結局同質性を求める旧来の日本教育と何ら変わりない思想を持っていた。

こんなスクール辞めてやろうかと思っていたけれど、今も通っているのは、ネイティブの先生たちが素晴らしい感性を持っているから。以下は、年少の最後に担任の先生からもらったコメント。

He has made  a very good effort with his English language skill this year. He can follow instructions carefully and will start conversations with the teacher by himself. He is a little shy to raise his hand in class time and sometimes struggles to remember vocabulary.Sometimes he will continue conversations using sounds rather than actual English words.I think this is because he would like to have more complex conversations but the vocabulary learned so far in not enough to say what he wants. I think this is something that will improve during his time in the Class. Overall, he has made a really great effort and I am very happy with his progress.

受容して、不足を可能性として手渡すことをさらっとしてくれる。これってなかなかできない。どのネイティブの先生もできているから、やっぱり子どもを教育する価値観や子どもの受け止め方に日本と違いがあるのだろうか。子どもの能力の不足に目をやるよりも、そもそも子どもは才能の固まりだから、今不足があっても達成できる・改善できることを当たり前に接してくれる。だから、息子は先生が大好きだ。英語を習得できることよりも、子どもが楽しんで通っていること、ネイティブの先生の子どもへの見方に価値を感じて今のスクールに通わせている。


光の当て方は様々

大人の言うことを聞く子がいい子じゃない。本当にそうなら、この国の子どもたちはこんなにも多く心の病や引きこもりやいじめに悩んでないし、自ら命をたつこともない。どうして、子どもを1人の人間としていろんな角度から光を当てて見れないのか。子どもの発達は千差万別、10人子育てしたママが1人しか子育てしてないママより優れていることはない。だって、その10人の中に自分の子どもと同じような型の子どもがいるとは限らないし、いい親かどうかは子育ての経験人数でははかれない。子どもの健康を気遣い、そして自己肯定感を大切に育んでいる親がいい親なんだと思う。親が評価される指標は、その2点のみだと思う。これは子どもを育てる教育者にも当てはまるのではないか。

息子を言葉の発育という指標で見ると他の子よりも劣っていると思う。でも、素直さや純粋さ、創造性、型にはまらない自由さ、明るさ、笑顔の多さ、人を幸せにする空気、ユーモア、優しさ、正義感など、それ以外の指標で見れば100点だと思う。そもそも、子どもたちに対して、評価するとか指標を用いるとかいう概念自体がなじまないのかもしれない。だって、そのままで、ありのままで子どもたちはどんな子どもも100点満点だから。

「○○できるようになりなさい」「○○○ちゃんみたいに○○しなさい」子どもに、こうなれ、ああなれとは言いたくない。私も夫も親に何者かになることを求められ、なれなくて未だに苦しんでいるから。何になるかは子どもが決めたらいい。大人は口出ししない。〜べき、〜しなければ。そういう背負わせなくていいものは一切背負わせたくない。というか、教育に携わる者が子どもに背負わせてはいけない。


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大好きなはしご消防車。消防車が好きで、いろんな消防車のミニカーを60-70台くらい集めた。ご飯のときも寝るときも持ってると安心するのか離さない。1度だって親は書き方を教えたことがないけれど、ハシゴの先にはホースもつけて正確に描写している。こういう創造性を壊さず、大切に子どもを育てたい。

コドモタイムもそういう場所に絶対にする。

今日はここまで。

つづく。

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