戦争反対と叫びながら戦争と戦う人

戦争にはちょっと反対です。

がしかし、「戦争反対」にも賛成できない。

ネットでもリアルな知り合いでもそうなんですが、戦争反対を声高に訴える(叫ぶ)方々が苦手です。これは完全に僕の屁理屈なんですが、そういう方々って、戦争に反対するあまり、戦争と戦ってる印象なんですよね。

もちろんこれは、一部の目立つ方、過激な方々が、という話です。心穏やかに戦争に反対している、というか、自らのやり方で戦争を遠ざけている方もいらっしゃるかと思います。

ので、これは「僕の偏見」+「一部の目立つ方々」の掛け合わせによって生まれた方々のお話です。都合上、この方々のことを武闘派平和主義者とでも呼んでみようかと思います。長いからBTPとかでいいですか?BuTouhaPeaceshugishaのBTP。

さて、戦争(争い)とはいかにして生まれるのでしょうか?憎しみから?生存本能から?ある人は、戦争は愛があるからこそ起こる、とも言っていました。

なんで愛から戦争が?と思う方もいらっしゃるかと思いますが、先述したBTPの方々が戦争と戦争してしまうのも愛からではないでしょうか?

愛する人を守りたい、危険に晒したくない、愛する人に平和に暮らしてほしい。その思いの裏返しから戦争への、ひいては戦争を起こそうとしている(と自らが見立てている)人たちへのヘイトが爆発してしまい、路上で声を枯らして戦争反対と叫んでいるのではないか、と僕は考えてしまうのです。

どうして今、こんな偏見に満ちた中2みたいなことを書いているのかというと、前々からずっとそう思ってはいたのですが、ここ数日、ネット上で溢れかえっている事件が原因なのかもしれません。

酷いことをした加害者がいて、その加害者に向けて、もしくは届く宛もないのに、ひどい言葉を吐く第三者。あれ?それどの口が?みたいなのがもうすごくて、ちょっと平静を保っていられません。いつものようにSNSを開いて覗いているだけなのに、塩素漂白をして締め切っている風呂場に入るときのように息を止めている感じ。

亡くなった方には大変申し訳無いし、そういうことで人がなくなる世の中はとても悲しいのですが、僕はその方を存じ上げないので、その件には一切関わりたくありません。冷たく聞こえるでしょうか?

まぁ、そんな事を言いながら記事にしている僕も、どうかしているのだと思います。もっと優しい世の中になりますように、と願うほかありません。

もしくは、我が子が同じ目に合わないよう、しっかり伝えなければ。

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こんな音楽作ってます


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